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2015/03/26

信じがたい阿呆があり得ない幸運で助かった話

 海外旅行(出張/留学/etc. )に行くときというのは、前回のリストみたいにしていろいろと準備が必要なのだが、結局のところは「パスポートとカードがあれば後は何とかなるから!」に尽きる。
 あとは遅刻をしないこと。もっとも、私なんぞはドキドキしちゃって遅刻なんてそうそうできそうにない。寝坊したり浴びるように飲んでて時間の感覚をなくしたりして、飛行機に遅れた武勇伝など聞くと、「なんて大胆な人なんだ★」と感心してしまう始末。んなもんだから、ましてパスポートを忘れるなんていうのは、別世界でしか起こりえないことだと思ってました。

 まっさか、自分がパスポート忘れて、飛行機に乗り遅れるかの瀬戸際に立つことになるなんてね!!!

 正確には、パスポートだと思って持っていたのが、すでに穴をあけた期限切れパスポートの方だったことに広島空港で気付いたのだ。
 時刻は8:20。飛行機出発が9:10。チェックインカウンターで「こちらもう無効になっているものみたいなのですが」と言われて、言葉を失った。うわあ…やってしまった…。

 カウンター係員の方は流石に立ち直りが早い。私が片道一時間くらいかかるだれもいない家に確実に有効なパスポートを置いてきていることを確認すると、ほぼ間髪入れずに国内線の振り替えが可能か確かめ、10:30発の便なら羽田~成田の乗り換えが規定より五分足りなくなるが間に合う可能性は高いからどうか、と勧めてくださる。羽田~成田が五分足りないのは余程でないかぎり大丈夫だろうが、出発まで二時間ちょっとの間に家までの往復ができるかが問題だ。私は、新幹線という選択肢を頭に置きつつ(それはちょっと調べただけで無理そうなことが判明した)荷物は全部持って空港を出た。
 近くの民営駐車場まではシャトルバスを待つ暇がないのでタクシー。運転手さんは、私の大荷物を見て「旅行だったんですか?」と世間話を切り出すも、私が「だったんですが忘れ物しちゃって取りに家に戻るんです」というと黙ってしまった。

 車のナビは高速道路を使って9:15、使わないで9:30に家につくというので、河内から山陽自動車道に乗った。すぐに本郷からの長い登り坂が始まると、私の可愛いパッソではどう頑張っても100キロ以上は出ないのだが…と、ふにゃふにゃ考えてたら、なんと工事のために一キロの渋滞。これで10分ばかりロスを食らう。
 私は書き終えていない月末までの論文のことを考えて、いっそのことこれは大人しく自分の家で論文をということなのじゃないか?とえらく自信を無くしてしまう。だったら前日(卒業式&謝恩会)もっとちゃんと飲めたのに~なんてどうでもいいことも考える。目の前にシャンパンがあったのにジンジャーエールで我慢してたのは飛行機に間に合うためだったのに!なんて阿呆をやってしまったことか。その後少し取り戻すものの、再度尾道に入る直前で工事に遭遇し、結局9:25分に家についた。

 幸いパスポートはすぐに見つかった。鍵をかけて、今のままでは極めて危うい今度のパリ行について方針を立てる。
 すなわち、(1)まずは生命と安全を確保、つまり、自暴自棄になって事故を起こすほどの事態ではない。それくらいなら飛行機を逃したほうがましだ。まあまた機会はあるだろう。ということで、法定速度の超過はなしね。(2)そして、行けようが行けまいが論文は書くこと。なんだか論文がかけていない罪悪感とテンパりようが微妙に危険な方向に結びついて自分の思考を歪めつつあったので(書けてないからこんなバカなことになるんだ!とか)それとこれとは別に考えなければならない。最後に(3)あきらめないで、とりあえず羽田まで、それから成田へ、行ってみること。

