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2013/12/28

ふがいない姉は

 瀬戸内海沿いの、こんな穏やかな土地でも、今日は雪が舞い、時間の止まりそうに美しい夕焼けを観ることが出来た。
 そんななか、世間様では昨日が仕事納めのようだが、飛行機まで一日空くのをいいことに今日も学校に出て、30分ごとに窓の外を見ては雪が積もりそうにないことを確認しつつ、画像を使った仕事などをしていた。今週始めに年内の授業が終わってからは、基本的に自分の研究。しかも、丁度行き詰まりがちな工程に差し掛かっているため、自宅も仕事場も大掃除だけは完璧である。駆け込みで場所や機材を使う仕事はひと段落したものの、この休暇には落ち着いてやりたい仕事が一杯…。
 妹たちよ、ふがいない姉はヴァカンス中も多少A4プリントとパソコンにまみれた感じで過ごすことになりそうです。

2013/11/30

土曜の夜のハッピーなひととき

 東京でビジネスウーマン(本人曰く)をしているすぐ下の妹と先ほどまでスカイプで「サミット」。年始に予定されているさる家族の行事のドレスアップ計画を立てるつもりが、話題は空を駆け巡り、結局何も決まってないことに最後の最後に気付いた我々。しかし楽しかったー。とりとめのない話というのは本当によいものです。土曜の夜くらい、生産性概念なんて呪われよ!

 11月が終わりますね。去年の写真だけれど。

2013/11/22

読んでいるものなど

 11月の半ばまでが物凄く込み入っていたお蔭で少しだけ要領がよくなったというか、あまり寄り道せずに完成形を見据えて仕事が出来てきているような感じがする。余裕が出来たら、なので、すかさず積極的に寄り道をしなければ、という訳のわからない論理でもって…。
 瀧本哲史『君に友だちはいらない』
 高一の時の学級目標「友だちは、いらない」を思い出して入手してしまった。今思うと読点が絶妙であった。担任の先生が一方的に言い渡したこの「目標」は、みんな半分冗談だと思っていて真意を明らかにしようと考えた事さえなかったが、丁度その頃から友達作りが目的ではなくなって、色々と楽になったような気はする。本では、暇や不安を埋めるための友達ではなく、目的を達成するために異質な者たちが集う「仲間」作りを推奨。読んでいるうちに、映画作りに顔突っ込んでいた頃に勇者と呼ばれていたことを思い出す。現実的かはともかく、至極まともなことを言っているし、元気が出る。
 甲斐大策『餃子ロード』
 アマゾンの古本で買ったらサイン本だった。今は道半ば。猛烈に常に乾いた土地と布にぐるぐる巻きになったような衣装の人々と餃子が恋しくなる本である。寝る前の旅立ちに、勿体無くてちょこちょこと進めている。
 それから色々と話題な千葉雅也『動きすぎてはいけない』
 結構ドゥルーズの名前が口に出されることの多い環境にいた割に、あんまり知らず、知らない割に親近感を持っているので、可愛らしい装丁に騙されてこのあたり挑戦することにした次第。
 あと、これは(願わくば)すこーし仕事なのだが、アラビア語をぼちぼちやろうと思っている。

2013/11/02

締切ロード

 後期が始まって以来なにかしらに追われているうちに、11月とのこと。しゃべるための準備の時は「書面提出するよりは楽だから!アドリブも効くから!」、書きもの仕事の時には「大丈夫!衆人環視の大教室でフリーズする心配はないんだし!」と物凄い勢いで訳のわからないおだて方をして、なんとか自分を動かしてる。とにかく仕事始めは限りなくハードルを下げることが肝心だ。最初の一行が一番難しいなんていうのは嘘で、でも一行を書くためのに必要な勇気と、それが無駄になる確率が一番なのは最初の一行であるのは間違いない。今週末も差し迫った仕事の準備にかかりきりでいる。連休らしいけれど、デッドラインまでの日数が増えるわけではないのであまり実感もない。問題は、大変思い入れのある楽しい仕事だということです、基本的にはどれも。ところが、具体的な作業の手順からすると、思い入れのあるものほど面倒が増えるというやつで。

