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2020/10/23

んな場合じゃないけど気になっちゃっているものもの

 斎藤真理子訳の韓国現代小説。『キム・ジヨン』は辛かったけど、この前、帯状疱疹やっぱり罹ってしまってちょうどそこそこ混んでいる時に一人で病院に行けた時にパク・ミンギュの『カステラ』をお供にしたら大層楽しくて(*)、図書館で短編を選んではつまみ読みしている。

 同じ斎藤真理子女史のウェブ上のエッセイに「編み狂う」という編み物偏愛シリーズがあり、(編み狂うー水牛のように)本当に狂っていてカタルシスがある。編み物といえば去年の冬にせっかくあやふやだったかぎ針を覚えたので、何か編みたいとはずっと思っており、思っているうちにすっかり涼しくなってしまった。今はヒャッキンの針とアクリル糸でたわしでリハビリしているが、本当は坊の帽子なんか編んでみたいところだ。刺繍だと刺さる針と見えにくい糸とコトによるとビーズなんかで店開きしなければならず、完全に寝かせてからしかできない(し、寝かせてから自分の体力に余裕があるときは別の仕事で店開きをしなければならない)けれど、編み物だったら準備も後片づけも簡単で直ちに危険になることは少ないし。。

 『アンという名の少女』ネットフリックスの海外ドラマで、NHK地上波で週末の夜にやっている。といっても、最近は『ゴールデンカムイ』すら見る時間が取れなくて(夜に坊が落ち着いているか寝ていて夫婦そろって暇だといそいそと録画を見るのだ)、ひたすら録画が溜まっていっているのだが。オープニング映像からしてたまらん世界観で、風景がとにかく素晴らしいし、キャラクターがいちいち説得力のある配役&演技で新たな発見がある。

 そのつながりで最近知ったのが、文春文庫で『赤毛のアン』シリーズが松本侑子訳で完訳出版される見通しだということ。小学校高学年くらい?に読んだ赤毛のアンシリーズは、私が初めて「翻訳」を意識した経験だったと思う。『赤毛の~』は覚えていないが、『青春』がたぶん松本訳だった。その後の『愛情』以降が最初は村岡花子訳。有名だし時代を考えると大変有意義な訳だったのだろうけれど、私にとっては、とにかく古めかしく違和感があって、物語と自分の間に「訳」が邪魔をしているような感覚が強烈だった。古めかしいというだけなら、石井桃子や瀬田貞二の訳したものの古風な言葉遣いを逆に味わって楽しんでいたので、何か肌に合わなかったか、そもそも途中で訳を変えたのがいけなかったのだろうと思う。その後いつかのクリスマスプレゼントに、掛川恭子訳の山本容子の銅版画の挿絵付きの美しいセットをもらって、『愛の家庭』以降はおそらくこちらで。村岡版で読んだのを読み返すとずいぶん違って、分量も増えていて面白かった。と、長い話になってしまったが、『青春』でかなりすっと入ってきたけどその後がなかった(当時、近くの書店に)松本侑子訳が、フル訳注付きで復活して文庫になっているということ、これはぜひ読みたいと思っているところだ。これもいつ読むの?という話だけど…キンドルなら授乳中という手があるか、ちょうどポイント還元セールやってるし。

(*)そのときは、家で一人で作業を出来る時間があれば、家事が溜まっていなければ研究をすることになっていたので、そういうラッキーが重ならないとなかなか本を読めなかった時期。

2020/10/01

とりあえず我慢しとけ、みたいなのが嫌いなので -育児雑感(8)-

 この表題で書きたいことは山ほどあるのだが、今日は服薬の話。

 先日、胃であろう腹部と背中一部がまた痛くなって、しばらく様子を見ても治らないので病院にかかり薬をもらった。たぶん、胃を痛くしている原因(これは自分の仕事の方)と少し距離を置いて、二晩くらいぐっすり眠れば治るやつだと思うのだが、この二つ目が殊の外難しい。タイミング悪く、坊は虫刺されと風邪ひきかけの鼻づまりが不快らしく、一時間に一回レベルで起きるし、授乳だけでは寝てくれずに、私が寝ようとすると文句を言う。夫が仕事だったので、普段は子がお世話になっている診療所に電話して相談し、待合でなく空き部屋で待たせてもらうことにして子を連れて行った。

 先生に診てもらい、発疹未発生状態の帯状疱疹という可能性を若干残しつつも、胃が痛んでいるのは確かであろうということで、胃薬と痛み止め。「授乳中でも問題ないお薬はいくつかありますけど」と、一番典型的なのを処方してもらった。

 ところが、薬局で「この胃のお薬ですが、授乳中でしたらミルクに変えたほうが安心です」と言われる。先生に授乳回数や量なども相談したうえで大丈夫だと言われたと返すと、「でしたら大丈夫なのでしょう」と言われたが、こういうの、不安になるから本当にやめてほしい。

 妊娠中とか授乳中は「薬飲めないし大変だよね」という極端な情報が広まりすぎていると思う。それが、本当に科学的に影響が懸念されるからなのか、「念のため」なのか、その肝心なところが、いつも分かりにくい。特に、この文化圏では、妊娠出産育児に関して、民間信仰じみた我慢の強要が当たり前のように存在するので(何しろ、人口のうち大きな声と権力を持っていがちな方の半分の身には起こらないことだから)、とりあえず「あなたが少し我慢すればいい」に相当するような見解を示されたときには、深く深く疑って調べることにしている。

 妊娠中の服薬に関しては、本当に重大な影響がある可能性が高い超初期~初期だったり、早めに子宮収縮を促してしまうものだったり、臨月になっていざ、というときの処置と干渉するようなものだったりがあるので、産科に都度確認したほうがいいでしょう。

