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2017/11/13

両手に灰を掬いあげてぎゅうっと握れば

ーーいつかはダイヤになるだなんて、ダイヤなら傷つかないなんて、ダイヤのモンドが永遠なんて、他人の夢さ(キリンジ『ムラサキ☆サンセット』)

 週末、シエラレオネで476カラットの巨大ダイヤが採掘されたとニュースにあった(AFPニュースリンク)。その前にも今年春に709カラットのダイヤが見つかり、政府に託されて12月にニューヨークで競売にかけられる(ニュースリンク)。こうした発見をニュースとして公表し、販売経路や利益の使い道を明らかにしておくことで、紛争ダイヤの一大中心地としての過去との決別を示す狙いがあるのだそうだ。

 紛争ダイヤモンド(Blood diamond)とは、内戦・戦争を行っている地域で算出され、武装勢力の資金源となるダイヤのこと。現在は、暴力に加担していないことを証明するキンバリー・プロセスという認証制度が世界的に広まって日本も加盟しており、まともな宝石店で買えるダイヤはその認証を経たものとなる。ジュエリーブランドの中には、平和的なダイヤであるということを強調して広報したり、フェアトレードの考え方を取り入れて産地、採掘方法および加工・取引の経路にさらに制限を加えている所も多い。
 もともと光り物が好きなのに加え、しばらく諸事情からダイヤモンドについて真面目に考えていたので、上のような話も一応見知っていた。とはいえ、この間DVDで映画『ブラッド・ダイヤモンド』(エドワード・ズウィック監督、2006年、アメリカ)を見て、シエラレオネ内戦(1991-2002)のあまりの残虐性と、そのダイヤとの密接な関わりにかなりショックを受けた。幾分誇張されてもいるとはいえ、内戦および革命統一戦線(RUF)による占領・略奪・破壊によって実際に死者が7万5千人を超え、国民の半数以上が難民となったというのは実話。住民をダイヤ採掘のため強制労働させ、あるいは反対者の手や足を切り落とすことで戦意や生産力を削ぎ、子供を洗脳して麻薬付けにしてカラシニコフをもたせ、少年兵として虐殺に加担させるなどが、全て本当の話。しかも、驚くのがその新しさで、全ては私も生きていた同時代に行われていたということになる。キンバリー・プロセスの話がまとまっていくのが2000年代なのだ。
(アフリカのナポレオンといわれたセシル・ローズ1853-1902、ダイヤモンドの原石売買の大元、デビアスの創設者である。彼の名前に由来するローデシアという国が、ザンビアとジンバブエとして後に独立する。)
 植民地から独立したあとのアフリカ諸国の中には、部族間の問題が内戦に発展したり、政治の腐敗に端を発するインフレや飢饉から抜け出せずにいる場所がいまだ多い。けど、フランスにいたときのアフリカの近さと比較すると、ここではごく単純化されたセンセーショナルな情報しか伝わってこない印象が強い。『アフリカ・レポート』のもう少し新しい版みたいな感じとか、今の様子がわかるものがないかな。今は、カプチンスキの『黒檀』というルポルタージュが河出の世界文学全集に入っていて、ちびちび読んでいるのだがこれは人間のリズム感がわかってかなり面白い。


 ちなみに『ブラッド・ダイヤモンド』には、アフリカ大陸生まれの白人傭兵兼ダイヤ密輸ブローカーのアーチャーという役でレオナルド・ディカプリオが出ていて、抜群に複雑でよいキャラクターを演じている。白状すると、この映画で一番印象にのこったのは、紛争の残虐さではなく、ジープからラリッた兵士が闇雲に打ちまくる散弾銃の銃弾の隙間を、人を連れて的確に逃げる彼の格好良さです。銃弾が飛び交う中で生き延びる方向に走れるというのはこれほど魅力的に映るのか。そもそもこの男は、不幸な幼少期を過ごし、天涯孤独で、傭兵としては有能な右腕であり、法の網をくぐる密輸人として成功し、にも関わらず現状から抜け出したいと思っていて、平気で嘘をつき、必ず裏切りそうで、なのにたまに情に流され、殺しても死にそうにないのに被弾し、だますつもりだった男を助けて眺めのいい場所で死ぬ…と、どこをどう切り取っても完全なるセクシーが服を着て歩いているような感じ、まあ、控えめに言っても現実の世界ではちょっとも関わりたくないけれど、眼福は眼福、「果たして人間とは悪なのか、善なのか?」と映画の中で出てきた問いに、もうひとりの主役ソロモンという黒人は「人間は人間だ」と答えるけれど、人間が人間であるが故の割り切れなさが凝縮されたような魅力があるので、是非ご覧あれ。

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