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2020/07/03

レシピ備忘録に。イランのピラフ

 キャベツと鶏肉のポロ
 もとは、長谷川朝子&レザ・ラババ『家庭で楽しむペルシャ料理』河出書房新社のレシピで、米の炊き方がよくわからなかったのでそら豆と鶏肉のピラフ ディル風味|キューピー3分クッキングも参考にした。調味料以外の分量は適当に変えたりした。

1 沸騰したお湯4カップほどに大匙1/2の塩を入れ、洗っていない米を2-2.5合投入し、再沸騰後3分ほど茹でる。ざるに上げる。本来はここでサフランを漬けた熱湯を振って置いたりすると香り高く豪華になるっぽい。
2 同じ鍋を軽く洗い、キャベツ(レシピでは1/3玉、私は大きい葉っぱを6枚ほど使った)を適当に細かく切ったものをサラダ油少々とともに強火で炒める。少し香ばしく色づいてしんなりとしたら、シナモン小さじ1/3、塩小さじ1/3、胡椒小さじ1/3ほどを加えて軽く炒め合わせ、レモン汁をかけて、皿に取る。
3 同じ鍋に、サラダ油を熱し、玉ねぎ1玉を荒くみじん切りにしたものを炒める。香ばしく色づいたら鶏もも肉一枚を適当な大きさに切って塩をふったものを加えて軽く火を通す。シナモン小さじ1/2、ターメリック小さじ1/3、鷹の爪、胡椒小さじ1/2、塩小さじ1/2を加えて炒め合わせる。
4 3に1と2を入れて軽く混ぜ、1/2~1カップの水(塩を小さじ1/2くらい入れておくとよかった、さらに、塩レモンかドライフルーツなどを入れておくといい気がする)をふって、ふたをして弱火で15分ほど蒸し焼きにする。
5 お焦げが好きなら最後に30秒ほど火を大きくするといいらしい。私は少しやりすぎて酸っぱいお焦げになった。
6 米に火が通ったら、出来上がり。適宜ヨーグルトを混ぜて味の変化を楽しむ。

2020/06/06

よき市民であるための睡眠について、または、思い煩うな。-育児雑感(6)- 

 夫の育休明けあたりから私には胃痛に続いて腰痛が発現し、かつ、離乳食開始に伴い食事リズムが乱れがちな寝返り初心者の坊は、昼間以上に夜間規則的に栄養を要求する&寝ぼけて意図せぬ寝返りでベッドにぶつかったりしてガンガン起こしてくれるところに、昼間もそのへんで在宅仕事の遠隔会議などやっていると気も遣い(たぶん世の中のテレワークの人のパートナーほどちゃんとしていないから、それで気を遣っているのかって感じだがとにかく気は遣う)…というのが地味に蓄積に蓄積を経た木曜夜。
 すごくいいところを起こされて授乳している最中、ひとり夜の読書かSNS上での交友か何か平和な就眠儀式を終えた夫が寝入っているのが、うっかり目に入って(大きい人はついさっきまで起きていて、小さい人は今起きたところなのだが関連の追求はさておき)、ついに憎しみに似た羨望で焦げた。
 私だって起こされないで眠りたいし、もっと重要なことには、連続した睡眠をとれる見込みで寝る前ののんびりしたひとときを過ごしたい。怠惰ゆえに寝過ごして後悔するなんていうのも夢のような贅沢に思える。そういえば夕食後この人ビールなんて飲んでいた、オールフリー切らしていたのに。飲まないから羨ましくないなんてことはないのに。
 (ちなみに夫は「参加」とか「協力」とかでなく完全に育児のパートナーで、今はあちらが仕事をしている関係上私の分担が多くなっているが、授乳以外はすべて担当できるし、育休中は授乳と夜間対応がないぶん育児だけでなく家事も献身的にしてくれていて、正気の私であれば文句のあろうはずはないし、ビールくらいじゃんじゃん飲むべきである、とは申し添えておきます。すまん。)

