シャトー・ムートン・ロートシルトというとシャガールやピカソがラベルを描いたことでも有名な一級品のボルドーワインだけれど(私でもわかるワインの一つである。なにしろ昔バイトしていたお店のトイレの前にラベルのポスターが張ってあったので。)、微妙に似た名前の、もっとずっと庶民的だけどそこそこ美味しいワインを飲みながらこれを書いている。お供はキイチゴとピスタチオのマカロン。箱買いしている各国のマダム・マドモワゼルに混ざって小さくなりながら「今夜のおやつに二つだけください」とピエール・エルメで買った。
せっかくキッチンのある部屋に滞在しているのに、せかせか動き回っているうちにそんなにちゃんと料理もできずにパリ最終夜。昼間図書館で資料を漁り、時差の関係で急激に眠くなる夕方になると、地下から這い出して夜間拝観をハシゴしていた。
今回は特別展が軒並み展示替えの時期になってしまったのだが、ポンピドゥーのアンゼルム・キーファーが観られたので後悔はない。現代の芸術におけるTitan、巨人という言葉が冠されているように、存命の芸術家の中でもあまりに有名で、私が何か言おうというまいとびくともしない存在ではあるが、でも、すごかった。ポンピドゥーの回顧展には毎度毎度学ぶことが多くて、いくら感謝しても足りないのだが(ミロも、ジャコメッティも、モンドリアンも、ムンクも、リキテンスタインも、あといくつか多分あるけど、ここで一通り知ることができた)、作品それ自体をまとめて、しかも画業の初期からきちんと辿ってみることでしかわからないことがあると思う。
キーファーの作品群の前に立つと、自分が二回りくらい小さくなった気分になって、ほとんど打ちのめされてしまう。大きな筆触や絵具に混ざった砂やワラのような素材感も、独特の低い視点や消失点の操作も、描かれたテーマや、宙に書き込まれたような文字も、すべてよってかかって私の取るに足らなさを意識させにかかっているんじゃないかという気分になる。
連合国の空爆によって壊滅されつつあるドイツに生まれて、その土地と人々に染みついて拭っても洗っても消えないナチスの所業のトラウマじみた記憶に取りつかれて、それでも歴史とか伝説とか、土地とか生命とかっていうがっつりでっかいものととっくみあった作品をこの人は作る。でも、その手つきは繊細なので、ブリュンヒルデとかカバラとかいう単語を聞いて「中二病か…」と苦笑しかけた顔をもとに戻すことになる。特に繊細さという点では、ガラスケースにしまわれたオブジェの立体作品が少し遊び心も感じられてよかった。展示の後半は、パウル・ツェラン、ボードレール、そしてスタール夫人と、文学を主題とした作品が並ぶ。あらゆる詩を詠むことが野蛮になったアウシュビッツ以後、強制収容所から帰って詩を書いてた(でも多分川に身を投げてしまった)パウル・ツェランが彼のインスピレーション源の一つとなっていることについては分厚い研究書も出ていて、少し深く調べてみたいと思った。(研究書と公式カタログ、少し前まで国立図書館でやっていた展覧会のカタログ、コレージュ・ド・フランスでの講義録などなど、魅力的な本がたくさんあって、伸ばした右手を左手で必死で制しながらかえってきた。すでにルーヴルの本屋やら古本屋で少なくない量を買ってしまったから、今すぐ必要ないものはオンラインで取り寄せること!)
せっかくキッチンのある部屋に滞在しているのに、せかせか動き回っているうちにそんなにちゃんと料理もできずにパリ最終夜。昼間図書館で資料を漁り、時差の関係で急激に眠くなる夕方になると、地下から這い出して夜間拝観をハシゴしていた。
今回は特別展が軒並み展示替えの時期になってしまったのだが、ポンピドゥーのアンゼルム・キーファーが観られたので後悔はない。現代の芸術におけるTitan、巨人という言葉が冠されているように、存命の芸術家の中でもあまりに有名で、私が何か言おうというまいとびくともしない存在ではあるが、でも、すごかった。ポンピドゥーの回顧展には毎度毎度学ぶことが多くて、いくら感謝しても足りないのだが(ミロも、ジャコメッティも、モンドリアンも、ムンクも、リキテンスタインも、あといくつか多分あるけど、ここで一通り知ることができた)、作品それ自体をまとめて、しかも画業の初期からきちんと辿ってみることでしかわからないことがあると思う。
キーファーの作品群の前に立つと、自分が二回りくらい小さくなった気分になって、ほとんど打ちのめされてしまう。大きな筆触や絵具に混ざった砂やワラのような素材感も、独特の低い視点や消失点の操作も、描かれたテーマや、宙に書き込まれたような文字も、すべてよってかかって私の取るに足らなさを意識させにかかっているんじゃないかという気分になる。
連合国の空爆によって壊滅されつつあるドイツに生まれて、その土地と人々に染みついて拭っても洗っても消えないナチスの所業のトラウマじみた記憶に取りつかれて、それでも歴史とか伝説とか、土地とか生命とかっていうがっつりでっかいものととっくみあった作品をこの人は作る。でも、その手つきは繊細なので、ブリュンヒルデとかカバラとかいう単語を聞いて「中二病か…」と苦笑しかけた顔をもとに戻すことになる。特に繊細さという点では、ガラスケースにしまわれたオブジェの立体作品が少し遊び心も感じられてよかった。展示の後半は、パウル・ツェラン、ボードレール、そしてスタール夫人と、文学を主題とした作品が並ぶ。あらゆる詩を詠むことが野蛮になったアウシュビッツ以後、強制収容所から帰って詩を書いてた(でも多分川に身を投げてしまった)パウル・ツェランが彼のインスピレーション源の一つとなっていることについては分厚い研究書も出ていて、少し深く調べてみたいと思った。(研究書と公式カタログ、少し前まで国立図書館でやっていた展覧会のカタログ、コレージュ・ド・フランスでの講義録などなど、魅力的な本がたくさんあって、伸ばした右手を左手で必死で制しながらかえってきた。すでにルーヴルの本屋やら古本屋で少なくない量を買ってしまったから、今すぐ必要ないものはオンラインで取り寄せること!)
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