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2024/10/09

心の在り処

  昨日の夜の会話。

ー<坊>、可愛いねー

「うんー。でも<坊>、ママが<坊>を大好きなのよりも、<坊>がママを大好きなほうが大好きだよ」

ーそうなの?

「うん、それにね、あのね、パパが<坊>を大好きなのより<坊>のほうがパパ大好きなんだよ」

ー<坊>大好きたくさんあるんだね。

「うん、ちょっと、ぎゅーってしてママにも分けてあげようか」

ーこんなにぎゅーってしたら大好きなのなくなるんじゃない?

「だいじょうぶ、大好きは空から入ってくるから。空のほうにこころがあるの」

ーへえ!こころ、空にあるの!

「うん。こころがあって、大好きそこからくるの」

ー大好きのほかは?ほかにこころに何はいってるの?

「それは自分で考えてください」

2024/10/01

やっとほんとに秋だ!~さいこうどーなつ!

  夏休みの宿題を1個半、持ち越したまま10月に入ってしまった。運動会までには終わらせるぞ!とはいえ、秋は魅力的な罠がたくさんある。気を付けるのは特に以下の二点。

 1、紅玉を買わない。タルトタタンを自作する暇がないのだ。

 2、皮つきの栗を買わない。渋皮煮を自作する暇もないし、そもそも私にはうまく作れないのだ。どうしても栗気分が味わいたかったら生協で栗おこわの素を買うこと。

 3、でももらえちゃったらありがたくいただく!

 かわりに、新米をお祭り気分で楽しもうと思います。あとは、スイートポテトくらい子どもと作ろう。この本がとてもかわいくて好き。


 運動会で「さいこうどーなつ!」というワンピースの歌を踊るのだそうで、色々調べてみたらセカイノオワリの「最高到達点」であるらしい。いい歌じゃん。しかし近頃の主題歌ってこんなに内容にびったびたなものなのね。

 近年の複雑な音の作りの歌を知らな過ぎて、頭がついていかなくなると老化するな、と焦ってきたので、ひさしぶりにアマゾンミュージックのヴァージョンアップをして色々聴きながら作業したり、子どもと一緒に歌ったりしている。最高到達点は自分のいい応援歌になりそう。

2024/09/18

坊に着替えをさせる秘訣と若干のうしろめたさ、ではなく。

  近頃、朝の用意がスムーズにいく秘密の呪文を手に入れた。だいたい茶碗を洗うくらいのタイミングで坊に洋服一式を出して、こういうのである。

ーーここに服出てるけど、まだ着替えないでゆっくりしてていいからね~。あんまり早くしちゃうとママまだお化粧も茶碗洗いも終わってないから…。

 すると、早く着替えて!行くよ!だったらレゴから顔も上げない坊が

「ええ~~。でも早く着替えちゃおうかな!早く着替えたい!」

 といって、いそいそと着替え始める。

ーーえー、待ってよ!そんなにすぐ出発できないよ!

 なんて掛け声をかけちゃったらこれ加速する。仕舞いに、こうだ。

「ママ、〈坊〉は全部準備おわっちゃいました~!ママはまだー?」

 阿呆なのだ。それゆえに、何という可愛さ。

 その一方で、「だからなのか?」とも思うのである。今まで出会ってきた男子たちに対して感じてきたもの、大人でも子供でも、同輩でも先輩でも、同僚でも学生でも、なんだろう、度々「ほう…」と少しの違和感を残してそのたびに日常に沈んでいく、よくわからない鷹揚さとか自信みたいなもの。当然のことを終わらせただけなのに、なんだその「いい仕事しました!」感は、というか。あれ、結構ぎりぎりでフォローさせてたけど謙遜の言葉もないけど、それでいいんだ、みたいな。

 たぶんそれでいいのだ。悪気も全くない。ミスなんて覚えてもいない。だから彼らの表情は晴れ晴れしている。それが羨ましい。

 「インポスター症候群」という言葉は随分前に知ったけれど、女性に多いのだそうだ。詳しくは調べて頂いたらいいけれど、なんとなく自分が過大評価をされているけれど実力は伴っていないのではないか、自分はここにいていいのか、この仕事に値するのか、不安で仕方がなくなり、何かの拍子で詐欺師であることが明かされてしまうのではないかと感じる傾向。