 これは良くなかった。一旦起きて眠れないのはそんなに珍しいことではないけれど、矛先が具体的な人間に向かうのは良くない。一神教と二元論とどちらが便利かとか考えていればまだよかった。まあ、何もしてません、念のため。一夜明けて、昼寝を狙うものの、思うようにいかず、蒸し暑い気候も相まって全く気が晴れなかった。


教訓1:理由があって寝られないときに、寝ている人間を見てはいけない。
教訓2:理由があって寝られないときに、すべきことは、「眠れるときに眠ること」だけである。決して考えてはいけない。「いつになったら眠れるのか」「なぜ私は寝られないのか」「こんなに眠れなくて大丈夫なのか」などなど。

c.f. 「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。  ーマルクス・アウレリウス『自省録』ー

 ところが昨夜、ずいぶん久しぶりに夜中に四時間半連続で寝てくれたらしい。私もそれくらい眠れたみたいで、今日の昼間は目に見えて頭が働いて、「これが集中力、そうそうこれこれ!」ってなっていた。小さい人の日課をするのにも余裕があるし体力的にも楽。ニュースなどをネタに家族で話をしても、言葉がちゃんと出てくる。取り上げるほどでない話題をスルーできる。本の続きを読むのにも身が入ったし、何より、ジョージ・フロイドの事件に端を発するアメリカの色々な流れについて書かれたものをやっといくつか読めた。
 これだけの歴史の潮目にいて、ここ2週間くらい、私の最大の関心は「今夜はどれくらい寝てくれるか&眠れるか」にあった。その次に、日々の食事や散歩やなんかがあって、他のことはみんなひっくるめて雑音みたいだった。それが当たり前すぎたので、一瞬余裕ができた今、自分があまりに狭いところにいたことに気づいて愕然とする。そのあいだ、私は悲しいほどに研究者でなかったし(夫の育休明け以降、覚悟はしていたが研究からかなり遠ざかっている…体調の問題だと工夫でなんとかするわけにもいかないのできつい)それ以上に、よい市民じゃなかった。
 今まで以上に未来のことをしっかり考えたいはずが、なかなかそうできる状態がやってこない。今は少し開けているけれど、また狭いところに戻るのだろう。本当は長く潜って先にいきたいけれど、浅瀬にいる分の酸素しか蓄えられないときが多い。…とはいえ、こういう「感じ」はなんとなく、知っておいて覚えておくべきだという風にも思う。

