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2020/07/30

まいにちまいにちの料理だからこそ!

 育児休業中に家族と同居していると、自然、主婦的な役割を担うことになるが、乳飲み子連れ&疫病流行のタッグでそうそう外食も出来ず、かなりの割合で一日2食を作り続ける毎日(+離乳食。昼食もなのは夫の在宅勤務による)。これ、本当に大変。といって、延々家事育児&ごはんづくり自体は、一般的に乳幼児育児中の通常運転モードに近いのだけど、多くの人々が毎日のごはんづくりをする羽目になってその大変さに注目が集まるというタイミングに重なってしまったために、仲間が多くて疎外感は控えめだ。まあ、なんというの、これは孤独にできる闘いではないので、ラッキーかもしれない。
 全世界の同志たちよ、食器洗い機と大きな冷蔵庫冷凍庫を讃えましょう。機嫌よく台所をまわし続ける技(=料理の腕、ではないことに注意)の使い手を讃えつつそれに続くべく修行に励み、そこまで頑張り切れないときには温かい慰めと励ましとお惣菜に頼り、時にケーキなんか投入したり頼まれてもいないのに小麦粉を捏ねたり地球の裏側の料理に挑戦したり、とにかくあらゆる手を尽くして、この食べてもお腹がすいてまた食べるものを調達しなければならない不便な身体と付き合ってまいりましょうぞ。
 家事の終わりのない大変さを正しく認識することと、それを苦行として生きることとは全く違うので、毎度続く食料調達こそ、クリエイティヴな活動として楽しみたい、と思っていたら、そんな気持ちをいい感じに戦闘的にクリアに語る文章に出会ったので引用しておく。桐島洋子著『聡明な女は料理がうまい』(アノニマ・スタジオ、2012年)より。
彼女(有能な職業人であり、必然的に有能な主婦である人:引用者補足)たちにとっての家事は「シジフォスの神話」の重苦しい岩塊ではなく、一種のスポーツのようなレクリエーションである。とりわけ料理というのは、個性や才能がメリメリと生きる創造的な仕事だから、他の家事はともかく、料理だけは他人にまかせたくないと、意欲的な女なら思うものである。
 1976年初版出版ということだが、一章(料理だけがからきしダメな友人に、激凝りのフランス料理から始めることを勧めるやつ)など特に秀逸で全く古さを感じないし、様々なタイプのパーティの勧めや、急な来客があった設定でじゃんじゃかおつまみを出していく方法も面白く勉強になった。他方、台所用具や調味料の揃え方や、世界各国の当時珍しいものであったろうレシピなどは流石に時代を感じ、また最初のほう、例えば「男性的」という言葉を決断力、大胆さ、柔軟さ、発想力、包容力etc.の美質に結び付けるくだりなどは圧倒的に化石化している(今だったらむしろ女性的といったほうがしっくりくるだろうし、そもそもここにジェンダー色は必要ない)のだけど、それはそれで現実が着実に前に進んでいるってことなので、まあ、喜ぶべきであると思う。

2020/07/13

とにかく歌うのだ -育児雑感(7)-

 小さい人と暮らしていると、「衣食住」の次に加えたいくらい、よく歌い、なんなら踊ることになる。
 「いないいないばあ」「おかあさんといっしょ」の類の子どもむけ番組は、ほとんど歌って踊っているのだけど、まあ楽しそうに見ること。同じ頃の小さい子と遊ぶような、慣れない子らにとっては一触即発の場面でも、歌と絵本は鉄板。そういえば幼稚園でもよくよく歌ってたな。寝ぐずって抱っこの中でもがきながら泣きまくっているようなときも、歌うとひとまずは落ち着いて聞いてくれる(こともある)。他の仕事で離れなければならないとき、遠くからでも歌声付きならちょっと長めにひとりで遊んでいたりもする(比較的)。
 いきおい、日によっては一日の半分くらい歌い続けてるなあーみたいな時もあったりする。

 ミュージカルやオペラに抵抗を感じる人の理由として「突然歌いだすのが不自然」とか「会話が歌なのが変」というそのものずばりな批判(難癖?)がありますけど、あれは悲しい勘違いなのがよくわかる。