 とはいえ、あまり勉強していない医者は、臆してちゃんと効く薬を出すのを渋る傾向がないでもない気がする。妊娠中期に風邪をひいたときには、最初近くの診療所で出された漢方薬では鼻づまりが悪化し、嗅覚障害が一週間くらい続いてお盆のご馳走の味が分からなかったらどうしようと不安になったし、咳も残り、結局産科で西洋医学の方の咳止めをもらうことになった。また、つわりで、本当に食べられなくてつらいときに、効き目のひっじょーに穏やかな吐き気止めと胃薬を出されたときには(男性の産科医で、「吐いても食べろ」とか心ないことをいうから呪いそうになった)、諦めきるまでにヨーロッパアメリカのつわりの薬事情を調べまくり、キャサリン妃がやはりひどく苦しんだという情報でやっと諦めが付いたものである。無痛分娩であっという間にヒール履いて化粧して優雅に退院するプリンセスでも打つ手がないならまあ、仕方ない。思えば、豆粒ほどの坊が、うっかりすると階段二段飛ばしとかしてしまうデカい身体の中で安全を手に入れるための必死の策だったのかもしれない。彼ならやりそうなことだ(あ、この辺は「民間信仰」系ですね、その週数ではまだ意志はないはず)。

 授乳中に関していうなら、「薬の成分は母乳に移行します」というのは、当たり前の話だ、食べたものから血が作られ、その一部が母乳になるのだから。知りたいのは、量的にどれくらいからが乳児に影響があるか。成分としてどれが健康な乳児に悪影響を及ぼすのか。いつ飲んだ薬がいつの母乳に移行しているのか。

 私が、授乳中の服薬で参考にしているのは、以下のサイトの情報です。

授乳中に安全に使用できると考えられる薬 - 薬効順 -(国立成育医療研究センター)

 今回のガスターも、頭痛やなんかの時に役立つロキソニンやカロナールは勿論、花粉症のアレグラやクラリチンも、多くの抗菌薬や有名な抗ウイルス薬も、極端な量でない限り大丈夫だと考えられるし、その理由も載っている。頼りすぎは良くないといっても、ちょっと頼ることができれば、生活の質は大きく改善するものだ。

 大体、気軽に「いったん中止して」と言う人は、母乳育児のリズムを下手にいじると何が起きるのか知らないんだろうな。頻回授乳をいきなり止めると、母乳が詰まったりするし、それをちゃんと出してやらないと(これも技術とか慣れが必要、赤ちゃんがちゃんと飲むのが一番楽に出せる)炎症を起こして乳腺炎といって夜中物凄い悪寒に襲われて40度近い熱が出たりするし、悪化させると最悪切開しなければならなくなったりする。私が冬に39度熱を出した時には、母乳外来には「インフルエンザの検査をしてそちらを否定してから来るように」と言われたが、今なら、40度の熱で病院にかかるのはもっと大変だろう。それで母乳が出なくなったら今度はミルク、平均一ヶ月一万円といわれる出費は母乳の場合は幾分は母親の食費の方に相殺されているとして、準備も洗い物も外出時の荷物も増大する。分泌を維持するためには搾乳というが、それを、薬飲みたいくらいしんどいときに、子供への通常の調乳・授乳・片付け・おむつ周りのお世話に加えて、誰がやるのかというお話。

 こんなこと、まあ、どうしてもやらなければいけないとなったらみんなやっちゃうのだけれど、普通にしていても大変なのにさらに大変になるようなことなので、薬剤師の看板を掛けているような人は、通常の範囲の調べものと少しの想像をしてみたうえで物を言って欲しいと思った次第である。

2020/09/29

ホットケーキミックスなしで、普通のホットケーキ(備忘)

  ホットケーキかパンケーキか、いまだにどこらへんが分水嶺なのかわからないのだけれど、甘くないものがパンケーキならパンケーキかもしれない。色々なサイトで調べて作って、大体このあたりだろうという覚えやすい分量をメモしておく。18cmのフライパンで厚めのが2枚出来る。

・卵1個

・牛乳200ml ……このうちいくらかをヨーグルトにすると、どしっとしっとりする気がする。いくらかを生クリームに変えるときっと豪華。少な目にしてバナナをつぶして混ぜたりしてもいい。

・砂糖大匙2~3杯……2杯でも市販のミックス粉と比べると甘さはかすか。後からかける方が分量少なく味が楽しめて健康的な感じがするな~。甘くなくして食べるときは少なめにするといいと思う。

・粉200gとベーキングパウダー小さじ1/2くらい……最近は50gほどを強力粉、残りを薄力粉でやっている。食べ応えのある感じに仕上がる気がする。篩にかけたことはないけれど、失敗はしないので大丈夫だと思う。

・サラダ油大匙2~3杯……いうまでもなく、これは有塩バターを溶かしたものに変えたほうが美味しくなる。油の時は塩を一つまみ入れてみたりもする。

 上からボウルか何かに入れながらどんどん混ぜていく。粉も、ボウルを秤の上にのせてばふっといっちゃう。今のうちは泡だて器がないので、フォークで混ぜるけど大丈夫。混ぜたあと、焼く前に30分ほど冷蔵庫で寝かせると、生地が「まとまる」と言われるが、寝かせなくても空中分解したことはない。

 という感じで、あらゆる手間を省いても大体美味しく出来上がるのがホットケーキであり、ミックスがなかろうがそれは同じなのですが、各回、生地を焼く前に「テフロン加工のフライパンを火にかけて熱くしたあと、濡れた布巾を拡げたものの上に『じゅうッ』と置いて温まり具合を均等にする」のだけはやった方がいいように思います。

2020/07/30

まいにちまいにちの料理だからこそ!