 ちなみに、この日朝ごはんは優雅に空港で食す予定だったので、この時点でかなり空腹だったのだが、(1)の生命の危機に該当するほどではないと判断して我慢して突破することとした。
 広島空港までは今度は下道を使う。ナビがいうには到着予定は10:30。いう通りなら万事休すだが、少し混んでも三原のバイパスで大体10分、空港に向かう山道で頑張れば5分は稼げるはず。駐車場は涙を呑んでちょっと割高な県営を使えば…と色々考えつつ、そのうち色々どうでもよくなってきて、もういい、なるようになれ、とついてみたら10:12だった。
 駐車場から三個の荷物を持って走り、14分にカウンターについてからはちっちゃい地方空港の本領発揮。全日空の係員さんに「間に合いましたね!!」と迎えられ、すぐに荷物を預けて保安検査場を通って…というのを5分で終えて、なんと飛行機に乗り込む前にサンドイッチを買うこともできた。これでもう、自分の過失による生命の危機はない!
 なんだか何事もなかったみたい!羽田についてみたら、荷物は優先的に出してもらえ、そのまま五分後のバスで成田へ。その後も、人の少ない平日ということもあり、驚くほどスムーズに旅程をこなすことが出来た。

 最後にちょっとだけ怖い話。成田へ向かうバスが検問を通過する際、パスポートの提示を求められてふと思ったのだが、実は、広島空港からの国内線では必ずしもパスポートを見せる必要はない。どうしますか、と聞かれてじゃあ、と取り出したのが期限切れで、何とか家まで取りに戻ることが出来たのだが、もし広島で出していなければ、今ここで、成田へ向かうバスの中でパスポートがないことに気付くことになっていたかもしれない。そうなったらもう、完全に取り返しはつかなかった。

 ちょっと信じがたいほど運がツイていたのだと思う。お蔭で、もっと信じがたいほど阿呆なことをしていたのに思いがけなく助かってしまった。

2015/03/19

旅の持ち物備忘録

 早くも三月の後半に入り卒業式まで秒読みにもかかわらず、年始の変なテンションで決めた仕事をサクサクと消化できないまま、とにかく肩が凝っている。家にも学校にも、仕事場にでかでかと「Done is better than perfect」と書いて貼っておきたいくらい、というか実際には研究室にはすでに控えめな付箋で貼ってあるのだが、それじゃ足りないくらい変なプレッシャーまみれ。幸いなのは京都と違って花粉症の症状が軽くて済んでいること。

 こういうときに、具体的なレベルの考え事を頭の中に飼っておくと余計に混乱を招くので、ここで思い立って旅行用の荷物リストを作ってしまおうと思う。国外用。

1, まずは必須品。すべて機内。
1-1, パスポート
1-2, 控え類:航空券eチケット、宿の予約確認書、電車のeチケット、旅行保険の契約書・・・なお、これらすべてとパスポートはPdf化してiPadとパソコンに入れておくこと。
1-3, 財布・・・中にはクレジットカード二枚、海外で使えるキャッシュカード、図書館・資料館カード、予備の1万円札、前回余ったメトロの切符や外貨
1-4, 名刺入れ兼カードケース・・・中には名刺数枚、イコカ
1-5, 眼鏡
1-6, コンタクトケース、予備のコンタクト、コンタクト液の小瓶
1-7, 家の鍵・・・ちなみにこれにはメモリスティックがついている

2, 電気系
2-1, パソコン、ケーブル、海外用ケーブル・・・機内。
2-3, iPad、ケーブル・・・機内。中に関連する論文を入れておく
2-3, デジカメ、充電器・・・預け。
2-4, ポータブルHDD・・・預け。
2-5, 電子辞書、充電ケーブル・・・場合による。本体は機内か。
2-6, 海外用プラグ・・・預け。

3, 仕事関係
3-1, 紹介状、面会の約束のメールプリントアウト、英文在職証明など・・・これもpdfでも持っておく
3-2, ペンケース・・・中には黒い細ペン、えんぴつ、赤ペン
3-3, 仕事途中のノート、暇なときに読みたい論文のプリントアウト
3-4, (おみやげ)

4, リラックス
4-1, 夢中で読める本・・・機内
4-2, 耳栓、イヤホン・・・機内。耳栓でどれだけ旅が楽になることか!
4-3, 落書きノート・・・機内
4-4, ワインオープナー、割りばし、小さなナイフ・フォーク・スプーン・・・預け。キッチン付でないとこに宿泊の時に、これらは意外に使える。
4-5, 地図、(旅行ガイド)・・・預け
4-6, クロックス・・・機内。これはバレエシューズみたいな形のやつ。かさばらなくてホテルの中など楽でよい。
4-7, (エッセンシャルオイル・・・預け。宿のにおいが好みでなかった時のために)