2013/10/06

いちねんの重さ

 やべーこら、10月始まっちゃってます。
 やることがほど良く目白押しで平日日中は目が回りそう。結局仕事を持ち帰ってしまうので夜もごそごそ家でやっている内に、夜遅おやつを食べるのもうっかり忘れてほのかにスレンダーになりはじめたる心地ぞしける。しかれども金木犀の香を聞き夕暮れの涼に身を浸すにつけても秋来ぬことのものさびしく心細くおぼゆれば、鮭ときのこを買い来ては存分に煮焚きし、郷里の焼き物などしけるこそたのしくげに腹膨れぬれ。とかなんとか言ってるうちに本気でとち狂って夜中にアップルパイとか焼きだしそうである。怪しげな擬古文吐いているうちはまだましだ。
 来年の手帳を買ってしまった。なんとここへきて初めての「ほぼ日」である。しかもカズン(倍の大きさ=A5相当)。
 ちなみに私は、予定は週一単位で入ってくることが多いし、物を考えるときは一覧になっていてほしいので、今までは専らウィークリーのを使っていた。紙質とお洒落さから、クオ・ヴァディス、しばらくイタルノートだったが、去年思い立って一日の時間割が縦に書きこめるビジネス・プレステージに。問題はないんだけど、予定と借りる本と使ったお金くらいで埋まってしまい、考え途中の物事とか、準備の進展具合を整理するのには別のノートが必要になる。ところがその別のノートというのが、ど~うも浮気してしまって、その日の気分によって変わるので、考えてることの断片的なバックアップがいろんなノートに散乱しているような状態が続いていた。これは、手帳がというよりは手帳以外のノートを特別扱い出来ない自分の習性が悪いのである。でも、その習性を利用して、全部書けそうな手帳にしたらそれだけ持ち歩けばいいんじゃないのー!っと思って、ウィークリーもついてるデカいほぼ日に白羽の矢を飛ばしたという、それが今回のことのあらまし。ウィークリーに加えて一日一頁が付いているA5の冊子というのは、しかしなかなかのごっつさなので、常時持ち歩きながらスマートでいるにはなにか徹底的な工夫が必要そうだ。

2013/09/19

好みなんて全くもってアテにならん移ろいやすいものだが

 「小さな生き物」を聴いて、ああもうほんと、私スピッツだけは一生卒業できないわーと嘆息して幸せである。このしみじみとした実感さえもう何回目だろう。夜中に歌詞をソーシャルメディアにトランスクリプトする困った大人になってしまいそうだ。(実家で呆け過ぎたからか半沢直樹系ばかり読んでいたためか語彙が不自由だ…電波上の社交場に写字??)

 ちなみにスピッツと同じエントリーで書くのもナンだが池井戸潤、半沢直樹シリーズの原作者だが、母が入手していたのをいくつか読んだら意外にもとても楽しめた。意外というのは、そもそもエリートサラリーマンが金融(/メーカー)会社の男社会で権謀術数を繰り広げつつ経済を回し出世競争を勝ち抜いていったりするとか、あらすじから単語幾つか抜き出した時点で私にはちんぷんかんぷんなのである。でも、説明は手際よく、テンポも早いので不慣れでも入り込みやすいし、異世界を覗きみるようなマジックリアリズムな新鮮さが面白かった。ただ、三晩で四冊読んだのがいけなかったのか、悪役の造形が平板で主人公の心境の変化もやや似たり寄ったりな印象も。まあ、そのワンパターンもまた「それっぽい」というのか、現実の悪人は小説の中に続々登場してきてほしいほど色彩に富んではいない気がするからなあ~。出てくるの男ばっかりだし。でも脇役は味わいがあって、電車で「疲れたサラリーマン」みたいな人々をみてイメージを膨らませるのが楽しくなりそうだ。