 育児休業中に家族と同居していると、自然、主婦的な役割を担うことになるが、乳飲み子連れ&疫病流行のタッグでそうそう外食も出来ず、かなりの割合で一日2食を作り続ける毎日(+離乳食。昼食もなのは夫の在宅勤務による)。これ、本当に大変。といって、延々家事育児&ごはんづくり自体は、一般的に乳幼児育児中の通常運転モードに近いのだけど、多くの人々が毎日のごはんづくりをする羽目になってその大変さに注目が集まるというタイミングに重なってしまったために、仲間が多くて疎外感は控えめだ。まあ、なんというの、これは孤独にできる闘いではないので、ラッキーかもしれない。
 全世界の同志たちよ、食器洗い機と大きな冷蔵庫冷凍庫を讃えましょう。機嫌よく台所をまわし続ける技(=料理の腕、ではないことに注意)の使い手を讃えつつそれに続くべく修行に励み、そこまで頑張り切れないときには温かい慰めと励ましとお惣菜に頼り、時にケーキなんか投入したり頼まれてもいないのに小麦粉を捏ねたり地球の裏側の料理に挑戦したり、とにかくあらゆる手を尽くして、この食べてもお腹がすいてまた食べるものを調達しなければならない不便な身体と付き合ってまいりましょうぞ。
 家事の終わりのない大変さを正しく認識することと、それを苦行として生きることとは全く違うので、毎度続く食料調達こそ、クリエイティヴな活動として楽しみたい、と思っていたら、そんな気持ちをいい感じに戦闘的にクリアに語る文章に出会ったので引用しておく。桐島洋子著『聡明な女は料理がうまい』(アノニマ・スタジオ、2012年)より。
彼女(有能な職業人であり、必然的に有能な主婦である人:引用者補足)たちにとっての家事は「シジフォスの神話」の重苦しい岩塊ではなく、一種のスポーツのようなレクリエーションである。とりわけ料理というのは、個性や才能がメリメリと生きる創造的な仕事だから、他の家事はともかく、料理だけは他人にまかせたくないと、意欲的な女なら思うものである。
 1976年初版出版ということだが、一章(料理だけがからきしダメな友人に、激凝りのフランス料理から始めることを勧めるやつ)など特に秀逸で全く古さを感じないし、様々なタイプのパーティの勧めや、急な来客があった設定でじゃんじゃかおつまみを出していく方法も面白く勉強になった。他方、台所用具や調味料の揃え方や、世界各国の当時珍しいものであったろうレシピなどは流石に時代を感じ、また最初のほう、例えば「男性的」という言葉を決断力、大胆さ、柔軟さ、発想力、包容力etc.の美質に結び付けるくだりなどは圧倒的に化石化している(今だったらむしろ女性的といったほうがしっくりくるだろうし、そもそもここにジェンダー色は必要ない)のだけど、それはそれで現実が着実に前に進んでいるってことなので、まあ、喜ぶべきであると思う。

2020/07/13

とにかく歌うのだ -育児雑感(7)-

 小さい人と暮らしていると、「衣食住」の次に加えたいくらい、よく歌い、なんなら踊ることになる。
 「いないいないばあ」「おかあさんといっしょ」の類の子どもむけ番組は、ほとんど歌って踊っているのだけど、まあ楽しそうに見ること。同じ頃の小さい子と遊ぶような、慣れない子らにとっては一触即発の場面でも、歌と絵本は鉄板。そういえば幼稚園でもよくよく歌ってたな。寝ぐずって抱っこの中でもがきながら泣きまくっているようなときも、歌うとひとまずは落ち着いて聞いてくれる(こともある)。他の仕事で離れなければならないとき、遠くからでも歌声付きならちょっと長めにひとりで遊んでいたりもする(比較的)。
 いきおい、日によっては一日の半分くらい歌い続けてるなあーみたいな時もあったりする。

 ミュージカルやオペラに抵抗を感じる人の理由として「突然歌いだすのが不自然」とか「会話が歌なのが変」というそのものずばりな批判(難癖?)がありますけど、あれは悲しい勘違いなのがよくわかる。

 人間は突然歌いだしたい生き物だし、歌は時に会話よりも心を通じあわせるものだった(*1)。それに、歌うと当然のように身体は動く。
 昔、「なぜインド人は踊るのか」と訊かれたインドの方が「人間は石じゃないからだ!なぜ君は踊らないの?」と答えたという素敵なエピソードを見たけど、あなたが突然、気軽に、歌ったり踊ったりするのにそんなにも抵抗を覚えるのなら、自分が石になりかかっていないか、なにか人間的でないところに押し込まれていないか、確かめてみるのもいいかもしれない。

 閑話休題。

 何を歌うかというと、即興でしゃべりたいことを歌にしたり、好きな歌を歌ったり、昔の合唱曲とかが出てきたり、色々。今はGoogle様とYoutube様のおかげで、うろ覚えの歌詞を覚えなおしたり、昔好きだった歌の断片からメロディを確かめたりできて、レパートリーが増やしやすいのはありがたい。
 最近、午前の昼寝に抜群に効くので歌いまくっているのが、『ソロモン・グランディ』、マザーグースに谷川俊太郎が訳詞をつけて合唱曲にもなっている歌である。とっても歌いやすくて、うるさすぎないところが気に入っているのだが、歌詞がじゃっかん…。

