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2022/09/01

乗り物あつまれ

 2歳8か月現在の備忘として

乗り物一般:「タイヤあるやつ」

・電車

山陽本線普通:「黄色い電車」

新幹線諸々、桃太郎(貨物列車):その名称で

山の手線:「やまのせてん」

地下鉄丸ノ内線:「パパの赤い電車」

・働く車

ブルドーザー、ホイールローダー、コンクリートミキサー車、ダンプトラック、コンテナトラック、タンクローリー、フォークリフト、ウイングトラック、ごみ収集車、路線バス、幼稚園バス:その名称で

軽トラ:「小さいトラック」あるいは「けいととらっく」

クロネコヤマトの宅配車:「ニャンニャントラック」

ヤマザキパンの運搬車:「パンパントラック」

サカイの引っ越しトラック:「パンダちゃんトラック」

*追記 現金輸送車:「げんきんせいそうしゃ」(マネーロンダリングというやつ…これ、農協あたりでよく見る警備会社の窓つぶしたバンを「現金輸送車かな」といったら気に入ったみたい)

・普通車他

日産ノート(赤):「ママの赤い車」「ママの赤い車とおんなじやつ」

日産ノート(ほかの色):「ママの赤い車のほかのやつ」「ママの車とおなじやつ」

その他の赤いコンパクトカー:「赤い車」

オレンジ色のコンパクトカー:「おねえさんのオレンジの車」(同じ駐車場の幼稚園のお姉ちゃんのところが乗っているので)

トヨタクラウン(白・銀):「しゃちょうの車」(同じ駐車場の「社長」のところに停まっているので)

トヨタプリウス(白):「ぷりうすのよその車」

トヨタプリウス(黒):「お兄さんの車」(同じ駐車場で男性が乗っているので)

軽自動車一般:「黄色いなんばんプレートの車」

ミニバン一般:「バスみたいな車」

SUV一般:「かっこいい車」「大きいタイヤの車」

ジープ:「じーぷの車」「かっこいい車」

トヨタの黒いピックアップトラック:「かっこいい車」


多くは、会話の中で私が何気なく言った言葉を拾って使っているのだろうが、最後3行は私が口にした覚えはあまりない(SUVよりスポーツカー風のが格好いいと思う、ので図鑑ではフェラーリの赤いやつを「これママの車だね!」、駐車場にあるアルファ・ロメオを「これママの車にそっくりね!」とか言ってホラ教えてます)ので、多分本人の好みなのだと思う。ちなみに、ピックアップトラックが一番目が輝いている。男子が最近人気のSUV欲しがるのは二つ子の魂かしらん。

2022/07/26

「けけちゃま」考(なのか?)

  2022年4月、「おかあさんといっしょ」のうたのおねえさんが「あつこおねえさん」から「まやおねえさん」に代わり、木曜日は「プリンセス・ミミイ」コーナーから「しりたがえるのけけちゃま」になった。どぎついピンクのけけちゃまの声をゆういちろうおにいさんが演じ、視聴者=おともだちの質問を出発点に他のメンバーの一人にインタビューをして、会話からお互いの好きなもの、海でやりたいこと、すきな恐竜etc.、色々なことを知るというもの(たとえば、こちら)。ゆういちろうおにいさんは水曜日の「シルエット博士」も担当なので大変そうだ(ただ、おともだちはいずれのコーナーも中の人がゆういちろうおにいさんだとは知らないことになっている)。私はこの「けけちゃま」コーナーのゆるい会話に無茶ぶりをぶっこんでくる感じがかなり気に入っていて、「おかあさんといっしょ」はうちでは夕食後の片づけ~お風呂前の家事時間に使うのだけど、「けけちゃま」のときはいそいそと坊の横にいって一緒に見たりする。会話のぶっとび加減のほか、注目しているのが、最後にさしはさまれることのある「けけちゃま、きょうもいろんなことがしれたけろ~!」みたいなかんじの一言である。Eテレの子供番組で、コレを使うようになったか!と、変な感慨なのだ。

 コレっていうのは、講義課題のなかの感想コーナーで頻出して、どうにも落ち着かなかった「~が知れた」「~だということが知れてよかった」表現である。はじめ一種の方言かと思っていたけれど地域限定というわけでもないらしい。おそらく私なら「知ることができた」「知識が得られた」、あるいはもう少しカジュアルでいいなら「わかった」と書くところで、なんでかこの「知る」に直接可能の助動詞のラ行を付けたものには違和感があった。