 人間は突然歌いだしたい生き物だし、歌は時に会話よりも心を通じあわせるものだった(*1)。それに、歌うと当然のように身体は動く。
 昔、「なぜインド人は踊るのか」と訊かれたインドの方が「人間は石じゃないからだ!なぜ君は踊らないの?」と答えたという素敵なエピソードを見たけど、あなたが突然、気軽に、歌ったり踊ったりするのにそんなにも抵抗を覚えるのなら、自分が石になりかかっていないか、なにか人間的でないところに押し込まれていないか、確かめてみるのもいいかもしれない。

 閑話休題。

 何を歌うかというと、即興でしゃべりたいことを歌にしたり、好きな歌を歌ったり、昔の合唱曲とかが出てきたり、色々。今はGoogle様とYoutube様のおかげで、うろ覚えの歌詞を覚えなおしたり、昔好きだった歌の断片からメロディを確かめたりできて、レパートリーが増やしやすいのはありがたい。
 最近、午前の昼寝に抜群に効くので歌いまくっているのが、『ソロモン・グランディ』、マザーグースに谷川俊太郎が訳詞をつけて合唱曲にもなっている歌である。とっても歌いやすくて、うるさすぎないところが気に入っているのだが、歌詞がじゃっかん…。

   「ソロモン・グランディ、ソロモン・グランディ
   月曜に生まれて
   火曜に洗礼
   水曜に結婚して
   木曜に病気(タッタタッターッタラッタッタ)
   金曜に危篤
   土曜に死んで
   日曜には墓の中」

まあ、危篤に一日取っているあたり、大変きめ細やかなのだけど、何度も歌っていると縁起でもない感じもする。
 なので、たまに、赤ちゃん・グランディに変えております。
   「月曜に生まれて
   火曜に寝返り
   水曜にお座りして
   木曜にハイハイ(ハイハィハィッハーィハィハィハイハイ)
   金曜にたっち
   土曜にあんよ
   日曜にはかけっこだ!」

 お粗末さま。


(*1) これは、香港の学校でいま、自分の政治信念にかかわる歌を歌うことが禁止されたという話を目にして、他の規制にも増して憤りを感じるところだったり、国家斉唱の強制への嫌悪感にも通じる。自分のからだと心の求める歌を歌うのでなければ石になってしまう。
 

2020/07/03

レシピ備忘録に。イランのピラフ

 キャベツと鶏肉のポロ
 もとは、長谷川朝子&レザ・ラババ『家庭で楽しむペルシャ料理』河出書房新社のレシピで、米の炊き方がよくわからなかったのでそら豆と鶏肉のピラフ ディル風味|キューピー3分クッキングも参考にした。調味料以外の分量は適当に変えたりした。

1 沸騰したお湯4カップほどに大匙1/2の塩を入れ、洗っていない米を2-2.5合投入し、再沸騰後3分ほど茹でる。ざるに上げる。本来はここでサフランを漬けた熱湯を振って置いたりすると香り高く豪華になるっぽい。
2 同じ鍋を軽く洗い、キャベツ(レシピでは1/3玉、私は大きい葉っぱを6枚ほど使った)を適当に細かく切ったものをサラダ油少々とともに強火で炒める。少し香ばしく色づいてしんなりとしたら、シナモン小さじ1/3、塩小さじ1/3、胡椒小さじ1/3ほどを加えて軽く炒め合わせ、レモン汁をかけて、皿に取る。
3 同じ鍋に、サラダ油を熱し、玉ねぎ1玉を荒くみじん切りにしたものを炒める。香ばしく色づいたら鶏もも肉一枚を適当な大きさに切って塩をふったものを加えて軽く火を通す。シナモン小さじ1/2、ターメリック小さじ1/3、鷹の爪、胡椒小さじ1/2、塩小さじ1/2を加えて炒め合わせる。
4 3に1と2を入れて軽く混ぜ、1/2~1カップの水(塩を小さじ1/2くらい入れておくとよかった、さらに、塩レモンかドライフルーツなどを入れておくといい気がする)をふって、ふたをして弱火で15分ほど蒸し焼きにする。
5 お焦げが好きなら最後に30秒ほど火を大きくするといいらしい。私は少しやりすぎて酸っぱいお焦げになった。
6 米に火が通ったら、出来上がり。適宜ヨーグルトを混ぜて味の変化を楽しむ。