エミール・クストリッツァの撮った映画で始めて観たのは『ジプシーのとき』。7~8年ぐらい前、なにやら怪しげな上映会で、後から感想を言い合った。何を言ったのか覚えていないが(実のところストーリーもあまりよく思い出せない)大学の先生みたいな人に、上映中あなたの表情が面白かった、みたいなことをいわれたのをなんでか覚えている。
兎に角、先を予想したり前を反芻したりといったことをするには想像を超えていて、その瞬間瞬間、ただ目の前を過ぎていく映像と音楽に夢中になっていたのだと思う。後は七面鳥とか、段ボール箱とか、クラゲみたいな花嫁のヴェールだったりとか。
このたびの『アンダーグラウンド』は、多分、それ以来はじめて。ヴェールは今回はなお一層クラゲみたいだった。七面鳥はいなくって、アヒルとか、水鳥。水鳥が、そりゃあもう重そうに飛ぶのだ。段ボールはなくって、代わりにあの地下の工場かよ、なんだよあのシャワー!もう、夜自転車漕いでる人みたら発電しているようにしか見えないんですけど!
よくわからないが見たほうがいいような気がして時間を作って観に行って、たしかにそう、これは観るべきものだった。
結構まだ頭の中がドロドロしていて、書く方がいいのかどうなのか、書いて何かになるとも思えず、酷く持って回ったよくわからないことを書くんじゃないかと思うけれど、世の中に生きていると、あるトコロからだけみえる、他の場所や機会や方法ではみられないものがあって、この映画はそういうものを見せる。頭の中でたくさんの声がギャーギャーと喚いているようにして、これでもかと。そして、そういうものがあるという事を、今初めて分かったような気分にさせる。
冒頭のブラスバンドの調子っぱずれに浮かれポンチで直球な音楽が始まってからずっと、もう、こらえようもなく不健康に愉快な気分になってしまって、こちらの心は騒ぎっぱなしだけど、スクリーンの向こうもひどくって、基調として酔っぱらって怒鳴り交じりで馬鹿笑いしながら歌ってて、手を伸ばすとそこいら中に銃があって、ズボンにも入ってて、サスペンスもなく簡単に発砲されて、そうしているとウソみたいに情け容赦なく爆弾が降ってきて、廃墟になった町で、爆破された動物園から迷い込んできてへばっている猛獣を眺めながら、黒猫で靴を磨いたりしているのだ。人間の一生の何十年も(20年だ)が太陽も月も知らずに過ぎたりするけど、歴史の犠牲者とかいう感傷的なものに収まりきらず、そもそもは身内のだまくらかし合いにしては矢鱈とスケールが大きくて、地上に出たとたん、昨日の喧嘩の続きみたいにして戦争してたりする。ドイツのマンホールの下をずっと歩いて行ったら本当にアンダーグラウンドな道路網がバルカンやイタリアまで続いているんだろうか?
普段は、「これはもっと前に見ておくべきだった」とか「若い時に読むべき本」みたいな言葉に対しては疑わしく思っているけれど、この作品については、ちょっともったいない見方をしてしまったと思わないでもない。1995年に大人として、つまり3-4年前からきちんと世界の情勢に興味をもって知って、自分の考えを持っているきちんとした大人として、これを観てみたかったと思う。多分、世界中で1995年から2-3年の間にそういう人たちに、(というと限定しすぎかもしれなくて、別に1995年じゃなくて今になっても、ユーゴ内戦の同時代人たちに)、ココからでなければ見られない世界を見せた映画だと思う。
(とはいえ、それはいずれにせよ叶わぬ望みではあるので、ベストを尽くしたということになるのかな。まあ、頭のドロドロはやや鬱陶しくはあるけれど、やっぱり観てよかったのだ。)
兎に角、先を予想したり前を反芻したりといったことをするには想像を超えていて、その瞬間瞬間、ただ目の前を過ぎていく映像と音楽に夢中になっていたのだと思う。後は七面鳥とか、段ボール箱とか、クラゲみたいな花嫁のヴェールだったりとか。
このたびの『アンダーグラウンド』は、多分、それ以来はじめて。ヴェールは今回はなお一層クラゲみたいだった。七面鳥はいなくって、アヒルとか、水鳥。水鳥が、そりゃあもう重そうに飛ぶのだ。段ボールはなくって、代わりにあの地下の工場かよ、なんだよあのシャワー!もう、夜自転車漕いでる人みたら発電しているようにしか見えないんですけど!
よくわからないが見たほうがいいような気がして時間を作って観に行って、たしかにそう、これは観るべきものだった。
結構まだ頭の中がドロドロしていて、書く方がいいのかどうなのか、書いて何かになるとも思えず、酷く持って回ったよくわからないことを書くんじゃないかと思うけれど、世の中に生きていると、あるトコロからだけみえる、他の場所や機会や方法ではみられないものがあって、この映画はそういうものを見せる。頭の中でたくさんの声がギャーギャーと喚いているようにして、これでもかと。そして、そういうものがあるという事を、今初めて分かったような気分にさせる。
冒頭のブラスバンドの調子っぱずれに浮かれポンチで直球な音楽が始まってからずっと、もう、こらえようもなく不健康に愉快な気分になってしまって、こちらの心は騒ぎっぱなしだけど、スクリーンの向こうもひどくって、基調として酔っぱらって怒鳴り交じりで馬鹿笑いしながら歌ってて、手を伸ばすとそこいら中に銃があって、ズボンにも入ってて、サスペンスもなく簡単に発砲されて、そうしているとウソみたいに情け容赦なく爆弾が降ってきて、廃墟になった町で、爆破された動物園から迷い込んできてへばっている猛獣を眺めながら、黒猫で靴を磨いたりしているのだ。人間の一生の何十年も(20年だ)が太陽も月も知らずに過ぎたりするけど、歴史の犠牲者とかいう感傷的なものに収まりきらず、そもそもは身内のだまくらかし合いにしては矢鱈とスケールが大きくて、地上に出たとたん、昨日の喧嘩の続きみたいにして戦争してたりする。ドイツのマンホールの下をずっと歩いて行ったら本当にアンダーグラウンドな道路網がバルカンやイタリアまで続いているんだろうか?
普段は、「これはもっと前に見ておくべきだった」とか「若い時に読むべき本」みたいな言葉に対しては疑わしく思っているけれど、この作品については、ちょっともったいない見方をしてしまったと思わないでもない。1995年に大人として、つまり3-4年前からきちんと世界の情勢に興味をもって知って、自分の考えを持っているきちんとした大人として、これを観てみたかったと思う。多分、世界中で1995年から2-3年の間にそういう人たちに、(というと限定しすぎかもしれなくて、別に1995年じゃなくて今になっても、ユーゴ内戦の同時代人たちに)、ココからでなければ見られない世界を見せた映画だと思う。
(とはいえ、それはいずれにせよ叶わぬ望みではあるので、ベストを尽くしたということになるのかな。まあ、頭のドロドロはやや鬱陶しくはあるけれど、やっぱり観てよかったのだ。)