 少し補足すると、私は言語学の専門家じゃないし、日本語の先生とかでもない。マナー講師よろしく言葉尻ひっつかんで上に立とうとか思いません。嫌いな表現は好きな表現と同様たくさんあるけれど、言葉は変化するものだという前提で、「他ではなくこの表現を使うことで何を言おうとしているのだろう」と考える。

 知るに可能の助動詞を直付けすることへの違和感には、can knowと言わないとかknowだけでやや可能のニュアンスで使うことがあるとか、少し関係があるかもしれない。でもknowが「知っている」状態を指すのに対して「知る」自体は自分の動作の動詞だ。比較対象として、「わかる」の場合は多分、「知る」よりも自分に心理的に近い領域を対象にしていて、しかも、少し操作や解釈を経て「理解する」という動作になる。そこには時間の幅があって、自分のアタマや心の能力の介在も重要になってくる。現在の口語では「わかる」「理解する」には幾分「賛同する」ニュアンスも加わるかもしれない。

 一方、「知る」対象は、客観的な事実や、歴史上の出来事や、変わった作品や、便利な概念、いわば乾いた情報である。対象が情報であれば、理解できるとか賛同するとか関係なく、「知っている」か「知らない」かどちらかであって、残酷に二分される。ここでの問題は、その情報にたどり着けるかである。つまり、「知らない」から「知っている」への飛躍は、自分の「知る」動作というより、自分が情報にアクセスすることを可能にした本なり先生なり友達なり、他者が大きな役割を果たしている。

 「けけちゃま」は、おともだちの質問があって、パートナーのおにいさんおねえさんからの情報があって、色々なことを「知れる」。情報へのアクセスを可能にした諸々への謙虚な気持ちが、「知った」でなく「知れた」と言わせるのだろうと思う。そして、その「知識」は自分自身にはあまり身近なものではなく、積極的にわが身に関連するものではない「客観的な情報」だという思いが、たぶん学生さんにとって「わかった」ということを「おこがましい」と感じさせるのじゃないか。でもって、「情報を得た」「知ることができた」ではなく、一段日常的な「知れた」を用いることで、ひょっとすると情報提供者に対しては親近感を示しているのかもしれない。(で、近頃あまり見なくなったのは、私が年を取ったこともあってもう少しみんな硬い言葉を使っているのかもしれない)

 そんなこんなを考えると、イマドキの学生さんの、人当たりがよく、謙虚でうまい距離を保つのが上手な「いい子さ」と、検索能力次第で正確な情報へのアクセスが左右される、ネットの時代の知識のややこしさが、色々とあらわれた表現なのではないかと考えたりするのでした。

2021/11/27

お話みたいなホットケーキの(なぜそうしないかという)お話

  小さなころは、お話に出てくるホットケーキやパンケーキに憧れたものだった。小さめに丸く焼いたのをお皿に重ねて上からバターと蜂蜜をかけるやつ。バターはまだ溶けきらずに塊が見えなければならない。母の作るホットケーキは美味しかったけれどなんか違って、大きく焼いて放射状に切り分けられていたし、重なっていなかったし、バターはもう溶けてしまっていた。それで、六花亭カフェの中くらいのを二枚重ねて大きなバターをのせたホットケーキ一人前に狂喜し、自分で焼けるようになると、思う存分小さいのを重ねて冷たいバターをのせた。そして今、子供にホットケーキを焼いてやるようになって、あの大きさの意味を知る。動作ひとつひとつの速度を上げるのには限界があるから、アクション数を切り詰めるのは料理の正解だった!妹のところでも同じ結論になったみたいで、甥っ子の動画を見てると、どうみても中袋一つぶんを一枚に焼いた感じの分厚いのをケーキカットして幸せそうに食べている。思えば、今朝作ったかぼちゃ団子も、初期に比べてどうも一個の大きさが大きくなってきた気がする。祖母の家で食べる何もかもが大きかったのもひょっとすると同じ理由だろうか。

 ともあれ、分厚いホットケーキはふかふかしてて幸せこの上ない。でも、もし坊がこの先、小さいホットケーキをたくさん重ねて食べてみたいといったら、子どもの心をわすれていない大人の一人として付き合って作ろうと思う。奴の場合は大きいホットケーキをたくさん食べたい、になりそうだけれど。

2021/10/05

キャロットケーキ

サラダオイル120g, 三温糖120g、卵2個、小麦粉160g、BP6g、シナモン、ナツメグ、オールスパイス少々、ニンジン170g(少し減らして別の果物などを入れても)、砕いたくるみ50gほど、レーズン50gちょい(なくても)、170度のオーブンで50分 

