これは少し前の話なのだけど。
妹から再三勧められていながら未読だった『宇宙兄弟』を何かの拍子で読み始め、あんまりおもしろいので既刊分読破してしまった後のこと。
報告して、ついでに感想戦やりあうまでが漫画の愉しみというやつでさ、やっぱり最終選考の時の密室だよね、いやいや、などとまずは緒戦、「名場面」編で剣を交える。そののち彼女は「いいことたくさん言ってるんだよね~、迷ったときは楽しい方を選べ、とか」とシャロン博士の言葉を引いて、感想戦中盤「名言」編にコマを進める。そののちには、「名脇役」「名擬音語・擬態語」「名アングル」「名表情」「名伏線」「名未回収のプロット」と幾多のステージが待っているわけだが、「名言」の話にしましょう。
私にとって超弩級は、「俺の敵はだいたい俺です」と決まっている。出所は十一巻後半、宇宙飛行士候補生(アスキャン)として訓練中の六太が上官のビンスに、君の敵は誰か、と訊かれた時に、有人宇宙開発を邪魔するマスコミ、科学者、ロボット業界、天文学者などの候補を退けてこう答えるのだ。続きはこう。「自分の”宇宙へ行きたい”っていう夢をさんざん邪魔して、足を引っぱり続けたのは結局俺でした。他に敵はいません」
私はこの部分、何度読んでも響いて仕方がない。
自分の邪魔をする自分というと、論文読むときに漫画を読んだり、筋トレすべき時にドーナツを食べたりする奴のことかと最初は思うんだけど、そっちの阿呆のことではない。
その阿呆の後ろにいる、もっと賢くて、目端が利き、分別があり、未来のことをよくわかっていそうな奴のことだ。
「おまえがちょっと頑張ったところで出来ることじゃないんじゃないの?」
「そんなことやって誰が喜ぶの?」
「調べても答えは出ないんじゃないの?」
「つながってると思ったのは勘違いじゃないの?」
「どのみち評価されないんじゃないの?」
「何の役に立つの?」
…いかにも正しい顔をしてそんなことを囁いてくる奴だ。その所為で、本当んところちょっと面白いけど大変でスリルがありすぎて不安にもなるし畏怖もするような過程全体が、現世的な不安の塊にしか見えなくなって、安易な逃避に走ってしまうんだよね。しかも、世の大勢の意見は(少なくとも目に入ってくる嵩の大きいのは)こっちに近い。げに、雑音ばかりで軸足の置場を勘違いしそうになる、勘違いしているのは私だと思い込んでしまう、思い込まされているのはどちらだ?何のために?
安心しよう、そいつは未来のことなんか何にもわかっちゃいない。
二週間前に色々終わった瞬間からしばらく、なんの文章を読んでも好奇心が湧かず、絵の前に立っても言葉が出てこない、挙句の果てに気晴らしに手に取った活字の中身も頭に入ってこない、映画を見ても場面を思い出せないという状態で、機械的に論文読んだり資料整理したりしてたのだが、やっと好奇心が復活してきたらしい。
そうそう、漸くスイッチがオンになってきた。
文章という文章が書けない時は駄文さえ書けないものなので、今は駄文を書いていることもうれしい。
妹から再三勧められていながら未読だった『宇宙兄弟』を何かの拍子で読み始め、あんまりおもしろいので既刊分読破してしまった後のこと。
報告して、ついでに感想戦やりあうまでが漫画の愉しみというやつでさ、やっぱり最終選考の時の密室だよね、いやいや、などとまずは緒戦、「名場面」編で剣を交える。そののち彼女は「いいことたくさん言ってるんだよね~、迷ったときは楽しい方を選べ、とか」とシャロン博士の言葉を引いて、感想戦中盤「名言」編にコマを進める。そののちには、「名脇役」「名擬音語・擬態語」「名アングル」「名表情」「名伏線」「名未回収のプロット」と幾多のステージが待っているわけだが、「名言」の話にしましょう。
私にとって超弩級は、「俺の敵はだいたい俺です」と決まっている。出所は十一巻後半、宇宙飛行士候補生(アスキャン)として訓練中の六太が上官のビンスに、君の敵は誰か、と訊かれた時に、有人宇宙開発を邪魔するマスコミ、科学者、ロボット業界、天文学者などの候補を退けてこう答えるのだ。続きはこう。「自分の”宇宙へ行きたい”っていう夢をさんざん邪魔して、足を引っぱり続けたのは結局俺でした。他に敵はいません」
私はこの部分、何度読んでも響いて仕方がない。
自分の邪魔をする自分というと、論文読むときに漫画を読んだり、筋トレすべき時にドーナツを食べたりする奴のことかと最初は思うんだけど、そっちの阿呆のことではない。
その阿呆の後ろにいる、もっと賢くて、目端が利き、分別があり、未来のことをよくわかっていそうな奴のことだ。
「おまえがちょっと頑張ったところで出来ることじゃないんじゃないの?」
「そんなことやって誰が喜ぶの?」
「調べても答えは出ないんじゃないの?」
「つながってると思ったのは勘違いじゃないの?」
「どのみち評価されないんじゃないの?」
「何の役に立つの?」
…いかにも正しい顔をしてそんなことを囁いてくる奴だ。その所為で、本当んところちょっと面白いけど大変でスリルがありすぎて不安にもなるし畏怖もするような過程全体が、現世的な不安の塊にしか見えなくなって、安易な逃避に走ってしまうんだよね。しかも、世の大勢の意見は(少なくとも目に入ってくる嵩の大きいのは)こっちに近い。げに、雑音ばかりで軸足の置場を勘違いしそうになる、勘違いしているのは私だと思い込んでしまう、思い込まされているのはどちらだ?何のために?
安心しよう、そいつは未来のことなんか何にもわかっちゃいない。
二週間前に色々終わった瞬間からしばらく、なんの文章を読んでも好奇心が湧かず、絵の前に立っても言葉が出てこない、挙句の果てに気晴らしに手に取った活字の中身も頭に入ってこない、映画を見ても場面を思い出せないという状態で、機械的に論文読んだり資料整理したりしてたのだが、やっと好奇心が復活してきたらしい。
そうそう、漸くスイッチがオンになってきた。
文章という文章が書けない時は駄文さえ書けないものなので、今は駄文を書いていることもうれしい。