教訓3:良き市民であるためには睡眠。ブラック企業はやっぱりいけない。
ただ、そうでなくてもひとには良き市民ではいられなくなる時は結構ある。

2020/05/21

とてもいい気分で布を買った話


 この布を買ったのは去年の初冬、風情は巣鴨だが地名は銀座という商店街の中心に、三番館というこれまた五番街なんかを意識したような名前のデパートがあるのだが、そこが北海道旭川市内にあって阪神タイガース応援歌が流れ、アウトレットという言葉が人口に膾炙するずっと前からちょっといいものが驚くほど安くなったりする不思議スポットで、地下の絨毯売り場ではギャッベだのキリムだの何十万するベルギーやらトルコやらの絨毯がぞろぞろ並んでやはり謎の値下げが行われたりする。母はそこに赤ちゃん布団のための着物地を探しに行って9万の値札の付いた色無地の反物を三千円で買ってきたことがある。
 その日は、中の布屋が二割引きだというので、赤ちゃん用品の材料でも見ようと妹と遊びに来たのだった。ちょうど隣には高校の時によく食べたたい焼きとお焼きの店があるし。そこで見つけたのがこの布。ごくごく薄い織りのインド製の綿ローン。
 そういえば2012年から気に入って使っていたインド綿のストールが、いよいよ傷んでワカメみたいになってきたので、前の年の夏から代わりを探していた。年中、首や肩に何かしら巻いていないと落ち着かないのだけど、金属でかぶれやすい夏場にアクセサリーがわりにするならコットンや麻に限る。特にインド綿は、汗をかいても食べこぼしてもじゃんじゃん洗濯出来て、畳むと小さく、薄いけれどそれなりに冷房よけにもなり、イランで髪を隠すのにもほうぼうの宗教施設で肌を隠すのにも使えたし、なんならホテルのお風呂で手洗いしても次の日には乾くので頗る重宝だ。そして、これだけ旅先で重宝なものは、つまり日常的に頼れる奴ということである(*)。
 探していたのはストールだったけれど(いや、そもそもは赤ちゃん用の可愛い二重ガーゼなんかを探していたのだけど)、安くなっているし、布でもいいかもなー、と布のぐるぐる巻きを物色していると、お店のマダム。
 ーーそれは綿ローンっていって、夏物の生地なの。今の時期はあまり出ていないけれど、夏にドレスやなんかを作るの。薄物だから涼しくて綺麗でいいわよ。ローンでワンピースとかドレスとか作ると、30万円くらいするのよ。グッチとか、ああいうところでね。
 ほう。グッチが30万のドレスを作る布、と来たか。
 セールストークもここまで壮大だと、かえって志が高くて背筋が伸びる。ちょっとうれしくなって、その時に首に巻いていたマフラーと同じ長さをもとめた。180cmが1200円かそこらで、グッチが30万のドレスを作る布が買えてしまった。
 なにせドレスも作れちゃう素敵な布だから、ビーズなんかつけたりしてもいいかも、などと少し煩悩がよぎったけれど、当初の予定通り洗えるインド綿のレギュラー使いができるよう、大人しく両脇(耳から少しのところ)にロックミシンをかけ、端は切りっぱなしに。
 そんなわけで三番館は今回もなかなかいい味出てたのでした。

(*) 1-2週間くらいの旅の荷物にもっていきたいもの=普段のレギュラー、という感じが望ましいと思う。

2020/05/08

その赤子、県知事につき -育児雑感(5)-

 産後の女性は、2-3時間おきの授乳(*)に備えてホルモンバランスが変化するので、一瞬にして深い眠りに就き、あるいは目覚めることが可能であるらしい。確かに、私はもともと布団に入ってから眠れるまでに平気で一時間以上かかったりするぐらい寝つきが悪いし、寝覚めもいうまでもなく悪いほうだったのが、極度の睡眠の欠乏からか何からか知らないけれど寝ようと思ったら七割くらいの確率ですぐに寝られるようになったし、起きるのは相変わらず辛いけど辛いなりに何とか目覚められているので、うっすらとそういうものなのかもしれない。
 ただこれ、毎日やっているものだから、いい加減身体の方もうんざりしてきて、きっちりあるべきところに目覚めたり眠ったりせずに、変な隙間に入り込んでしまうことも多々あるのである。

 昨夜の設定では、我が子はどこかの県知事だった。

 思うに、ニュースで近頃、都道府県レベルの意思決定が盛んに取り上げられているのが、頭に残りすぎてるみたいだ。一応正確を期すと、どこかの実在の知事が自分の子になっていた、ではなく、子が、彼自身のままで知事職に就いているという設定である。

 夜中1時の授乳の数時間後、どうしても自分のベッドは嫌だというので隣に来ていた子が、もにょもにょと蠢き始めたらしい。腕を上に思いっきり伸ばしたり、首をぶんぶんと振る気配で、私の意識もなんとなく浮上してくる。
 うーん、やっぱり朝までは寝てくれないか。
 薄目を開けてみると、目をぎゅっと閉じたまま顔をくしゃくしゃにしている。こんな時に知事なんてやってたら仕方ないね。重責が違うもの。よしよし、大丈夫だからね、とダメもとで声をかけて、トントンして、再び眠らせようとしてみる。
 ああ、駄目だ、足バタバタも始めた。驚異の腹筋で身体を折り曲げ、足はほとんど頭上に届きそう。おむつは膨らんで、脇腹や背中には汗もかいている。だって、大変だもんね、緊急事態とか言うだけ言って国もなんもあてにならないし。よし、おむつ替えからだな。おくるみはくしゃくしゃに丸まってどこかにいってしまったらしい。これも、多忙を極める知事業ゆえだ。
 いよいよ私が気づいたことに気づいた子は、「あ!」「あう!」と声を上げてさらに注意を引こうとする。これで、コロナ禍のさなかに各方面への調整をやってのけているのだ。お腹も減ろうというもの。
 世の中、いいおじさんになったような人が知事やってるようなところもあるのに、この子は本当に頑張ってるのだ。ほかに赤ちゃんのところってあったっけ。みんな凄いよね。