 私くらいさんざん伸び伸び育ってもこいつにしばしば苛まれて、クォリティを上げるのに使えるはずの時間をメンタル快復に使う破目になる。コメントを求められたら反省を入れたほうが相応しいんじゃないかと思ってしまったり、ちょっとのせられると自虐ネタの一つもいわなければいけないような気分になる(京都にいた所為かも)(芸風もあるか)(いや、実力が実際に伴っていないのでは…)。いったいなんなんだろう。記憶を改竄というほどでもない、程よくハッピーなとこだけ残って自信たっぷりな奴らとやり合うには、こんな荷物、邪魔だ。

 というわけで、元は「毎朝、当然のことしてるだけなのに自信満々でハッピーなボーイを着実に製造してます」うしろめたさの話だったんだけどさ、これはいいことなのではないかと思い直したわけです。うん、どんどんやろう。

 むしろ、願わくば、もっと賢くて聞き分けがよく先回りして考えがちなお子たちであっても、誰にでも、当然のことをしてるだけなのに自信満々でハッピーなガールやボーイでいられる環境が与えられんことを。

2024/09/14

足元の話

  先日、3か月ぶりの美容院で「9月なのに暑いですねえ!」の挨拶ついでに、ビーサンから抜け出せなくて!と言ったら、「私も、9月1日だけスニーカーで頑張ってみたんですよねー、けどすぐ戻っちゃって」と自分と全く同じ行動なので笑ってしまった。九月最初の出勤日であった2日はローファーにしてみたのだけど、次の日からまた戻ってしまった。

 ビーサンは集合的概念で、実はビーサンじゃなかったりするのだけど、裸足で履けて楽ちんなサンダルなんでも。ヒールがあったりストラップが細すぎたりするのはたぶんちょっと違う。

 私は以前から少しだけ厚底のアリゾナ?(ビルケンの店で買ったのだがビルケンって書いていないので本当のところ何物かわからないが)を愛用してたのだが、今年の夏からTevaハリケーンを仲間入りさせてる。甲と踵と足首を三点で固定する面ファスナー式のEVAサンダルである。デザイン的に若すぎない?とあらかじめ妹に問い合わせたがOKとのこと。

 これ、めっちゃ軽いし、足の衝撃がうまいこと和らげられるので走れる。金属とか革とか使ってないから子供と水遊びするのにこれ以上ないし、マジックテープだから各種厚さの靴下に合わせて調整できる。ビルケンのソールが、いかにもドイツっぽい健康的気持ちよさに足の持ち主をやや矯正しようとしてくるのに対して、こちらは身も蓋もなく楽。さすが新大陸、しかも西海岸って感じだ。そういえばポートランド行ったときはみんなこんなん履いてたな。足首の前側を固定するのでやや足がむくむが、それすら調節で何とかできる。保育園の玄関もたもた度もローファーやスニーカーとそう変わらない。更にいいのが旅行にそのまま行けることです。もともと踵が固定されない靴で飛行機に乗るのは…と思っていたのが、年明けの事故をみてさらに機動力が大事だという気持ちを新たにしたところ、今回は飛行機の憂いなく、旅先でも暑いさなかに旅先で靴下とスニーカーを履く憂鬱から解放された。

 問題は季節であるが…。自分のルールとしては8月以外は「暑い」だけを理由にビーサンで仕事に来るのはちょっと…と思っていたのだが、いくつか抜け道を作ることにした。

1,夜25度、日中33度を超える日は8月とみなす。

2,足の爪をちゃんと塗ってたら「おしゃれのため」のビーサンと認める。

3,靴下をはいてたら「コーディネートの一部」としてのビーサンと認める。

これでいいっしょ。こうして暑い間さんざんだらだらさせておくからこそ、秋になった時に素敵なパンプスとか挑戦してもいいかなーって気持ちになるってもんです。

2024/09/04

テキストとウェブと危機感の話

 ソフィ・タンハウザー『織物の世界史』(鵜飼まこと訳、原書房2022)そんな暇はないのだけど休憩読書用にしててとても面白い。

 ニューイングランドのリネン、インドのキャラコ、テキサスの綿花。家庭や小さな作業場で行われていた手仕事が巧みに手元から取り上げられて、その代わり、わずかな現金収入のために紡績工場での非健康的な単純作業や借金地獄の綿花栽培に従事せざるを得なくなる。何とも酷いし、悲しいことに見慣れた構図でもある。(今途中でこのあと新疆ウイグルの綿栽培の話になるのでもっと地獄が待ってるはず…)