   「ソロモン・グランディ、ソロモン・グランディ
   月曜に生まれて
   火曜に洗礼
   水曜に結婚して
   木曜に病気(タッタタッターッタラッタッタ)
   金曜に危篤
   土曜に死んで
   日曜には墓の中」

まあ、危篤に一日取っているあたり、大変きめ細やかなのだけど、何度も歌っていると縁起でもない感じもする。
 なので、たまに、赤ちゃん・グランディに変えております。
   「月曜に生まれて
   火曜に寝返り
   水曜にお座りして
   木曜にハイハイ(ハイハィハィッハーィハィハィハイハイ)
   金曜にたっち
   土曜にあんよ
   日曜にはかけっこだ!」

 お粗末さま。


(*1) これは、香港の学校でいま、自分の政治信念にかかわる歌を歌うことが禁止されたという話を目にして、他の規制にも増して憤りを感じるところだったり、国家斉唱の強制への嫌悪感にも通じる。自分のからだと心の求める歌を歌うのでなければ石になってしまう。
 

2020/07/03

レシピ備忘録に。イランのピラフ

 キャベツと鶏肉のポロ
 もとは、長谷川朝子&レザ・ラババ『家庭で楽しむペルシャ料理』河出書房新社のレシピで、米の炊き方がよくわからなかったのでそら豆と鶏肉のピラフ ディル風味|キューピー3分クッキングも参考にした。調味料以外の分量は適当に変えたりした。

1 沸騰したお湯4カップほどに大匙1/2の塩を入れ、洗っていない米を2-2.5合投入し、再沸騰後3分ほど茹でる。ざるに上げる。本来はここでサフランを漬けた熱湯を振って置いたりすると香り高く豪華になるっぽい。
2 同じ鍋を軽く洗い、キャベツ(レシピでは1/3玉、私は大きい葉っぱを6枚ほど使った)を適当に細かく切ったものをサラダ油少々とともに強火で炒める。少し香ばしく色づいてしんなりとしたら、シナモン小さじ1/3、塩小さじ1/3、胡椒小さじ1/3ほどを加えて軽く炒め合わせ、レモン汁をかけて、皿に取る。
3 同じ鍋に、サラダ油を熱し、玉ねぎ1玉を荒くみじん切りにしたものを炒める。香ばしく色づいたら鶏もも肉一枚を適当な大きさに切って塩をふったものを加えて軽く火を通す。シナモン小さじ1/2、ターメリック小さじ1/3、鷹の爪、胡椒小さじ1/2、塩小さじ1/2を加えて炒め合わせる。
4 3に1と2を入れて軽く混ぜ、1/2~1カップの水(塩を小さじ1/2くらい入れておくとよかった、さらに、塩レモンかドライフルーツなどを入れておくといい気がする)をふって、ふたをして弱火で15分ほど蒸し焼きにする。
5 お焦げが好きなら最後に30秒ほど火を大きくするといいらしい。私は少しやりすぎて酸っぱいお焦げになった。
6 米に火が通ったら、出来上がり。適宜ヨーグルトを混ぜて味の変化を楽しむ。

2020/06/06

よき市民であるための睡眠について、または、思い煩うな。-育児雑感(6)- 

 夫の育休明けあたりから私には胃痛に続いて腰痛が発現し、かつ、離乳食開始に伴い食事リズムが乱れがちな寝返り初心者の坊は、昼間以上に夜間規則的に栄養を要求する&寝ぼけて意図せぬ寝返りでベッドにぶつかったりしてガンガン起こしてくれるところに、昼間もそのへんで在宅仕事の遠隔会議などやっていると気も遣い(たぶん世の中のテレワークの人のパートナーほどちゃんとしていないから、それで気を遣っているのかって感じだがとにかく気は遣う)…というのが地味に蓄積に蓄積を経た木曜夜。
 すごくいいところを起こされて授乳している最中、ひとり夜の読書かSNS上での交友か何か平和な就眠儀式を終えた夫が寝入っているのが、うっかり目に入って(大きい人はついさっきまで起きていて、小さい人は今起きたところなのだが関連の追求はさておき)、ついに憎しみに似た羨望で焦げた。
 私だって起こされないで眠りたいし、もっと重要なことには、連続した睡眠をとれる見込みで寝る前ののんびりしたひとときを過ごしたい。怠惰ゆえに寝過ごして後悔するなんていうのも夢のような贅沢に思える。そういえば夕食後この人ビールなんて飲んでいた、オールフリー切らしていたのに。飲まないから羨ましくないなんてことはないのに。
 (ちなみに夫は「参加」とか「協力」とかでなく完全に育児のパートナーで、今はあちらが仕事をしている関係上私の分担が多くなっているが、授乳以外はすべて担当できるし、育休中は授乳と夜間対応がないぶん育児だけでなく家事も献身的にしてくれていて、正気の私であれば文句のあろうはずはないし、ビールくらいじゃんじゃん飲むべきである、とは申し添えておきます。すまん。)

 これは良くなかった。一旦起きて眠れないのはそんなに珍しいことではないけれど、矛先が具体的な人間に向かうのは良くない。一神教と二元論とどちらが便利かとか考えていればまだよかった。まあ、何もしてません、念のため。一夜明けて、昼寝を狙うものの、思うようにいかず、蒸し暑い気候も相まって全く気が晴れなかった。