2013/09/08

壊れやすいものを愛でる


 改めて数えると10年で6~8回引っ越しという結構な流浪の民である。いきおい、極力自分の物を増やさない方針でやってきた。ペアでそろっている食器がないことにはよく驚かれるし、書籍でさえ同業者とくらべたら少ない方だ。
 例外が硝子で、雑貨屋でも骨董市でもついつい立ち止まって見てしまう。写真の中の一つはパリの蚤の市で見つけた20年代のクリスタルで、スーツケースに入って一緒に帰ってきたもの、また一つは京都で留守番担当ながら5回くらいの引っ越しに耐えている。
 何で好きかって、とにかくキラキラして繊細で美しいし、手指や唇に当たるひんやりと硬質な感覚も好ましいのです。海外なんかだと、壊れて困るものは持ってくるな!汚れやすい物は着るな!大事な物は見せるな!みたいな感じで、それは非常に生存戦略上有効なのだが、かといって自分で好んでどうでもいいものに囲まれ続けて行くと感覚が荒んで行くようで、そんなのへの抵抗もあるのかもしれない。好きなように動く。けど、大好きな壊れやすいものを壊さないように。
 今後1-2年では大きな移動はないとみて、普段の器もちょこちょこ揃えていこうと思う。
 今日は、しっくりと手に収まる陶器の花入れを手に入れてしまった。

未来がまだあったような感じ

 朝起きて、2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったことを知った。
 この問題について特に関心を持っていた訳ではないし、今の情勢からみて賛否両論あるのは凄いわかるし、むしろ批判的な意見に分があると感じることの方が多かった。
 で、こういうことが書きたい訳ではない。(私は決まったことに対して呪いをかけるより、あらゆる意味での成功を精一杯祈りたいし後押ししたいし、厳しくチェックしてかなきゃって思ってて、多分最後が重要だ。今でも課題山積みのところ、想像を越える大変な準備がそこかしこで行われてその余波は新幹線で4時間くらいの距離を余裕で飛び越えてくるんだろうが、難易度一気に上げた方がやれそうな気がする)…ということが書きたいわけではない。
 脈絡なさそうなんだけど、今朝から口々に7年後の話を始める人がいて、私は不覚にも七年分くらい寿命が延びたような気分になった。「希望」ってこういうことだったのかと思った。多分違うんだろうけど。つまり、この、明日にも何があるかわからない中で、未来が七年後までちゃんとあることを前提に話するって結構凄いことじゃないですか。(加えて東京みたいな突っ込みどころ満載の化け物じみた大都市が世界中のお客を歓迎すべく「よりよくなる」というのだからまた凄い)これは、皮肉でなくて、これだけでなんか大きな力を持っているんじゃないかと思う。
 「未来」ってまだあったんかな。
 (こういう、厭世的な物の見方、さいきんでは「厨二病」といったりもするらしいが、私の感覚では多かれ少なかれ幼稚園に入った時くらいから続いている。記憶もその頃から始まっている。他の人はどうなんだろう。)

2013/08/31

あ、まだちょっとあった!

 目覚ましなしで寝ていて気付いたら午後の1時だった。なんだかんだ、リズムが戻ってなかったんだな、と、改めて振り返ればこの一週間の身心の混乱も説明がつくようでほっとした。
 ゆるゆるとクルミパンをフレンチトーストにして(なんて贅沢!)遅すぎるブランチを済ませ、一通りの家の掃除をしてからホームセンターで自転車の空気入れを買った。京都では、街のあちこちにある自転車屋が暇そうな時にちょっと寄れば、あっというまに空気は入れてもらえるし、チェーンやブレーキを見てもらえた(流石にこちらは有料のことが多かったけれど)が、考えてみたら自転車の空気入れくらい自分で持っててよさそうなものだ。それから研究室用に瞬間湯沸かし器。