5, 身だしなみ・・・顔
5-1, クレンジングの小瓶、洗顔料・・・機内サイズ、あるいは長期の場合は別にサンプルサイズのを機内持ち込みに。
5-2, シャンプー、トリートメント、ボディーソープ・・・預け。小さいサイズを買っておく。
5-3, 化粧水・乳液・・・機内。いつも使ってるのを小瓶に移して持参している。
5-4, マッサージオイル、ヘアオイル・・・預け。
5-5, 化粧品ポーチ・・・機内。
5-6, タオル・・・大きめのハンドタオルを機内へ、ほか、ハンドタオル複数、ドミトリー宿泊予定ならバスタオルも。
5-7, 洗濯するときは、日本から小分けされた洗剤を持っていくと話が早い。

6, 身だしなみ・・・衣類
6-1, 下着一セットは機内へ。
6-2, 下着、寝るときに着るもの・・・預け。実は多めに持って行ったほうが楽。
6-3, ボトム・・・一つは緊張する人と会う用事でも着られるもの、一つはだらだらできるもの。(この二つは一つで済む場合もある)
6-4, トップス・・・一つは緊張する人と会う用事でも着られるもの、一つは十数時間着ていても全く肩の凝らないもの、一つはパーティやコンサートで着られるもの(場合によってはワンピース)、あるいはこの条件の複数を満たすもの。
6-5, ジャケット、カーデガン

7, 身だしなみ・・・付属品
7-1, 靴・・・きちんとして見えていくらでも歩けるもの、お洒落できるもの、楽なもの、あるいはこの複数を満たすもの(楽なもの、は4-6クロックスで併用可)
7-2, コート類
7-3, アクセサリー何点か
7-4, スカーフ、マフラーいくつか
7-5, 季節もの(水着?カイロ?手袋?帽子?サングラス?)
7-6, 折り畳み傘

2015/02/15

フィクションの土曜

 週末になる瞬間にどうやら気が抜けたみたいで、土曜は朝起きた瞬間から呆けて仕方がなかったので、この際一日呆けることにした。軽くご飯を食べてから、ピアノを小一時間。昼過ぎに家を出て駅前の尾道浪漫珈琲でチョコレートとアイスと生クリームとイチゴののった「ヴァレンタインワッフル」を黙々とたいらげる。それから駅前の映画館で『悪童日記』。その後大学の卒業・修了制作展を梯子した。
 こういうとふらふらっと気の向くままに動いているようだが、完全に計算ずくの一人遊びであり、照準は14:30始まりの映画である。何しろ単館、ちょくちょく好みど真ん中のがかかるのに、大体一日一回だから、余程気を付けてスケジュール調整しないと逃してしまう。今回も真昼間だから土日のうちに行かなければと息巻いていたわけだ。
 『悪童日記』はアゴタ・クリストフの同名小説の映画化で、主人公が男の子の双子なのだが、それを本当の双子が演じている。あれを映像になんてできるのかしら、と疑いながら見たけど、そう、第一部だけだからできるのだった。途方もなくリアルで救いのないおとぎ話として、むしろかなり効果的だ。冷たい灰緑色の支配する風景が、一瞬長閑に見えたと思ったらすぐに容赦ない厳しさに戻るところ。最初に一瞬出てくるブダペストのいかにも裕福そうな室内との落差は激しい。石造りの街が爆撃されるときの音もかなり怖い。双子や隣の女の子は、私が考えていたよりも大きいけど、その分生々しさがある。殺伐とした状況で生き延びるために、自分たちで訓練によってお飾りめいた「人間性」ー弱さとか迷いとかに近いタイプのーを少しずつ剥ぎ取っていくような双子の表情は凄くいい。老人たちの顔もいい。三部作を久しぶりに読み返したくなった。