 なぜか思い出すのが学科会議の「アドビのソフトの利用料金がまた上がるんだけどどうしよう」問題(*)。

 欠陥があるとわかっていてモンサントから遺伝子操作された綿の種を買わなければ仕事ができない、収穫で得た所得の一部はまた翌年召し上げられるってのと何が違うだろうか。「昔は仕事道具はいったん自分のものにしたら修理しながらずっと使えたのに…(もちろんいいのに買い替えることはできるけどタイミングは選べたのに…!)」

 だからやっぱりグーグルフォトに息子の写真の管理を任せてはいけないのだ。「昔は写真は本棚からいつでも見られて、為替変動を気にしながら毎年お金を払わなくても自分のものだったのに…」とならないために。そしてたぶん本を紙で所有することにも意味がある。「昔は本屋がつぶれても一度買った本はいつでも読めたんよ。クレジットカードがなくても買えて、誰がどんな本をもっていようと自由だった。一度手に入れたら当局の検閲で中身が勝手に変わることも、データを掘り返して読書履歴を探られることもなかった…」

 学生サンに「紙の本の手触り・温かみ」を主張されると、授乳中唯一の慰めだったのがキンドルでたわいない短編小説を読むことだった話をしてちょっと引かれる私でありますが(**)、本を自由にしておくためには絶対にちゃんと燃える、逆に燃やさなければちょっとやそっとでなくならない紙の本でなきゃ、と思うのであります。

(*) Adobeというのはアメリカのカリフォルニアのソフトウェア会社で、世界中のデザイナーとかイラストレーターとか映像の人たちが使っているたっかいソフト「フォトショップ」「イラストレーター」とかを作って売っていて、少し前までは買い切りのがあったのが、近頃は利用料を払ってライセンス契約をするスタイル一本にしているっぽく、昨今は円の弱さもあって大変評判が悪い。

(**)これは本当に!今も読書灯をつけると決して寝ない子だが電子書籍に関してはかろうじて寝かしつけと併用できる(日によるが)。あと授乳初期とか大体腱鞘炎で手とか腕が死んでるのでとてもじゃないが本は持てないのだ。ついでに言うと、地方在住で家族持ちだと、夜中に続きが読みたくなった時にフラフラ買いに出ることもできないけれど、電子書籍ならそれが出来る…と、必要に応じて悪魔に魂をチラつかせて利用しております。


2024/08/07

「考え方がちがうんだよね」

 これはちょくちょくおしゃべりする方々には面白くてお話し済のことなのですが。

 何を隠そう、今日は「ママの日」で、昨日は「(坊)の日」であった。つまり明日はまた「(坊)の日」になる。これは、昨日はご飯を食べてパウパトを見てちょっと遊んでからお風呂に入る日、今日は帰って即シャワーに入ってそのあとごはんの用意をする日ということだ。ごはんの用意をお風呂の後でするときには、坊が野菜を切るのを手伝ってくれる時もある。

 夏は湯冷めの心配もないし、保育園の帰りに必ず園庭でそこそこ遊んで汗をかくし、セミの抜け殻やら羽やら拾い集めたりバッタの餌を採集したりするうちにどういうわけかいろんなところに砂も潜ませているから、本当のところ帰ったら手を洗うくらいの感じでお風呂場に直行したいのである。メシの後にすると決まって「まだたくさん遊んでない!」だのなんだのとお風呂を渋られるからそれも面倒くさい。なので、暑くなり始めてしばらくは、「すぐお風呂に入ったら、ごはんのあと寝るまでずーっと遊べるよ!」と誘導してお風呂に入れていたのだが、荷物受け取りがあったか何したかでお風呂を後にした日があったあと、風呂直行を嫌がるようになってしまった。

 「今入ったほうが後でゆっくりあそべるよ」「Tシャツは汗だらけだし、ズボンも砂ついてて気持ち悪いでしょ」「お風呂入ったら涼しくなるよ」「クーラーもちょうどよくなるよ」と説得にかかってたのだが、そこで帰ってきたのが上の言葉。

 「考え方がちがうんだよね」「ままはおふろがさきがいいけど、(坊)はパウパトみてからがいいんだよね」

 そうか。

 私はこの件、夏の生活習慣として絶対おすすめのお風呂先ヴァージョンに説得して誘導するのが正解だと思っていたんだけど、そうじゃないのか、考え方が違うのか。となると、一方の考え方を押し通すのは最適解ではないかもしれない。