 そんなこんなで研究の方はさほど進まず、ミントティーで深夜お茶中である。アフタヌーンティーで買った薄い耐熱ガラスの細身のカップは、是非ともモロッコ風のミントティーに、と待つこと久し、晴れてパリのモノプリでモロッコ風ミントティーのティーバックを買いこんできて楽しんでいる次第。

 写真を初めて載せてみる。パリ三区のお店で頂いたスープ・ド・ポワソン(魚スープ)。サフランとニンニク、いくつもの魚介の丸ごとの風味が渾然となったドロドロしたものに、トーストと粉チーズ、多分アイオリ(サフラン、大蒜、酸味の少なめのマヨネーズの味がした)が添えてある。今回食べたものの中で一番美味しかったといってよいかも。

夜の果てで、八月が終わる

間があいてしまった。八月が終わる。
中旬の二週間、パリとロンドンで調査をしていた。
どちらも、目を開けていられないほど日差しが強いのに外気はひんやりとして、蒸し暑さだけで相当なストレスを受け続けなければいけない日本に比べてそれだけで身体も気持ちも随分楽だった。留学中は、ちゃらんぽらんしていても常に闘っていなければいけないような感覚があったが、今回は短期で目的がはっきりしているために焦る必要もメリットもなく、そうすると却って無駄にちゃらんぽらんにならずに淡々と作業が出来たのかとも思う。同時に、大分衰えて単語を思い出すのに半秒遅れることもしばしばになってしまったフランス語が、にもかかわらず皮一枚分くらい自分になじみやすいものになった気がした。例えば二年前は何が何でも発信しなければ沈黙させられている気分に近いものがあったが、その気がなければくつろいで無口でいられるようになる。あるいは慣れて、あるいは距離を置き過ぎたために鈍くなっているだけかもしれないけれど。滞在の後半を過ぎると、外国語ばかりの環境に身を置いていることに底知れぬ解放感を抱くようになってくる。
短い期間で我儘なスケジュールでしたが、会ってくださった皆さま、嬉しかったです。会えなかった方々には、また近いうちに(私の課題としてはそれまでに今回の成果を出したうえで)、楽しくおしゃべり出来ると幸いです。
帰りは初めてヨーロッパを夕方に発つ飛行機に乗り、夕食のサーモンのクリームソースペンネを頂きながら地平線に沿って地球の夜部分に忍び込んでいくのはなかなかドラマチックだった。
帰国して再び少し混乱している。

2013/07/29

死者にかかずらう

 七月下旬に入ってから常時目の調子が悪い。右目の乱視は悪化しているし、アレルギーみたいなかゆみが発作的にやってくる。誤魔化し誤魔化し、流石に授業は眼鏡ではやりにくいので、あまり人と合わない日を狙っては眼鏡で過ごしている。
 ともあれ、長かった前期は漸く残すところ試験のみ、思う存分死者にかかずらうことのできる夏休みがすぐそこまで来ている。の割にはすぐには切り替えが出来なくて、昨日今日は論文を机中に拡げて云々言っている内に過ぎてしまった。こんなんじゃいかんね。みたらし団子でも食べて気合い入れて今夜からもうちょこっと前進するのです。忙しいのは歓迎だよ!締切はあったほうがリズムが取れるよ!背水の陣にならん一歩手前まで野心に身を浸して実り多い未来を思い描くのだ。