教訓1:理由があって寝られないときに、寝ている人間を見てはいけない。
教訓2:理由があって寝られないときに、すべきことは、「眠れるときに眠ること」だけである。決して考えてはいけない。「いつになったら眠れるのか」「なぜ私は寝られないのか」「こんなに眠れなくて大丈夫なのか」などなど。

c.f. 「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。  ーマルクス・アウレリウス『自省録』ー

 ところが昨夜、ずいぶん久しぶりに夜中に四時間半連続で寝てくれたらしい。私もそれくらい眠れたみたいで、今日の昼間は目に見えて頭が働いて、「これが集中力、そうそうこれこれ!」ってなっていた。小さい人の日課をするのにも余裕があるし体力的にも楽。ニュースなどをネタに家族で話をしても、言葉がちゃんと出てくる。取り上げるほどでない話題をスルーできる。本の続きを読むのにも身が入ったし、何より、ジョージ・フロイドの事件に端を発するアメリカの色々な流れについて書かれたものをやっといくつか読めた。
 これだけの歴史の潮目にいて、ここ2週間くらい、私の最大の関心は「今夜はどれくらい寝てくれるか&眠れるか」にあった。その次に、日々の食事や散歩やなんかがあって、他のことはみんなひっくるめて雑音みたいだった。それが当たり前すぎたので、一瞬余裕ができた今、自分があまりに狭いところにいたことに気づいて愕然とする。そのあいだ、私は悲しいほどに研究者でなかったし(夫の育休明け以降、覚悟はしていたが研究からかなり遠ざかっている…体調の問題だと工夫でなんとかするわけにもいかないのできつい)それ以上に、よい市民じゃなかった。
 今まで以上に未来のことをしっかり考えたいはずが、なかなかそうできる状態がやってこない。今は少し開けているけれど、また狭いところに戻るのだろう。本当は長く潜って先にいきたいけれど、浅瀬にいる分の酸素しか蓄えられないときが多い。…とはいえ、こういう「感じ」はなんとなく、知っておいて覚えておくべきだという風にも思う。

教訓3:良き市民であるためには睡眠。ブラック企業はやっぱりいけない。
ただ、そうでなくてもひとには良き市民ではいられなくなる時は結構ある。

2020/05/21

とてもいい気分で布を買った話


 この布を買ったのは去年の初冬、風情は巣鴨だが地名は銀座という商店街の中心に、三番館というこれまた五番街なんかを意識したような名前のデパートがあるのだが、そこが北海道旭川市内にあって阪神タイガース応援歌が流れ、アウトレットという言葉が人口に膾炙するずっと前からちょっといいものが驚くほど安くなったりする不思議スポットで、地下の絨毯売り場ではギャッベだのキリムだの何十万するベルギーやらトルコやらの絨毯がぞろぞろ並んでやはり謎の値下げが行われたりする。母はそこに赤ちゃん布団のための着物地を探しに行って9万の値札の付いた色無地の反物を三千円で買ってきたことがある。
 その日は、中の布屋が二割引きだというので、赤ちゃん用品の材料でも見ようと妹と遊びに来たのだった。ちょうど隣には高校の時によく食べたたい焼きとお焼きの店があるし。そこで見つけたのがこの布。ごくごく薄い織りのインド製の綿ローン。
 そういえば2012年から気に入って使っていたインド綿のストールが、いよいよ傷んでワカメみたいになってきたので、前の年の夏から代わりを探していた。年中、首や肩に何かしら巻いていないと落ち着かないのだけど、金属でかぶれやすい夏場にアクセサリーがわりにするならコットンや麻に限る。特にインド綿は、汗をかいても食べこぼしてもじゃんじゃん洗濯出来て、畳むと小さく、薄いけれどそれなりに冷房よけにもなり、イランで髪を隠すのにもほうぼうの宗教施設で肌を隠すのにも使えたし、なんならホテルのお風呂で手洗いしても次の日には乾くので頗る重宝だ。そして、これだけ旅先で重宝なものは、つまり日常的に頼れる奴ということである(*)。
 探していたのはストールだったけれど(いや、そもそもは赤ちゃん用の可愛い二重ガーゼなんかを探していたのだけど)、安くなっているし、布でもいいかもなー、と布のぐるぐる巻きを物色していると、お店のマダム。
 ーーそれは綿ローンっていって、夏物の生地なの。今の時期はあまり出ていないけれど、夏にドレスやなんかを作るの。薄物だから涼しくて綺麗でいいわよ。ローンでワンピースとかドレスとか作ると、30万円くらいするのよ。グッチとか、ああいうところでね。
 ほう。グッチが30万のドレスを作る布、と来たか。
 セールストークもここまで壮大だと、かえって志が高くて背筋が伸びる。ちょっとうれしくなって、その時に首に巻いていたマフラーと同じ長さをもとめた。180cmが1200円かそこらで、グッチが30万のドレスを作る布が買えてしまった。
 なにせドレスも作れちゃう素敵な布だから、ビーズなんかつけたりしてもいいかも、などと少し煩悩がよぎったけれど、当初の予定通り洗えるインド綿のレギュラー使いができるよう、大人しく両脇(耳から少しのところ)にロックミシンをかけ、端は切りっぱなしに。
 そんなわけで三番館は今回もなかなかいい味出てたのでした。

(*) 1-2週間くらいの旅の荷物にもっていきたいもの=普段のレギュラー、という感じが望ましいと思う。

2020/05/08

その赤子、県知事につき -育児雑感(5)-

 産後の女性は、2-3時間おきの授乳(*)に備えてホルモンバランスが変化するので、一瞬にして深い眠りに就き、あるいは目覚めることが可能であるらしい。確かに、私はもともと布団に入ってから眠れるまでに平気で一時間以上かかったりするぐらい寝つきが悪いし、寝覚めもいうまでもなく悪いほうだったのが、極度の睡眠の欠乏からか何からか知らないけれど寝ようと思ったら七割くらいの確率ですぐに寝られるようになったし、起きるのは相変わらず辛いけど辛いなりに何とか目覚められているので、うっすらとそういうものなのかもしれない。
 ただこれ、毎日やっているものだから、いい加減身体の方もうんざりしてきて、きっちりあるべきところに目覚めたり眠ったりせずに、変な隙間に入り込んでしまうことも多々あるのである。

