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2015/11/14

パリに

 とんでもなく忙しくて、何であれ外界のことに関心を持っているような暇もないくらいなのだけど、今日はパリの市内複数の場所で起きたテロのことばかり考えてしまうし、きっとしばらく以上の間そうなってしまうだろうと思う。
 朝、Facebookを見ていたら、友人が「私は無事です」と次々に書き込んでいて、何事かとニュースサイトをいくつか確認して、でもしばらくは情報が錯綜していてよくわからず、パリでとんでもないことが起きたらしいということが分かってきただけだった。
 徐々に視野が開けてきて(今になってもはっきりしない事が多いが)、早速各国のニュースを提示しながらTwitterで情報を発信したり意見を述べたりする知り合いや、半分くらい知り合いや、あったことはないけれど知っているような気分のする人々や、全然知らない人々を眺めながら、言葉を使う仕事をしている端くれなのに、こういうときに言葉を発することが怖い、適切なことを発信できる自信がないというのは情けないことなのかもなあ、などと頭の片隅で考えた。一時期ほど多くはないけれどちょこちょこいる、パリの知り合いの無事のメッセージに慰められていた。
 人が死ぬのはどこでもどんな理由でもこたえるものではあるのだが、今回のは、なんだかんだ、今いるところと、実家のある場所と、(場所には思い入れがないが大好きな人の密度ゆえに不本意ながら重要な)東京についで、学生時代に長く過ごした京都と同じくらいには個人的に関わりがあって大事な場所である。お気に入りの自転車で19世紀建築めぐり(つまりパリ全体がそうみたいな感じなんだけど)やお散歩をしていたような場所で、というのが信じられない。遠く離れて安全な場所でミッション目白押しでも、頭がぞわぞわと落ち着きなくなってしまうのも当然の話だ。へたくそでもピアノが弾ける(能力ではなく環境面で)というのはこういうときに有難くて、手に覚えた曲をいくつかとてもゆっくりと弾いてみたりする。

 ニューヨークの同時多発テロと同じくらいの大事件だ、という人もいる。そうやって流れていく文字を目で追いながら、あの時、翌日に無責任に色々としゃべくっていた無邪気な高校生たちであった自分らをおぼろげに思い出して懐かしくなったりする。
 それなりの年月を経た今、私は世界が結構あっさり変わってしまう事を、生々しく知っている。
 飛行機に乗るたびに煩雑になる検査には慣れっこになっているし、(とは言ってもヒースローは格別、観光シーズンの新千歳空港で歴戦練磨の私も辟易した)、8年くらい前に、語学学校で会った素敵なマダムに「いつでもいらっしゃいね~」と言われていたエジプトは、随分前から不要不急の渡航はやめるべき地域になったままだ。5年くらい前に旅行の写真を見せてもらっていつか行きたいと思っていたシリアは、しばらくどう頑張っても行けそうにない。壊されて二度と見ることのかなわない遺跡もある。
 何かおさまりのよい言葉でしめるとよいのだろうけれど、今はそこにいる人々のこれからの無事を願いつつ、怯えている。それから、死んでしまった人々や私の知っている街から少し変わってしまっただろうパリを悲しんでいるし、出来るだけ悲しみや憎しみをこれ以上に増やさない為にはどうしたらいいのかと考えている、というか、困っている。

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