「夢のような瞬間」というのは、人生のそこかしこに散らばっているものだけれど。
何度も反芻してしまうのは、子が生まれた数時間後の、朝のひとときだ。
長い闘いのあとで、初めて対面したのは深夜を回ったあたりだった。風も結構強いタイプの吹雪の夜だった。そのときには、とにかくまずは「終わったー」で、感覚も感情もメーター振り切って、笑ったり泣いたり、もう大丈夫ですよとかすぐ終わりますからねとか言うけど全く大丈夫でなくずいぶん長くかかる様々な処置に耐えたり、ほっとしたり、その底に恐怖がまだあったり、ぐちゃぐちゃで何がなんだか正直よくわからないような感じだった。
その後随分してから部屋に移されて、一人になって、休むように言われる。寝返りをうとうと身じろぎするだけで身体がばらばらになりそうで、かろうじて枕元にあった水とチョコレートを口に運び、眠れないながら目を閉じている二時間くらいのうちに、身体と頭がゆっくりと冷えてきて、朝が来た(あとから知ったけど、かなり酷い貧血だった)。
預かってもらっていた子が、コットの中でバスタオルに小さくくるまれて戻ってきた。寝ている状態でも、透明のいれもの越しに帽子をかぶせられた小さな頭と、ぎゅっと閉じられた目が視界の端に入った。取違いようのない、強い眉。
魔法みたいだった。本当に、いる。
頑張ってベッドの柵に手を伸ばし、よろよろ身体を起こすと、丸いバスタオルおくるみの全部が目に入った。小さく息をしている。冷たい身体を満たしている壮絶な空腹と倦怠感と頭痛の真ん中に、陽の光が当たったような幸せがじわじわと沁みていくのがわかる。
夢じゃなかった。
何度も反芻してしまうのは、子が生まれた数時間後の、朝のひとときだ。
長い闘いのあとで、初めて対面したのは深夜を回ったあたりだった。風も結構強いタイプの吹雪の夜だった。そのときには、とにかくまずは「終わったー」で、感覚も感情もメーター振り切って、笑ったり泣いたり、もう大丈夫ですよとかすぐ終わりますからねとか言うけど全く大丈夫でなくずいぶん長くかかる様々な処置に耐えたり、ほっとしたり、その底に恐怖がまだあったり、ぐちゃぐちゃで何がなんだか正直よくわからないような感じだった。
その後随分してから部屋に移されて、一人になって、休むように言われる。寝返りをうとうと身じろぎするだけで身体がばらばらになりそうで、かろうじて枕元にあった水とチョコレートを口に運び、眠れないながら目を閉じている二時間くらいのうちに、身体と頭がゆっくりと冷えてきて、朝が来た(あとから知ったけど、かなり酷い貧血だった)。
預かってもらっていた子が、コットの中でバスタオルに小さくくるまれて戻ってきた。寝ている状態でも、透明のいれもの越しに帽子をかぶせられた小さな頭と、ぎゅっと閉じられた目が視界の端に入った。取違いようのない、強い眉。
魔法みたいだった。本当に、いる。
頑張ってベッドの柵に手を伸ばし、よろよろ身体を起こすと、丸いバスタオルおくるみの全部が目に入った。小さく息をしている。冷たい身体を満たしている壮絶な空腹と倦怠感と頭痛の真ん中に、陽の光が当たったような幸せがじわじわと沁みていくのがわかる。
夢じゃなかった。
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