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2021/08/31

閉塞感の原因と対処法をまとめてみる

  二度ワクチンを打って二週間経って抗体が付いたあとでもウイルスの運び屋になりうるらしいという知らせには、そこそこ尾を引くダメージを受けている気がする。びっくりするくらい早くに仰天するくらい効くワクチンが作られて、アメリカやイギリスで一年ぶりにハグしてる親子やオープンカフェでおいしいものを囲んでいる写真なんか流れて来てもどーせウチはまだまだなんでしょと思ってたら、周囲見てると秋口には終わりそう(*)。何とか逃げ切れたら重症化のリスクは減るだろう。でも運び屋になりうるなら、ワクチンを打った人同士で軽症を分け合う覚悟でしかマスクを外せないということになる。子どもは打てない。そううまい話があると思うなということらしい。

 この閉塞感は、マスクのせいなのか、ワクチンの副反応かその後の夏バテなのか(**)、自転車操業の前期が折角無事終わって研究が出来るのに、一日三食炊事し咀嚼し咀嚼させ皿洗いし運動し運動させ睡眠し睡眠させ洗濯し掃除し排泄し排泄させ、言葉をしゃべりだした息子は感動的な同居人だが、それをおいておいても日々の基調にある繰り返し、一回一回全く簡単にならず、別の難しさを繰り出してくるけれどこちらは目に見えて習熟したりすることもなく気まぐれに翻弄されるような繰り返しはたまに絶望的だ。

 そんで関東で、日本のどこかで、アフガニスタンで、人間が人間らしくない仕方で見殺しにされているニュースが堪える。

 まーしかし、私もここまでくると落ち込むののプロなので、大体解決策の方向性も心得ている。

 繰り返す日々に閉じ込められているような気分は、何も残せていないことが不安の一番の原因。研究をすればいい。しかもできるだけアウトプットの時間を多くとるといい。研究でない雑文でもいい。大事なことは後から見返すことのできる自分の手で作った成果であること。消えない方がいいから、この目的では料理や製菓ではない方がいい。ある程度時間と手間をかけたものが残るほうがいいので、この目的では買い物もあまり適さない。料理や買い物は別の目的では凄く良いときもある。

 家事が単調なのに時間を食うなら、時間をはかるといい。夕食のメニューを考える時間も計測する。無理やり可算的な尺度を導入することでスキルアップを可視化できるから充実感が違う。一人で実行できるものなら大体効く。坊と一緒のことだと、時間を気にするとイライラしてしまうので、別の手段をとって、「お手伝い」兼「遊び」にしてしまう。私がやるのは、私の方を出来るだけ複雑化し坊の方を単純にし、ハンディとルールをきめ細やかに設定すること。目的は二人が同じくらい楽しんでいるうちに仕事が終わるようにするという、ルール作りゲームである。私はおもちゃが部屋中に散らばっている状態からスタートして、坊はおもちゃで遊んだり掃除機に乗っかってバイク風にしたり、スイッチを押したり、箪笥の引出しの衣類を触ったり、掃除機かけのマネをしてみたりしているうちに、邪魔にされることなく玩具と本が片付き床は綺麗になる。このあたりは、もちろん毎回やる必要はないのだけど、だれてきて、なおかつ、いいかげんサボったり楽したり混沌を大目に見たりはもうできん!てなったときに導入するとちょっと華やぐ。

 それから漠然と世界や未来が怖い感じの時は、寄付することと、生活に必要なものを自分の手で作ること。寄付は、世界を少し優しいものにすることで自分がだいぶん楽になるというのと(あなたがこの世で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい byガンジー)、寄付金控除が受けられる方法であれば、政治への不満も少しだけ発散できるという利点もある。手作りは、全然一からではなくてもいい。ピザ作ったり、簡単なパンを焼いたり、お菓子を作ったり、衣類を繕ったり、簡単な玩具を作ったりする。そんなんでもきっと私は粉と水しかなくなったときに手打ちうどんでヒーローになれる。そういう気分になれる。本当はこういうときは野菜を育てたりしたいなと、戯れに家庭菜園付きの物件を探してみたり。

 (*)これは、ワクチンの有効性を理解するか信じて絶えずアンテナを張って郵便物を見逃さず親戚友人知人と情報交換して、インターネットに接続の上数桁の番号を間違えずに手打ちしながら情報を登録して予約フォームを正しく進むか数件電話をかけ続けたりして日程を確保し、仕事や育児の予定をやりくりして薬や食料をあらかじめ用意して、というのを本人か周りの人が出来てやっとこの時期で、正直フルタイムの仕事と家事育児と一緒にやってのけるのは結構狂気の沙汰だった。これで集団免疫はそりゃ厳しいだろうと思う。

(**)無論、政治の混迷の所為である。けどそっちは今やれることが限られているのだ。

2021/08/14

雨の下で

 仕事復帰して最初の夏学期が何とか無事に終わりそう(いくらなんでももう夏休みなのだけど、採点期限が盆明けなので終わった感じはない)、ひとまずここらでカーテンコールをして、まずまず健康で機嫌よく育っている坊からはじめて、夫、友人たちご近所たち、同僚の先生方職員さんたち学生さんたち、保育園の先生がたお友達たち、各お医者様たちお店の方たち、遠くの家族たち戦友たち、他、みんな順番に感謝とともに褒め称えたい気分です、なお特別賞はドラム式洗濯乾燥機に。
 毎日、毎週を終えるごとに少しほっとして、それまで緊張してハラハラしていたことを実感するような日々だが、視点を少し広くすれば今は県下に超災害級の豪雨が続いていて、私たちのいるところも雨に閉じ込められているよう。そして、いい加減長く続いていて、さらに今後も形を変えつつ長く続くであろうコロナとの闘い、個人レベルだと、いつまで持ちこたえられるか、逃げ切れるのか、という感じ。そして、連日のように、張り詰めて乾いた心に束子をこすりつけられるかのような、嫌なニュースや言葉を、見てしまう。
 文明の尺度というか、人間の人間的である所以の一つは、どれだけかけ離れた存在と共にあれるかだと考えている(というと抽象的過ぎるけど、共通の利益を考えられるか、くらいまでかみ砕いたっていいのかもしれない)。どれだけ視野を、射程を長く広くとれるか。どれだけ弱い(そのときは)(その状況下では)(一見)ものを守っていられるか。相手は人間存在に限らない。で、これは経済(暴走する資本主義のことではなく)とも、種の存続とも、また、宇宙の美しさと生命の多様性とも原則矛盾しないはずだ。
 これはひとまず自分に言い聞かせるように。傷ついている人が少なくあってほしい。誰も私たちを、あなたたちを傷つけることなんてできないのだから。