2013/07/22

ニョロニョロ回想

 鰻に対する特別な思い入れとか御馳走感覚というものは、松茸の香りのそれと同じで、基本は後天的なものなのではないかと思う。
 私は、自分の食べ物全般に対する卑しいくらいの執着と比べると驚くほど、鰻がどうでもいいのだ。母がもともとあまり好きでなかったようで、家で鰻を食べた覚えはほとんどない。ウニや生の魚なら休日に二時間ドライブをして食べに行くこともあったし、祖父母を経由して中身の詰まった蟹や塩焼きしただけでかりっ、ふわっ、じゅわっ、とろっが全て楽しめるような魚が届いた。記憶の中でぴちぴちと(今なら冷酒の入ったお猪口を伴って)泳いでいる魚介の中に鰻の姿がない。大学に入って、七月にわざわざ家族分鰻を買って食べる人々がいることを知って驚いた。
 そんなわけで、名古屋のとある名店でひつまぶしを食べたときにも、汁かけごはんファンの私はそれだけで狂喜したものの、ちょっと味が濃いのが気になって、なんだか感動が薄かったのは、きっとあの場に鯛の漬け茶漬けがあったらそっちの方に惹かれただろうなんて思ってしまうのは、多分その鰻的教養の欠如が問題なんだろーなーなんて思ってしまったわけである。
 ただ、茶道部で今日庵で出して頂いた梅の井のうな重はちょっと別格だったかもしれない。塗りのお重を開けると発光しそうな錦糸卵が敷き詰めてあって、その下には小さく切られた鰻、味のしみたご飯。箸でそっと崩しながら、ふわっとした卵とほとんど同じくらいに軽い口当たりで、噛むとじわっと味が広がり、つるんと時折ゼラチン質が舌に楽しいけど全く脂っこくないのを、ほのくらい畳に並んで正座し、一言も口をきかず一度も箸をおろさず無音の内に食べる(というのが稽古の時のローカルルールだった)。それもまた、別の場所では違う味になってしまいそうで、お店に足を運んだことはないのだけれど。

2013/07/19

おつかれちゃん

すとんと眠るには頭がざわついてならない。
体力を使う日が続く。運動しなければ。自分の果たす役割と、こうありたいと思う様なイメージを結び合わせる。最大限に過激であること。疑問を突き付け続けること。なんでも口にする困った奴だと周り中に思わせること。

2013/07/06

ボヘミアン

 イオンで買ったオーストラリアワイン、鶏肉ときゃべつのとまと煮、アボカドの刺身。
 来週遊ぶ分の振り替え~くらいの気持ちで今週末日中は結構仕事しようと思うので、夜はのんびり。久しぶりにどうしても赤ワインの香りが恋しくなって、シラー。800円ですよ、そんなに悪くない。そんなに凄いこだわりがある訳ではないから、普段のワインは感動するほど美味しいのなんかじゃなくても大丈夫。ブルゴーニュの感動ワインをこの辺りで嗜もうと思ったら5000~10000は覚悟だものね。800円ならヨーロッパならスーパーで4ユーロ前後だろう。たまに外れる。そうでなければちょっとくらいならハッピーな気持ちになれる。なにより記憶にしみついたこの香りだ。久しぶりに間接照明に切り替えて、血管をざわめかせる音楽をかける。久々に救いようもなくカブれてる自分が頭をもたげてきたりしてね。あんたは本当に阿呆だよ。不経済ったらない。生まれ落ちたところで大人しく幸せを見つけられたらよかったものを。
 夏の予定を決めなくちゃ。

2013/07/02

逆襲のラニングノーズ

ちょっとやる気出して時間の無駄なく生産的に過ごしていたらこれである。今日は19時半を回った途端に鼻が作業停止を訴えて来て、帰ってきてもまだ鼻水止まらず頭がぼうっとしてる。なんてことだ。もう今日はパソコンを閉めてだらだら本を読んでる内に23時前には意識を飛ばしてしまうのだ。