 何となく興が乗って、夜ご飯のあと、買ってあったピエール・ルメートルのミステリ『その女アレックス』も読んでしまった。賞をいくつか取っているようで、この辺りの本屋でも平積みにしてある、珍しい翻訳本だ(邦題はもうちょっと格好よくならなかったのかなあという気もするけれど)。
 そして、これがまたとんでもない徹夜本である。
 描写が結構細かいんだけど、それでリズムが遅くなるわけではなく、翻訳もほどほどライトで読みやすい。その「アレックス」という謎の女にかかわる事件を追う刑事グループの班長と「アレックス」の視点が(三人称で)交代にきてぽんぽん新しいことが分かっていく。というか謎の中心であるアレックスの心理描写をはじめっからガンガン入れてくるのに、この子のことは最後の最後まで新情報が目白押しで分からないままなのだ。
 うっかり三分の二くらい読んだところで深夜二時を回って体力がつきたので、目を閉じたのだけど、頭は完全に続きを考えて無限ループに入ってしまい、久々にあの自分が布団にいることを理解しているのだけど全身の感覚が全くなくって、どんな姿勢をしているのか、体重がどうなっているのかわからず、ただその「ない」感覚と同時並行して次は誰を?なぜ彼らを?と脳みそが高速回転している、ほとんど金縛りみたいな状態になった。
 結局あきらめて目をあけたら四時で、五時半までかかって終わりまで読んだ。日曜が休日だったのは幸いだ。
 まあ、面白かった。けど、『ミレニアム』シリーズの方が好みかな。敵のスケールはだいぶん違うわけだが、なんか味方の多彩さにおいて。

2014/12/10

嗅覚をおいて地球が回る。(鼻の話2)

 私の嗅覚は戻ってくるのだろうか?
 それとも、ひょっとしてこの先ずっと、食べ物の味も半分以下しかわからず、布団のにおいに安心することもなく、ヴェレダのマッサージオイルに癒されることもなく、自分が悪臭を放っているかもしれない不安におびえながら生きていくのだろうか?
 外見と賞味期限のみで食べ物の鮮度を判断し、見た目と音だけでデパート一階の化粧品売り場に高揚を感じ取り、レシピと秤を頼りに一応の料理をし、ガス漏れの時に一人安らかに逃げ遅れ、ついには、ただ一度これが飲めたらそれでもう幸せ、と思えるようなワインに出会うことなく一生を終えるのだろうか?
 
 そんなことをもやもやと考えながら、あまり眠れぬ夜を過ごして火曜。とりあえずは内科を受診することにした。
 においが感じられないのだと訴えると、「はあ…ここでは風邪としての診断になりますが…」と受付の女性が少し困った顔をしたが、耳鼻科もよく知らないのでまずは受けてみる。呼吸器系の先生が、症状を一通り聞いて、背中の音やら喉やら診てから風邪薬と抗生剤を処方してくださった。
 聞くと耳鼻科と内科で処方される薬は大きな違いはないはずだということ。ただ、耳鼻科では実際に鼻がどうなっているのかを調べることが出来るので、これでだめなら耳鼻科に行くべしということだった。
 同僚の先生に聞いたところよさそうな耳鼻科もあるようなので、午後の授業の後で時間があれば行ってみることとした。

 出講日で片道一時間強運転しなければならないので、薬を飲まずにそちらへ向かう。
 出先の食堂で、ヒレカツとご飯とひじきの煮物を選んだ。前日よりは味を感じる。味付けが濃いのかもしれない。それよりも、カツ、キャベツ、ひじきといった歯ごたえの特徴的なものだと、風味にとって代わりはしないものの、食べることに少しの彩りが感じられるような気がした。
 突き詰めれば、食感と、味覚に感じられるものの範囲内で味を工夫することによって、嗅覚なしでの食べる経験をある程度までは向上させることが可能なのではないか。とも考えたのだが、だが…、とそれからまた前にあげた「ひょっとして」サイクルをひとしきり展開させて少し落ち込む。

 帰り道は耳鼻科の診療受付時間がわずかだったので高速道路を急いだ。
 山陽自動車道を東に向かう途中、ちょうど見渡す限り山ばかりになる場所で、沈む前の夕陽が後ろから強烈に光った。ミラー越しに見てもなかなかの絶景だった。
 鼻がだめになったら、そのぶん目が矢鱈とよくなって、天才的な美術史家になれたりしないだろうか、なんて、また仕方がないことを考えてみた。