2021/08/31

閉塞感の原因と対処法をまとめてみる

  二度ワクチンを打って二週間経って抗体が付いたあとでもウイルスの運び屋になりうるらしいという知らせには、そこそこ尾を引くダメージを受けている気がする。びっくりするくらい早くに仰天するくらい効くワクチンが作られて、アメリカやイギリスで一年ぶりにハグしてる親子やオープンカフェでおいしいものを囲んでいる写真なんか流れて来てもどーせウチはまだまだなんでしょと思ってたら、周囲見てると秋口には終わりそう(*)。何とか逃げ切れたら重症化のリスクは減るだろう。でも運び屋になりうるなら、ワクチンを打った人同士で軽症を分け合う覚悟でしかマスクを外せないということになる。子どもは打てない。そううまい話があると思うなということらしい。

 この閉塞感は、マスクのせいなのか、ワクチンの副反応かその後の夏バテなのか(**)、自転車操業の前期が折角無事終わって研究が出来るのに、一日三食炊事し咀嚼し咀嚼させ皿洗いし運動し運動させ睡眠し睡眠させ洗濯し掃除し排泄し排泄させ、言葉をしゃべりだした息子は感動的な同居人だが、それをおいておいても日々の基調にある繰り返し、一回一回全く簡単にならず、別の難しさを繰り出してくるけれどこちらは目に見えて習熟したりすることもなく気まぐれに翻弄されるような繰り返しはたまに絶望的だ。

 そんで関東で、日本のどこかで、アフガニスタンで、人間が人間らしくない仕方で見殺しにされているニュースが堪える。

 まーしかし、私もここまでくると落ち込むののプロなので、大体解決策の方向性も心得ている。

 繰り返す日々に閉じ込められているような気分は、何も残せていないことが不安の一番の原因。研究をすればいい。しかもできるだけアウトプットの時間を多くとるといい。研究でない雑文でもいい。大事なことは後から見返すことのできる自分の手で作った成果であること。消えない方がいいから、この目的では料理や製菓ではない方がいい。ある程度時間と手間をかけたものが残るほうがいいので、この目的では買い物もあまり適さない。料理や買い物は別の目的では凄く良いときもある。

 家事が単調なのに時間を食うなら、時間をはかるといい。夕食のメニューを考える時間も計測する。無理やり可算的な尺度を導入することでスキルアップを可視化できるから充実感が違う。一人で実行できるものなら大体効く。坊と一緒のことだと、時間を気にするとイライラしてしまうので、別の手段をとって、「お手伝い」兼「遊び」にしてしまう。私がやるのは、私の方を出来るだけ複雑化し坊の方を単純にし、ハンディとルールをきめ細やかに設定すること。目的は二人が同じくらい楽しんでいるうちに仕事が終わるようにするという、ルール作りゲームである。私はおもちゃが部屋中に散らばっている状態からスタートして、坊はおもちゃで遊んだり掃除機に乗っかってバイク風にしたり、スイッチを押したり、箪笥の引出しの衣類を触ったり、掃除機かけのマネをしてみたりしているうちに、邪魔にされることなく玩具と本が片付き床は綺麗になる。このあたりは、もちろん毎回やる必要はないのだけど、だれてきて、なおかつ、いいかげんサボったり楽したり混沌を大目に見たりはもうできん!てなったときに導入するとちょっと華やぐ。

 それから漠然と世界や未来が怖い感じの時は、寄付することと、生活に必要なものを自分の手で作ること。寄付は、世界を少し優しいものにすることで自分がだいぶん楽になるというのと(あなたがこの世で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい byガンジー)、寄付金控除が受けられる方法であれば、政治への不満も少しだけ発散できるという利点もある。手作りは、全然一からではなくてもいい。ピザ作ったり、簡単なパンを焼いたり、お菓子を作ったり、衣類を繕ったり、簡単な玩具を作ったりする。そんなんでもきっと私は粉と水しかなくなったときに手打ちうどんでヒーローになれる。そういう気分になれる。本当はこういうときは野菜を育てたりしたいなと、戯れに家庭菜園付きの物件を探してみたり。

 (*)これは、ワクチンの有効性を理解するか信じて絶えずアンテナを張って郵便物を見逃さず親戚友人知人と情報交換して、インターネットに接続の上数桁の番号を間違えずに手打ちしながら情報を登録して予約フォームを正しく進むか数件電話をかけ続けたりして日程を確保し、仕事や育児の予定をやりくりして薬や食料をあらかじめ用意して、というのを本人か周りの人が出来てやっとこの時期で、正直フルタイムの仕事と家事育児と一緒にやってのけるのは結構狂気の沙汰だった。これで集団免疫はそりゃ厳しいだろうと思う。

(**)無論、政治の混迷の所為である。けどそっちは今やれることが限られているのだ。