 「考え方ちがうときはどうしたらいいとおもう?保育園ではどうするの?」と試しに訊くと、「わからない。ほいくえんではそういうのはないの」そりゃそうか。

 それじゃあ、いい方法を教えてあげることにしよう。「ママはお風呂が先がよくて、(坊)は後がいいなら、一日づつ順番こにしたらいいんじゃないかな?」というと、「それはいいね!」だそうで。

 それから、一日交替にしたり、荷物受け取りとか外食とかイレギュラーのあった時は2日ごとに交代にしたり、なんだかんだうまくいっている感じです。

2024/06/27

これが…以下略!?

  従前。

 このおだてて鼻をかませる方法はなかなかうまくいった。

 しかし、一週間たったあたりで、やっぱり飽きてきたみたいで「そろそろ鼻かみたいだろうからティッシュを渡そうかな~!」といったら、信号が青に変わるタイミングまで待った挙句に「チャンスじゃなくなったよ!」だってさ。

 そして、そのまま細道に入ってくねくねを攻略し終わって駐車場ついて後ろを向くと。

 左鼻孔に左手人差し指、右鼻孔に右手薬指を突っ込んでファニーフェイスをしていらっしゃるではないか…!

 どうやらチャンスを見送った4歳児は鼻孔閉塞問題の原因物質を鼻水でなく鼻くそにカテゴライズしたらしい。思わず笑いながら、見事に収穫された鼻くそのためのティッシュを差し出し、一応わすれずに鼻に手をつっこむと風邪をひきやすいぞ!ちょくちょく手を洗えよ!といったけど、鼻ほじりの快感を知った幼児に届いて鼻ほじりをやめさせるような魔法の言葉があるだろうか(いや、ない)!

2024/06/21

これが「男の子育児」か!?

  いやはや毎日じめじめしますな!家族そろって眠りが浅くなりがちで、そこに朝からじめじめするから機嫌が悪化しがち。

 昨日、朝保育園までの車のなかで鼻をぐずぐずしている息子に「鼻かんだら?」とティッシュを差し出したら、なぜか猛然と怒りくるわれて、「なんでそんなこと言ってくるの!?」と半泣きで怒鳴りだし(なぜ?!)、ティッシュを持った私の手を靴を履いたまま蹴るので(むろん力は入っていないが)、私の方も「鼻が出てるからだよ!蹴らないで!いわれたくないなら言われたくないっていうだけでいいじゃん!」と言い返し、「いいじゃん!ってよくないの!だめじゃん!」と訳の分からない怒られかたをして、つまるところ喧嘩になったわけです。よくある話なんだけど。保育園では機嫌なおしてたっぽいけど。

 出勤前に喧嘩するのはしんどいから、もうすこしうまくやらなきゃな、と思っていたときに、SNS上のくだらん広告で「男の子はプライドが高い。褒めて育ててね!」みたいなのが出てきた。

 …はっきり申し上げますと、こういうの本当にやめてほしい。まるで女子はプライドがそう高くないみたいではないか。

 そうではない。我々のプライドは見上げて先が見えないぐらい高いけど、納得のいかないことで怒られたときに駄々捏ねないだけ。駄々捏ねないけど忘れないで心の中の『臥薪嘗胆ノート』に永久的に記し、機会があれば反撃すべく熟成させてるだけ。

 でもまあ、いい加減育ち切ったおじさんやらお兄さんやらのプライドを守るために「褒めて育てて」みたいな風潮は撲滅すべきですが、4歳児と朝のドライブをうまくやるために一歩譲るのは悪くない。そういえば『男子のトリセツ』でもそういう感じのこと書いてあったな。

 そして今朝。うわー、やっぱ鼻声だわ。「鼻かみなよー」という代わりに、ここで一ひねり。試しに「そろそろ格好いいお兄ちゃんは鼻がかみたくなるんじゃないかな~」「ティッシュ取りたくなったら言ってね~」「あ、信号だ、チャンスだよ~」といったら、なんと!