2014/12/09

嗅覚がなくなる。(鼻の話1)

 先週半ばを過ぎたあたりから喉が痛く、金曜午後には喉の痛みに鼻づまり、鼻水、咳、頭の重さと諸症状が加わって風邪ひき真っ盛りといった様子だった。週末はもともと予定がなかったことに甘えておとなしく過ごしつつ、熱が出ないなんてなんてラッキー、なあんてのんきなことを考えていたものである。

 月曜、相変わらず弱っているので遅めに出た。
 午後の仕事を半分終えたところで、おやつ休憩をしながら、あれ本当にこれピザまんなのかよ、と齧りかけのピザまんの上に書かれた「ピザ」の焼き印を確認した、ような気がする。夕方、頭痛がしてきたけどもう少しやることがあったので、インスタントコーヒーを投入。風邪ひいて鼻詰まってると本当にコーヒーがマズイ。それだけで気分が鬱々としてくるってものだ。

 という感じで、思えばすでにちらほらと症状が出ていたのだが、おかしいと気付いたのはその日家に帰って台所に立ってからだった。半分使って切りっぱなしのまま放置していた南瓜(!)をいい加減何とかしようとみたら、切り口にうっすら白い糸が引いていらっしゃる(!!)。カビか。幸い長めの南瓜だったので反対側から少し切ってみるとこちらは見た目は大丈夫。でもやっぱりかび臭いかしら、と鼻を近づけると無臭。試しに明らかにカビの生えたほうを匂ってみても、不思議と臭いがなかった。カビってこんなんじゃないはずだ。まあ、いっか、と明らかに大丈夫そうに見えるものだけを選り分けて鍋で火を通し、目分量で酒・醤油・みりんを入れて味付ける。
 そうしながら、この時点で面倒になってしまったし胃の調子もそんなによくないので、白だしをちょっと溶いた似非おだしで野菜を煮込んで卵でとじ、ご飯にかけてスープかけごはんにすることに。最後にショウガのすりおろしとごま油をかける。

 ここでだった。
 一口食べて、ショウガとごま油と出汁の味が全くしないことにはっきりと気付いた。台所に戻って南瓜の味見をする。なにやらあまじょっぱい感じがするけれど美味しいのかわからない。なんだこれ。
 すでに温かいものを口に入れて鼻は詰まっていない。というか、鼻が詰まっているからといってショウガやごま油のにおいから逃れられるものではない。試しにショウガを齧ると全く味のない、ただの歯ごたえが答えを返した。いや、わずかな塩辛さや刺激は分かる。じゃあ問題は…。私はティッシュをとって、香水を吹き付けてみた。それを顔に近づける…!何も香りがしなかった。エッセンシャルオイルも、キムチも。何てことだ。
 
 香りが全くしない、という以上に驚かせられたのは、香りを感じられないと、味が全く違ったものになることだった。ワインのテイスティングで、口の中のワインの香りを喉を通して嗅ぐという動作を行うが、ああいった喉の中からの香りは、どうやら味覚とほとんど一体になって味の感覚を作りだしていたものらしい。それがない味は、ひどく単調で、彩りを欠くものだった。歯ごたえと、塩辛さや甘さが、別々の物質的な刺激として入っては来るが一向に焦点が合わないような、和音として聞こえてこないような感じで、食事といえるのかもよくわからないような気分で、とりあえず目の前にあるものを胃の中に収めた。
 
 考えてみると、嗅覚というのは五感の中でも重要性では割合と低い位置付けのような気がする。視覚や聴覚を失うことを考えた時の圧倒的な不便さや、味覚や触覚が機能しなかったときに考えらえる直接的な危険に比べたら、においって、どうも切迫感に欠けるのだ。

 けれど、鼻をつまんだり、鼻が詰まったりした時の感覚とは全く違い、嗅覚が効かない状態では、ものを食べることの意味なんてほとんど消え失せてしまうように思われた。

 窓を開けて外の空気を吸う。冬の澄んだ空のにおいがない空気は、湿度と密度と温度をもった、正体不明の塊のように入ってきて気道を摩擦した。