 昨夜の設定では、我が子はどこかの県知事だった。

 思うに、ニュースで近頃、都道府県レベルの意思決定が盛んに取り上げられているのが、頭に残りすぎてるみたいだ。一応正確を期すと、どこかの実在の知事が自分の子になっていた、ではなく、子が、彼自身のままで知事職に就いているという設定である。

 夜中1時の授乳の数時間後、どうしても自分のベッドは嫌だというので隣に来ていた子が、もにょもにょと蠢き始めたらしい。腕を上に思いっきり伸ばしたり、首をぶんぶんと振る気配で、私の意識もなんとなく浮上してくる。
 うーん、やっぱり朝までは寝てくれないか。
 薄目を開けてみると、目をぎゅっと閉じたまま顔をくしゃくしゃにしている。こんな時に知事なんてやってたら仕方ないね。重責が違うもの。よしよし、大丈夫だからね、とダメもとで声をかけて、トントンして、再び眠らせようとしてみる。
 ああ、駄目だ、足バタバタも始めた。驚異の腹筋で身体を折り曲げ、足はほとんど頭上に届きそう。おむつは膨らんで、脇腹や背中には汗もかいている。だって、大変だもんね、緊急事態とか言うだけ言って国もなんもあてにならないし。よし、おむつ替えからだな。おくるみはくしゃくしゃに丸まってどこかにいってしまったらしい。これも、多忙を極める知事業ゆえだ。
 いよいよ私が気づいたことに気づいた子は、「あ!」「あう!」と声を上げてさらに注意を引こうとする。これで、コロナ禍のさなかに各方面への調整をやってのけているのだ。お腹も減ろうというもの。
 世の中、いいおじさんになったような人が知事やってるようなところもあるのに、この子は本当に頑張ってるのだ。ほかに赤ちゃんのところってあったっけ。みんな凄いよね。

 スマホをみると4時過ぎ。
 よろよろ起きだしながら、ようやく、ここにいる赤ちゃんがどこかしらんが県知事というのはおかしいということに思い当たり、粛々とおむつを替え、記録のためのタイマーアプリを起動して授乳する。



(*) ここで2時間と3時間をまとめる乱暴さよ!授乳間隔2時間と3時間には天地の差がある。2時間だったら1時間も眠れないけど3時間あけば1.5時間くらいはしっかり眠れる。もう少しあいて3時間眠れるとだいぶん楽だ。1か月と1週間が過ぎたときに、初めて4.5時間続けて眠れた時は、本当に身体が軽くて、頭のなかの霧が晴れたような感動があった。3ヶ月くらいから、週の半分くらいで4-5時間続けて眠れる回が出てくるが、なかなか安定しない。1か月かそこらから人間並みに眠らせてくれる子もいるらしく、羨ましいことこの上ないが、他の万事とおなじく、これも凄く個体差が大きいみたいなので、恨みっこなしですねえ。

2020/04/15

「今がいちばん可愛いとき」の真意 -育児雑感(4)-

 重い話のあとには軽めの話、苦いののあとには甘いのを(*)。
 

 四か月になると、手を握るのも反射ではなく、私の手の動きを封じようという意思をもったものだったりする。ただ甘えたくて服とか腕とかをつかんできたりもする。
 目に見えるものと、触れて確かめるものが、次第に一致してきた。この世界に焦点を合わせて、自分の力がおよぶ範囲を拡げていく。思い通りに動けることに嬉しそうにしていると、こちらもうれしい。

 三か月を過ぎたころ、ある日、授乳中に動きが止まったのでふとみると、こちらを見上げてなんともいえない幸せそうな顔で、ゆっくり、にこりとした。いつも飲んでいるおいしいものは、私があげてるんだって気づいた瞬間だったのだと思う。あれは、なにか感動的だった。しばらくの間、この感動を反芻しているかのように、たびたび授乳中にこちらを見上げて笑顔を見せていた。


 足の指は生まれたときからとても器用だ。2か月半でボールの玩具を渡してみたときには、手よりも足で挟んで動かしていた。寝転がっている時には、両の手を合わせることができるようになるよりもずっと前から、足の裏を合わせたり、片方の足の指でもう片方の足首を掴んでみたり。まだ、「立つ」「歩く」機能に特化されていない足は、とても自由でのびのびしている。

 「今がいちばん可愛いときだね」と言われると、前は、「これから大変になるのかしら」とか「それどころじゃなくなるのかな」と思ったりしたものだが、どうも、思い違いをしていたようだ。「今がいちばん可愛い」ーーこの言葉から単純に想像すると、可愛さのグラフは、まるで山形をしているように考えてしまうが、そうではない。

 先週「今がいちばん可愛い」と思ったのに、今日また「今、最高に可愛い」と思っているし、昨日もそんなことを思っていた気がする。
 思っているだけでなく、姿を前にすると、口に出てしまう。
 しかも、大真面目なのだから始末に負えない。
 どうやら、こと子供に関する限り「今がいちばん可愛い」は、その「今」において、私が存在するのと同時に存在している時間の一瞬一瞬において、超主観的で絶対的な真実であるらしいのだ。

