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2014/06/22

虚空に向かって忙しい、とか言ってみますか

 授業準備関連の調べ物で30年前の英語論文を見つけて読み始めたらそれが面白くって。作品を前にした人が皆見ているはずの視覚的な情報を、言葉にしていくことで、確実に見えなかったものが見えるようになり腑に落ちていく感じは美術を語ることの根本的な快楽だと思う。
 相変わらず勉強が足りないことばかりなものだから、やらなければならないことは悉く面白く、ただただ時間だけが足りない。その割に雨がちな日が続くと気力体力が妙に削がれて無駄なくタスクをこなす状態からは程遠かったりして。まあ、色々と宙ぶらりんだと余計にメモリを喰うから、出来るものは各個撃破で一斉掃射、それが難しい仕事だというなら、少しでも今日の内に明日のスタートラインを進めておくことだ。こういうと簡単そうに見えるでしょう?

2014/06/18

緊箍児的日常

 週末で体調は持ち直したと思ったのに、昨日の後半から酷い頭痛に悩まされている。今日の午後になって何とか止んだが相変わらず身体が重い。低気圧とホルモンバランス、それに往復二時間超の高速道路を雨の中運転したのが原因なんだろう。授業の後からは眼鏡にしているけれど、何かしらマシになってたりするものかしら。とにかく何をするにも目を使う。
 研究室にいても、仕事してるような気になるだけだから、と明日の準備をおわらせた時点で明るいうちに帰宅(っといっても19時なのだから情けない)。救いになったのは、ちょびちょび読み進めている原基晶の新訳『地獄篇』が素晴らしいこと。第三歌がすさまじい迫力で、さっきから何度か読んでるけどそのたびに震えが走る。

2014/06/14

見学会からのDVDからの勉強宣言

 A.S.バイヤットの『抱擁』は、確か学部3年か4年かそれくらいに読んだ。物語は、あまり冴えているとは言えない英文学者の卵が、研究対象である19世紀の詩人アッシュの書簡の下書きを偶然に図書館の本の頁の間から発見し、思わずノートに挟んで持ちだしてしまうことから始まる。書簡を調べるうちに、その相手である女流詩人との間に秘密の恋が見え隠れし、女流詩人の研究者であるモード・ベイリーとの共同研究が始まる。現代ではストーカーじみた伝記研究からフェミニズムまで、色々な文学理論や手法が、研究者たちの個性や信条と切り離せない関係をもって登場しては活躍し、ヴィクトリア時代では二つの静かな生活を焼きつくすような恋が燃え上がって、現代の(とはいってもデータ管理をPCでなくカードでやってる頃だ)研究者たちの人生にも浸食してくる。
 すごく気にいったミステリであり恋愛小説であり研究者の生態であって、映画があると知った時にはすぐにでも観るべしと思った割に忘れていたのを先ほど観賞した。モード・ベイリー役のグウィネス・パルトローが輝くようで、並行して展開するヴィクトリア朝の世界は美しいだけでなくてラファエル前派の画家まで出てきてくれるし、伝統的な図書館の造りも懐かしくわくわくする。同じ背景の中を現代と19世紀とを自由に移動する編集も(特に機関車の走り出てくる場面!)効果的で素晴らしかった。
 今改めて観ていると、資料を黙って持ち出したりしている場面にはかなりひやひやさせられるが、やっぱり一次資料(の新発見)は何よりの冒険だ、と改めて。勉強しよう。の前に、寝よう。

2014/06/08

なんてことだ

なんてことだ!五ヵ月もほったらかしにしていた。放っておいている間に更新へのハードルが高くなってさらに更新への気持ちがにぶるという私には思ってもみなかったような(だってハードルも何も、頭のなかのぐだぐだをそのままぐだぐだ書き散らしている以上のものではないはずですからね!)良くある問題が起きている。その間にも一応仕事で何かしら生み出してはいるのだし、よい方に考えれば現実の中でアウトプットがきちんとできているからここに来る必要もないのだとも言える(だが、それではあの青い顔の本とか140文字のふせんを貼っていくパブリックな掲示板も必要ないのが本来ではないだろうか?)けれども、それはそれで流れる時間の中に埋没して気付いた時にはエンドロールが耳を通過するなかで、取りこぼした記憶を拾い上げようと必死になるなんて悪夢みたいなことが起きるんじゃないか。