2013/07/01

ハーブとして使う塩レモン

 週の初めから結構飛ばして疲れた。授業を持っていない朝に、「研究のことしか考えてはいけない」時間というのを設けるというのはいいかもしれない。少しの時間でも、毎日思い出すようにすること。出なければ、切り上げた地点に戻るのに時間がかかりすぎる。
 でも散歩のお蔭で夕方にまた持ち直して一つ授業準備を進めることが出来た。
 結局帰ってから米を炊くのには遅かったのでパスタ。買ってあった小ぶりのトマトでペペロンチーノを作るのだけど、ベーコンの代わりにポークウィンナー、大蒜がいまいちだったので代わりに塩レモンを刻んで混ぜたら、まるで別物というくらいにお洒落な味になった。塩レモンはもうかなり漬かっているので酸味はほとんどない。レモンピールの独特の爽やかなほろ苦みと、発酵食品風のまろやかな塩辛さ。ちょっとした万能調味料である。聴くところによるとクリームパスタにでも合うそうだ。

2013/06/28

Thank God It's Friday

 金曜の素敵さって勤め人らしきものになって実感できるようになったもののひとつ。学生やってた時分は土日の方がバイトとかなんとかでヘビーだったりしたものね。やっぱり休む日と何が何でも朝から出る日はぱきっと分けたほうが気持ちがいいらしい。
 今日はお預けにしていた『テルマエロマエ』と『君に届け』新刊を手に入れて帰ったら、バッタ博士のここんとこずっと読みたいと思ってて遂に注文しちゃっていた『孤独なバッタが群れるとき』も届いて、勢い、とても文化的な週末のスタート。学校でも幾つか頼んで置いた本が届いていたし。明日は半分引率で美術館である。
 『孤独なバッタが…』まえがきだけよんでも、独特の捻りのある、頭が切れるだけでなく遊び心のある人の文章という感じ。こういうものが読みたかった。明日のお供にはちょっと重いか。
 相変わらず夏の予定はとんと決まらないが、あまり神経質にならずに、結局一番時間がかかるのは文献読んだり基礎研究な訳なので、そういうのをこつこつためとく方針でいく。まあなるようになりますでしょ★

2013/06/26

夏の予定の停滞

今日は緊張を要する電話の用事が夕方控えていたため一日中緊張していた。損な性分。電話の方は問題なく終わったけれど、期待していたような解決はせず。やはり私は向こうの年度末というものを甘く見ていたようだ。となるとやはり八月よりは九月に行ったほうが有益だろうか?そもそも九月に行くとしたら連絡は取れるだろうか?行くとして一週間しか行けないならロンドンは回れない恐れがある。やはり八月にして、ロンドンを入れて、目当ての地方都市には必要があれば改めて向かう覚悟でいた方がいいのだろうか。
ともあれ、今週末くらいをめどに夏に何を最重要課題とするかは完全に決めてしまう必要がある。にしても遅過ぎかもだけど。

そして明日の授業準備がまるで終わっておらぬ。楽しいところだからちゃちゃっと楽しくつくりませう♪

2013/06/25

やっぱり書くのも悪くないのかも

 しばらく日常が手一杯で日記を書くことなど考えもしなかった。けれど、この夏至と満月の週末、緊張で悪酔いし眠れない頭で明け方に幾度となく読んだ『バルタザールの遍歴』を再度読み、そのままこちらは初めて『パリ、テキサス』を観て三度めの『ロリータ』を手に取って、頭が内側の過去の遠くへ行ったままになってしまったようだ。『ロリータ』を読んで、どうやってそのままクリアな人間としてアクティヴに日常生活をおくることが出来るだろう?
 こんなのは言い訳だけど、そんなわけで人を傷つけない独り言を連ねられる場所くらいはあってもいいのかも知れないと思い始めたのだ。気付かなければ気付かないでよかった類の小さな棘を見ないふりしてみたりする程の鈍感力に恵まれない私は、それを世俗の成功へのモチベーションとしてわき目も振らずに研究に励むには、なんというか、元来無駄が多すぎる人間みたい。このところ妙に疲れるのはそのためだろう。無駄が必要だ。
 面白おかしく地中海滞在日記を書くこともあるかもしれないし、ひょっとして研究ネタに走らないとは限らない。でも、ここは基本的には無駄の置き場所で、ノンフィクションよりはフィクションに近いことをお断りしておく。