 (*) ーーこれこそが、DNAに刻まれた「もう出産なんて御免だ」を打ち消しかねない、種の存続のためのキケンな罠だとも思うわけですが。

2020/04/12

長く、生々しい話。-育児雑感 (3)ー

 子供生まれてから、「思てたんと違うことってあった?」としばしば訊かれる。実はこの件に関してはあらかじめ何か考えてなどいなかったので、「予想と違う」というより、ぼんやりとフィクションで知っていた「イメージとだいぶん違う」って感じですかね。強烈なのは誕生前で二つあるけど、今日はひとまず一つ。

 すなわち、陣痛的なやつから実際に分娩に至り、かつ生まれる、というプロセスまでの長さだ。漫画やドラマとかで「うわ、きた!」みたいになって、ひとしきり痛そうにして、次のシーンで「おぎゃあ」っていうやつがあるけれど、演出上仕方がないにしてもあの端折り方は有害だ。

 そのぼんやりとしたイメージは、けれど大体は、妊娠後期の母親学級で「初産婦は12-18時間くらいです」とか「人によっては三日くらいかかります」とか言われて、どうやら長いぞ、くらいに更新される。ついでに「そのうえで薬を使って誘発になる場合も」とか「結局切開になることも」とか、「陣痛だと思って頑張ってたのにおさまっちゃって帰された」とか「薬が効きにくくて二日目(と三日目)に仕切り直しした」とか、あるいは「痛みに耐えられるうちは歩いたり買い物に行ったりお風呂に入ったりして」とか「歩けなくなってもまだ転がっちゃだめ、あぐらで!」とかいう話を聞いて、お、おう…、となって、この時点で通算12回目くらいに「よく人類ここまで続いてきたな」と思いながら気を引き締めたりもする。
 そうはいっても実際に痛みが付き始めると、夜は眠れないし、「まだ余裕なんだろうな」と思いつつも間隔も気になるし、何かほかのことに集中しようにも不可能なので、「そこそこ進むまで普段通りの生活を」なんていうのはまあ、絵にかいた餅だ。私の場合は、十日前に壮絶なお産を経験した妹とそれに立ち合った母が居たので、ほとんど強制的に極力普段通りの生活というのをできるだけ実践するみたいになったのは結果的にひょっとしてよかったところもあったのかもしれない。だからと言って楽ではなかったが。というかよくてアレなのか。

 規則的な痛みが満月の深夜に始まり、夜中のうちに破水疑いで一度病院に行って、前駆陣痛だろうと帰され、ひとまずは横になって痛みをやり過ごしながら夜を明かし、ちょうどその日の午前に健診だったので病院に歩いていき、「この感じだともう入院してそのままお産になることが多いけど、治まっちゃうこともある、どうしますか?」と訊かれて「近いので帰ります」と、一応始まらなかった場合に翌週誘発を行うためのサインだけして歩いて帰ったのがお昼。家でパスタを食べたのはいい選択で、病院食よりは格段に元気が出たのじゃないかと思うが、その後一時間ほど痛みの合間にうとうとして、まだ昼間だけどお湯を張って風呂に入り、いい匂いのボディオイルでお手入れとかしてるその時点でもう深呼吸とかでどうにかなる痛みではなくなっていたが、犬を抱いてうずくまっていると、「陣痛が消えちゃうから動いたほうがいい」などと言われて階段の上り下りを試み、吹き抜けに干してある洗濯物に顔を突っ込んでうなったり柱に抱きついたりしながら、あるべきイメージとしては呼気の勢いに載せて力学エネルギーを周囲のモノにじわじわ逃がして持ちこたえるところだけど、実際には諸族が頑張ってどうにか持ちこたえている城門を改造オークの軍団が矢鱈巨大な破城槌でぐわぐわ押してくる感じの痛みに対し、「来い」と「やめてくれ」の入り混じった頭ぐるぐる状態で耐えていた。

 痛みは怖いし嫌だが、ここで痛みが遠くなってしまったら来週もっと痛い(らしい)誘発になる(し、その間にも中の人はどんどん大きくなってしまう)、と打算にまみれた複雑な精神状態は、多かれ少なかれ分娩態勢に入るまで続いた。美術史をやっていると、しばしば遭遇するのがローマ帝国支配下の初期キリスト教時代に弾圧されて殉教した聖人の話で、切る刺す打つ炙る、から、腸を引っ張るやら歯を抜くやらまで無限のヴァリエーションの拷問のなかに、彼ら彼女らは進んで飛び込んで行く。だけでなく、恍惚のうちに更なる痛みを求めたりするかのように記述されるものだから、どんな変態だよと思っていたけれど、彼らもまた棄教や地獄の恐ろしさに比べてマシな現世的な痛みを選んだうえでやっぱり後悔しながら「もう無理ー!でも地獄はもっと無理だからお願いします―!」とか言ってたんかなあ、などと考える。考えて気が紛れるわけでもなく。

 結局、夜ご飯の席についたとき、テーブルの上の皿と料理をすべて腕で薙ぎ払って溢し尽くし割り尽くしたら幾分マシになるんじゃないだろうか、と思ったので、次の瞬間「もう無理だから病院に連れて行って」と家族に頼んで車で送ってもらうことに。産院について助産師さんに診てもらうと、子宮口は7cmまで開いていたらしく、よく我慢したと褒められた。ちょっと希望が持てた。
 しかし、それから6時間。ここはなんかもう、思い出して書くほど傷が癒えてないところだ。耐えるとか向いてないし、そもそも痛みは苦手なんだ。でも痛みが得意な人間なんているんだろうか?

