そういえば、連休に観たもののなかに『シング・ストリート』(ジョン・カーニー監督、アイルランド・アメリカ・イギリス、2016年、公式ページこちら)。『Once ダブリンの街角で』がまず大好きでサウンドトラックもしばらく聴いていたし、『はじまりの歌』も、こちらはそんなに音楽は好みというわけではなかったけどやっぱりイイ。これたちにも増して、『シング・ストリート』は素晴らしかった!
音楽は全てを賭けるに値する、というのは結構ありふれた信念ではあるけど、このジョン・カーニーという監督、そういうことをいってるひとでは、『ラ・ラ・ランド』『セッション』のデミアン・チャゼルと比べると37倍くらい人間として尊敬出来ると思う。比べるのもなんだけど。全てを賭けるに値する音楽に出会うことが出来たら、誰でも、いつでもどこでも何があっても、誰とでも、もう、大丈夫なのだ。そういう、なんてシンプルなメッセージ、なのに不思議なほど納得しちゃうのが音楽の凄みである。
今回のは、85年のアイルランドで不況真っ只中なのに、ロンドンと世界への羨望で眩しいくらい。しょうもないお父ちゃん役でGoTの「リトル・フィンガー」がしれっと出てくるので無駄に胡散臭いけれど。憧れのキラキラをまぶしたようなロックンロールが出てくるたび素敵で、ほんの子供みたいな役者がハッとするくらいよい声を聞かせる。青色のサイダーとか缶詰のチェリーみたいに儚げで、無理くりリメイクした大きなセーターや端が色あせた古着のジャケットが、フューシャピンクの安口紅やデイヴィッド・ボウイ風頬骨シャドウの効果で一瞬雑誌から出てきたみたいに見える。ピーターパンが飛ぶときに使う光の粒みたいに、昔ちょっと使えた魔法を取り戻す、大人のためのおとぎ話といったところ。そして、馬鹿みたいに思われるリスクを冒してもやっちゃう音楽と一緒なら、いくつになったって「もう使えない魔法」なんてないのだ。
今回のは、85年のアイルランドで不況真っ只中なのに、ロンドンと世界への羨望で眩しいくらい。しょうもないお父ちゃん役でGoTの「リトル・フィンガー」がしれっと出てくるので無駄に胡散臭いけれど。憧れのキラキラをまぶしたようなロックンロールが出てくるたび素敵で、ほんの子供みたいな役者がハッとするくらいよい声を聞かせる。青色のサイダーとか缶詰のチェリーみたいに儚げで、無理くりリメイクした大きなセーターや端が色あせた古着のジャケットが、フューシャピンクの安口紅やデイヴィッド・ボウイ風頬骨シャドウの効果で一瞬雑誌から出てきたみたいに見える。ピーターパンが飛ぶときに使う光の粒みたいに、昔ちょっと使えた魔法を取り戻す、大人のためのおとぎ話といったところ。そして、馬鹿みたいに思われるリスクを冒してもやっちゃう音楽と一緒なら、いくつになったって「もう使えない魔法」なんてないのだ。
私という人間は、常々『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を「許せん!」って主張しており、このたび『ラ・ラ・ランド』でもなんか具合悪い感じがして、何なんだろう何なんだろうと首をひねった結果、先だって「歌って踊って事態が好転しないなんて許せない」っていう、なんとも単純な信念によるものであるらしいことが判明した。そこで、そう、周りの人々に報告したら「もういいからインド映画でも観てろ」って笑われたのだが(そういう決めつけはインド映画に失礼というものである!)、『シング・ストリート』を観た今、大手を振って「へっへーーん!」って鼻を鳴らしてやりたい気分である。歌って踊って幸せになる、こんなに素晴らしい作品だって可能なのよって。
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