 スマホをみると4時過ぎ。
 よろよろ起きだしながら、ようやく、ここにいる赤ちゃんがどこかしらんが県知事というのはおかしいということに思い当たり、粛々とおむつを替え、記録のためのタイマーアプリを起動して授乳する。



(*) ここで2時間と3時間をまとめる乱暴さよ!授乳間隔2時間と3時間には天地の差がある。2時間だったら1時間も眠れないけど3時間あけば1.5時間くらいはしっかり眠れる。もう少しあいて3時間眠れるとだいぶん楽だ。1か月と1週間が過ぎたときに、初めて4.5時間続けて眠れた時は、本当に身体が軽くて、頭のなかの霧が晴れたような感動があった。3ヶ月くらいから、週の半分くらいで4-5時間続けて眠れる回が出てくるが、なかなか安定しない。1か月かそこらから人間並みに眠らせてくれる子もいるらしく、羨ましいことこの上ないが、他の万事とおなじく、これも凄く個体差が大きいみたいなので、恨みっこなしですねえ。

2020/04/15

「今がいちばん可愛いとき」の真意 -育児雑感(4)-

 重い話のあとには軽めの話、苦いののあとには甘いのを(*)。
 

 四か月になると、手を握るのも反射ではなく、私の手の動きを封じようという意思をもったものだったりする。ただ甘えたくて服とか腕とかをつかんできたりもする。
 目に見えるものと、触れて確かめるものが、次第に一致してきた。この世界に焦点を合わせて、自分の力がおよぶ範囲を拡げていく。思い通りに動けることに嬉しそうにしていると、こちらもうれしい。

 三か月を過ぎたころ、ある日、授乳中に動きが止まったのでふとみると、こちらを見上げてなんともいえない幸せそうな顔で、ゆっくり、にこりとした。いつも飲んでいるおいしいものは、私があげてるんだって気づいた瞬間だったのだと思う。あれは、なにか感動的だった。しばらくの間、この感動を反芻しているかのように、たびたび授乳中にこちらを見上げて笑顔を見せていた。


 足の指は生まれたときからとても器用だ。2か月半でボールの玩具を渡してみたときには、手よりも足で挟んで動かしていた。寝転がっている時には、両の手を合わせることができるようになるよりもずっと前から、足の裏を合わせたり、片方の足の指でもう片方の足首を掴んでみたり。まだ、「立つ」「歩く」機能に特化されていない足は、とても自由でのびのびしている。

 「今がいちばん可愛いときだね」と言われると、前は、「これから大変になるのかしら」とか「それどころじゃなくなるのかな」と思ったりしたものだが、どうも、思い違いをしていたようだ。「今がいちばん可愛い」ーーこの言葉から単純に想像すると、可愛さのグラフは、まるで山形をしているように考えてしまうが、そうではない。

 先週「今がいちばん可愛い」と思ったのに、今日また「今、最高に可愛い」と思っているし、昨日もそんなことを思っていた気がする。
 思っているだけでなく、姿を前にすると、口に出てしまう。
 しかも、大真面目なのだから始末に負えない。
 どうやら、こと子供に関する限り「今がいちばん可愛い」は、その「今」において、私が存在するのと同時に存在している時間の一瞬一瞬において、超主観的で絶対的な真実であるらしいのだ。

 (*) ーーこれこそが、DNAに刻まれた「もう出産なんて御免だ」を打ち消しかねない、種の存続のためのキケンな罠だとも思うわけですが。