 結局、痛みが始まってから24時間、母子手帳に書かれた時間にして12時間というのは、初産婦としては別段に長いわけではない闘いであるらしい。だが、長い短いなんていうのは所詮、時計の区切りに過ぎない。

 さっき殉教聖人を引き合いに出したのは、別段の飛躍でもない気がする。というのも、よく子宮収縮の痛みに関して、「お母さんが耐えられるようにちゃんと少し間隔があいています」とか「ちょっとずつ強くなるので慣れてきます」とかお砂糖振りかけた説明がなされるのだけれど、待てよ。「間隔をあけて、少しずつ強くなって、ぎりぎり意識を保てる程度には耐えられる」痛みって、つまり拷問じゃん?非人道的じゃないん?何故、こと妊娠出産となると「病気じゃないから」って何かと「耐えろ」になるのか。病気じゃなかろうが結構立派な症状あるんですけれど。やっぱり「人道」の「人」もManの方なわけ?全く、人間がみんなコレを経験することになっていたらもっと違う方策があったと思うし、少なくとも集団の意思決定に関わるほうの半分がコレを経験することになっていたら、全く違うプロセスになっていた気がする。

 いや、本当に、人類よく続いていると思う。

2020/04/06

and decide to create a dream come true ー育児雑感(2)ー

 「夢のような瞬間」というのは、人生のそこかしこに散らばっているものだけれど。
 何度も反芻してしまうのは、子が生まれた数時間後の、朝のひとときだ。

 長い闘いのあとで、初めて対面したのは深夜を回ったあたりだった。風も結構強いタイプの吹雪の夜だった。そのときには、とにかくまずは「終わったー」で、感覚も感情もメーター振り切って、笑ったり泣いたり、もう大丈夫ですよとかすぐ終わりますからねとか言うけど全く大丈夫でなくずいぶん長くかかる様々な処置に耐えたり、ほっとしたり、その底に恐怖がまだあったり、ぐちゃぐちゃで何がなんだか正直よくわからないような感じだった。
 その後随分してから部屋に移されて、一人になって、休むように言われる。寝返りをうとうと身じろぎするだけで身体がばらばらになりそうで、かろうじて枕元にあった水とチョコレートを口に運び、眠れないながら目を閉じている二時間くらいのうちに、身体と頭がゆっくりと冷えてきて、朝が来た(あとから知ったけど、かなり酷い貧血だった)。

 預かってもらっていた子が、コットの中でバスタオルに小さくくるまれて戻ってきた。寝ている状態でも、透明のいれもの越しに帽子をかぶせられた小さな頭と、ぎゅっと閉じられた目が視界の端に入った。取違いようのない、強い眉。
 魔法みたいだった。本当に、いる。
 頑張ってベッドの柵に手を伸ばし、よろよろ身体を起こすと、丸いバスタオルおくるみの全部が目に入った。小さく息をしている。冷たい身体を満たしている壮絶な空腹と倦怠感と頭痛の真ん中に、陽の光が当たったような幸せがじわじわと沁みていくのがわかる。
 夢じゃなかった。

2020/03/23

昔はものを思はざりけり ー育児雑感(1)ー

 色々あって、ものすごく長く間があいてしまった。
 今は、週末に生後百日を迎えた息子の寝ている隙を狙って、このページを開いてみようとしている。
 とはいっても、ここに何か書くような余裕はなさそうなのだけど。里帰り先から移動し、初めて住む東京の家で少しは落ち着いたかな、というころから、研究時間を捻出してみようと試みるものの、見事なまでに意図したとおりにいかないのだ。例えば、先週のある日は、職場の方とスカイプで打ち合わせ予定があり、少し緊張していたが、その間中よく寝ていてくれたうえに、そのあとも少しまとまった時間がとれた気がした。そこで調子にのって、以後仕事時間のログを取ってみることにしたのだが、次の日は合計で一時間も机に座っていられなかった。なんということでしょ。
 それでも、ルーティンに追われているうちに「月」レベルの時間が飛ぶように過ぎていくのが勿体なくてなにかに引っ掛けておきたくなる。また、産後は脳が萎縮するといわれるが、ふと開いた本の中の熟語の繊細な意味の差異が、自分に無関係なもののように感じられたことに、かなり危機感を覚えたりもして、やっぱり何か書いていなければならないと思うに至る。だから、つるつる言葉が出てこないところからのリハビリみたいなものだ。しかも、脳に行くはずの血液の大半を胸部付近に取られながら。

 表題は、百人一首から。
 逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

 漫画『ちはやふる』では、大江奏ちゃんのお母さんが、子供がお腹にいることがわかったときに、こういう気持ちになったわ、といっていた。一度知ってしまうと、その前にはもう戻れない、そういう気持ちがあるのだと。
 妊娠出産から、現在進行形の子育てまで、思えば「一度そうなると前にはもう戻れない」経験の連続だったように思う。しかも、それは「ものを思う」なんて風雅なものではなく、まさに「経験」であり、考え方が変わるという言い方では生ぬるく、身体から人間の仕組みが変わるので考え方も感じ方も変わらざるを得ない、という感じだ。この過程で、私はそれまでいかに、頭に身体を従わせるというシステムで動いていたのかを実感した。とにかく思い通りにはならない、というのに尽きる。

 何もかも今までの仕事や生活とは勝手が違う。
 けどそこで起こるのが、こどもを大きくする、というある意味、人間にとっての本質的な営為だというのは、とても面白いと思う。
 むしろ、仕事にあわせて頭でデザインしてスケジュールを立てたものに身体を従わせる仕方で行ってきた所謂社会生活のほうが、ちょっと例外的に楽な状態だったみたいな。
 そして、必ずしも経験しなければわからないものではもちろんない(究極的には経験しないと理解できないものはないと思う)だろうけれど、私は経験しないとここまでわかるのは難しかっただろうなあと思う変化だったので、ああ、我ながら持って回った言い方ではあるけれど、その機会が得られたことを幸運に思う。