 「ママ、今がティッシュのチャンスです!」だってさ。これはキタぞ。それだけでなく、そのまま鼻をかみ始めるではないか。私もここぞとばかりに「あら、なんかとっても上手に鼻をかむ音がするな~!」「きっとすーっごくすっきりしてるんじゃないかな」「もう一回やったらもーっとすっきりするんじゃないかな」「うーん!やっぱりいい音!さすが年中さんは違うな~」とこのあたりになると、もう面白くなっちゃってきて何の漫才やねんな感じでオーバーリアクションしていて、そのうちにとっても楽しく保育園に着きました。

 いくら何でもちょろすぎるのではないだろうか?しかしまあ、しばらくは利用させてもらおう。


 ちなみに、「早くして」「いそいで」がなんか気に障るらしいんだけど、近頃は「電光石火だよ!」というと電光石火で動いてくれます。

2024/04/02

着物学び直し

  着物が着たくなったのだが、20年前茶道していた時に教わった着付けがしっくりこないので春のうちに、と隣町の呉服屋さんにワンコインで教わりに行っている。

 たぶん昔教わった方法は(*)、「時間がかかっても形にはなる/どんなに動いても見苦しく着崩れない」が重視されたスパルタなものだったし、ピンと張ったお太鼓至上主義だったし、学生茶道なので衿合わせがかなりストイックで最低限の抜き方だったと思う。お蔭で、今まで留学中含めて楽しみのために着た時にもとんでもない崩れ方をしたり下着がびろっと出たりそれを指摘されたことはないし、水商売みたいとか言われたりもしなかったので「二度と着るか」な気持ちになるようなことはなかった。都度疲れたけど。去年秋の七五三の時も、6時起きで着て2コマ授業したあとで写真館と神社を梯子したらへろへろになったし、今見るとコーディネートにもう一工夫加えていたら…とは思うが、写真を見て恥ずかしいほどではない(たぶん、ヴェリイに載っている最新流行のピエロみたいなセットアップの洋装よりは10年後も安心して見れるんじゃないかとも思ったりする)。ので、なんだかんだ、失敗したときに致命的にならないようなベースを作ってもらったんだなーと思い、そのおかげでまた着たいと思えるのはラッキーなことである。

 今回の着方教室は外せないポイントと遊んでいいポイントを動きながら教えてもらえるのが楽しいし、動きのコツなども参考になる。いつも着物でお店で立ち働いているご夫婦に、楽しいよ、姿勢直ってきたら崩れないよ、と言われたら説得力があるというもの。

 袋帯二重太鼓の前結びに続いて、長めの半幅帯を教えてもらう。運転にもオススメのカルタ結びがうまくきまって、脱ぐのがもったいないけど草履も足袋もないし……と脱ごうとしたら、「紬だしスニーカーで帰って大丈夫ですよ」と!スニーカーに柄のソックス、ショールを羽織って洋服を風呂敷包にして帰りながら、大丈夫とはいってもちぐはぐ感は否めないのだけど、ぶわーっと自由になったような気がして、嬉しくてついコンビニ寄ったりしてしまった。これで半襟を濃い目の色にしたりして、革っぽいシュッとしたスニーカーで、靴下は着物か靴ど同色か敢えてどこか色を取るかしたら、茶色の紬は受け止めてくれる気がする。この先スニーカーを新たに買うときに「着物で和洋ミックスは行けるか」は考えてしまいそうだ。ついでに和装で草履でお出かけのときに仰々しい感じや大人しくしなきゃいけない感じがしすぎたら足袋を色にするのもありかもしれない。どちらもお茶の着方ではありえないことだけど、厳しいスタンダードを一応知識として持ったうえで、敢えて踏み越えられるというのは随分と気持ちのいいことだと思う。…とまあ、格好よさげなことを言っているようだが、着付けの基本の手順も完全に度忘れしていたものがあったし、初めて聞く!みたいなのもあったので、たまに人に見てもらうのは本当に大事だとも思うのでした。

 

(*)先輩のうちに一式持っていって注意点を聴きながら一緒に着る、というのを2回ぐらいやって、茶会練習の時には着て授業を受けたあとタクシーで寺に行くのでまさにスパルタだった。茶会練習だけじゃ動けるようにならんな、と思って1年間お運びバイトをして、それでなんとか動けるようになった。

2024/03/01

さいきんのヒットなど

  四歳児はすごい。ほとんど自在に言葉を使い、周りもそれを自然なこととして対応してしまう。わからないことが出てきたら説明したら理解してしまう。これ2000円で安かったの!などと夫に言った言葉を拾って「せんはひゃくが十個だから高いよねえ」などと言っている。いつのまにか箸が使えたり、いつのまにかハサミで曲線を切っていたり、去年の夏に買ったときにはまだ乗っかるだけだった自転車を半年ぶりに出したら、いきなり漕ぎ始めてブレーキの実験始めたりする。私は車で自転車運んで空気入れただけ。びっくりだ。

