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2017/02/19

観たもの備忘録ーリンカン、わからないまま最善手を打つこと。

 『リンカーン』(スピルバーグ監督、ダニエル・デイ=ルイス主演、2012)、今まで観ていなかったのも不思議だが、録画していたのを観た。今の時代になって観てよかったかもしれない、政治の難しさや不純さと、(「にもかかわらず」というか「だからこそ」というか)その世界を変える力に、圧倒されるような救われるようなストーリーだった。
 奴隷解放宣言を受けた合衆国憲法の改正を成立させることがメイン・トピックなので、表舞台は大統領のいない議会だし、南北戦争の戦闘や有名な演説などは前景化していない。それもあって、派手な場面ではなく、一見そうと見えないようなところで、大きな心境の変化や重大な決定が起こり、コマが動く。
 ちょうど思い出したのが、読み途中だった鷲田清一『素手のふるまい』(朝日新聞出版、2016年)三章、志賀理江子の北釜での活動から出てきた「「わからなさ」をいただく」という表現を膨らませてある部分。これが、リンカンが不確実な要素だらけの中で、どちらが上と優先順位を付けられないくらい重要な事案ばかりの拮抗するなかで、自分の考えをまるまま理解し受け入れる人が誰一人いない壮絶な孤独のなかでギリギリのところで選択を下していく(それは歴史に残る偉業になったけどその所為で大分人が死んだことになっている)様子とつながった。長いし、すごく関係あるって感じでもないけど引用しておく(借り物の本だし)。
いや、そもそも人の智慧というのは、わからないものに直面したときに、答えがないまま、つまりはわからないままに、それにどう正確に処するかにあると言ってよい。イデオロギーとはだれも正面だっては反対できない思想のことだと、最初に行ったのは柄谷行人だと記憶するが、いまわたしたちの社会に流通している「エコ」「多様性」「安心・安全」「コミュニティ」「コミュニケーション」「イノヴェーション」などの観念は、それを仔細に吟味すればさまざまの不整合や撞着に突き当たるはずなのに、さらなる吟味を抑圧し、それに対して正面からは異を唱えさせなくする思考の政治力学が根深く働いている。わたしたちの思考を催眠状態に置くような力学であるーー「アート」もまたこの力学に巻き込まれており、それがイデオロギーというべきこうした範疇の諸観念と安易に接合することに抗って、わたしはこの原稿を書いているーー。そして、思考を停止させたまま、含みもなければ曲折もない、そんな単純な物言いが、あるいは不満や不安の強度を単純に高めるだけの粗雑な物言いが、言論の表面を厚く覆っている。屈折もなければ否定による媒介もないそうした思考には、他の人びとの思考の痙攣との過剰な同調はあっても、それをわからないままに抱え込んでいられる奥行きはない。あるいは、すぐには解消されない葛藤の前でその葛藤にさらされ続ける耐性というか、ため(傍点)がない。
しかし、個人の人生であれ国家の運営であれ、そこでほんとうに重要なことは、すぐにはわからないけれども大事なことを見さだめ、それに、わからないまま正確に対処するということである。   鷲田清一『素手のふるまい -アートがさぐる未知の社会性ー』(朝日新聞出版、2016年)104-105頁

 一つ一つの場面の構図や色調は本当に美しくて絵のようで、ダニエル・デイ=ルイスは無論のこと(もう一つ好きだったのは、あれだけ優れた演説をする人だが、それが頭のなかにある膨大な思考や文学から血肉としている言葉や他の学問やらの蓄積からするとほんの一部だということがはっきりわかるように造形されていたこと。口に出されなかった膨大な言葉があって、そこから間一髪の選択で表に出てきた言葉だからこそ力を持つ)、その周りの老獪な政治家や軍人も見ごたえがあった。ちょっとひょろっとした感じの息子がジョゼフ・ゴードン=レヴィットだからなのか矢鱈とチャーミングだった。

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