ー朝の忙しいとき、私があたふたしながら急いで着替えさせようとしていたら

「ママ、こっち向いて?にっこりして?うん、すごくかわいい!40歳でとってもおおきいね!」

ー朝、私がシャツをずぼんに入れるか出すか迷っていたら

「そっち(入れるほう)はちょっとしぶいけど、そっちのほうがいいんじゃない?」

ー髪の毛伸びてきたなー、と言っていたら

「だいじょうぶだよ。ママ、もうすぐかんざしできるんじゃない?」

ー夜ごはんの終わりがけに

「きょうはさ、おみずがまだちょっと残ってるからとくべつにデザートたべることにしない?」(お酒が残ってるからツマミを出そうとする我々の習性に学んだか)

追記

ーレゴで街を作って遊んでいるとき、灰色の旧式電話の受話器状のものを拵えて

「これから、しんど7のじしんがおきます。じしんのときには、オッケーグーグルの『じしんすとっぷ』のぼたんをおすととまるんだよ。だれでもおしていいんだよ」そんなの本当にあったらいいのにね。

2024/02/16

ファーティマちゃんのおはなし

  秋頃から坊が寝る前の絵本に加えて電気を消してから「おはなし」を所望するようになった。確か最初は電気を消しても一向に黙らない坊を黙らせるために私が始めたもので「とおいところのお話」か「とおい昔のお話」、短めの民話やら、小さいときの思い出話やらでしばらくは一日一つ二つ短編をまとめていたのだけれど、さすがに2か月くらいもするとネタ切れになってきたので連載にすることにした。「これは前の話の続きなんだけど」と言ったら結構覚えていることが判明したし、設定が一度できている方が話がしやすい。

 その中で一番長く続いているのが「ファーティマちゃんのおはなし」である。

 15世紀あたりのペルシャのイスパファンかタブリーズの学問の家系に生まれ、12歳にしてアラビア語とギリシャ語とラテン語を解して家の本を全部読んでしまったファーティマちゃんは、退屈して世界を見に旅に出る。バグダッドの王宮でジャスミン姫とお友達になって支援を得て、コンスタンティノープルでは町で一番大きい本屋で11歳のアリ君と毎日ミントのお茶を飲みながら語らい、アリ君の親戚のファーナ姉さん23歳が絨毯の商いをするための隊商にくっついてヴェネツィアへ。ヴェネツィアでは逆向きに旅をしようとするマルコくんとお友達になり、ファーナ姉さんが絨毯を全部売ってガラス玉とワインカップに変えてコンスタンティノープルに売りに帰るかわりに、船乗りのアルヴィーゼ君28歳とアメリゴ君28歳と一緒にローマを経由し、教皇庁の図書館を見たり教皇とおしゃべりしたりしてマルセイユへ(途中ジェノヴァの18人の海賊に襲われるが機転を利かせて8人に寝返らせる)。アルヴィーゼ君たちが8人の水夫たちと一緒にアメリカの方に行くので別れて版画職人のマルティンさん43歳と奥さんでお人形作家のヨハンナさん34歳と一緒に北上してパリを目指し、しばらく過ごしたあとバーゼルへ、バーゼルの工房に夫婦が落ち着いたので、そのあとトマスさん50歳とハンスさん30歳と一緒にロンドンへ。今は結局アメリカ大陸まで来ている。

 いちいち、新しい街で出会った人とお友達になってお茶とお菓子を食べたり、おいしいものをたくさん食べるパーティーをしたりするし、たまに新しいお洋服を作り、旅の途中ではしょっちゅう襲われて、そのたびに色々な方法で撃退したりお友達になったり、お友達になった人が身の上話をしたり、長い手紙を送ってきたりするので、時空が飛びまくっててネタ切れにならないしとても楽しい。問題は名前が思いつかなくて適当に世界史のうろ覚えから引っ張ってるからアテネの学堂状態(というとよく言いすぎか)なのと、その都度年齢設定をさせられるのを覚えるのが大変で、そろそろ設定ノートを作らなければならないのではないかと思ったり、でもそれも負けのような感じがしたり。でも年齢だけ本当に覚えていられなくてこまる。