前回物々しいタイトルを付けた割に教会ばっかり紹介してましたが、サンクトペテルブルクが多大なる犠牲のもとで突如沼の中に作り上げられた人工都市であるという事実は、そのきらびやかな外観の下に何かしら鬱々と渦巻いているものらしく、亀山先生は例の「あまりにロシア的な。」で白夜のこの町で調査をしていた記憶を割合と楽し気にさかのぼりつつ、やっぱり影をつけるのを忘れない。といっても影が濃厚なのは全体がそうで、そいつから逃げようとするかのようにきゅうりを齧ってはヴォッカを呷っているような気がするけれど。
運河と河と湖に広がるサンクトペテルブルクの町はヴェネツィアにも比されるけれど、なんといっても印象的だったのは、一つはヴェネツィアと比べる人の正気を疑うくらいの広大さだとして、もう一つは秋分を過ぎたばかりだというのに尾道の冬のように寒いこと。まだ日は長く、街中いたるところにある公園では樫の葉が黄金色にカラカラと音を立てて、みんなベンチで一休みしつつ若者がバッハの無伴奏をエレキギターで弾くのを聴くともなく聴いていたりするし、日曜にはネフスキー通り沿いのあちこちで退役軍人の下手なバンドがカラオケをやって、人々が集まって踊ったり寄付をしたりと、まだまだ屋外を楽しめる季節なのがわかる。とはいえ、日が傾けば持ってきた裏付きのトレンチでは心もとないくらいで、大陸っぽく風も強い。自分が風邪をひきかけているのもあって、このあと半年以上もずっと寒いのだと思うと住人でもないのに気が滅入りそうだ。
長い冬を楽しく過ごすためもあるのか、ロシアの料理は保存食をよく使う。これは「ザクースカ」とひとまとめに呼ばれる前菜の盛り合わせ。生ハム、豚のタンの燻製、ニシンの酢漬け、スモークサーモン、キャベツの酢漬け、トマト、セロリなどのピクルス。それに野生っぽいベリーとフレッシュハーブ、レモンがつく。青いトマトはすっぱすぎて食べられなかった。
別のお店で食べたもので、同じく前菜の中でよく見る「オリヴィエ」はご存知ポテトサラダ。ロシアはスモークサーモン好きの私には天国みたいで、ちょくちょく前菜にスモークサーモン入りがある。これは豪華だからエビのソテーもついている。周りはビーツで色を付けたマヨネーズのソース。鮮やかなピンク。
別々の店でたべたスープ二つ。最初のは「ウハー」という、魚の入ったお澄ましスープ。ハーブで香りがつけてあるだけのシンプルなもので、食欲が促進される。
こちらはモスクワのカフェテリアでも食べた「ソリャンカ」をレストランで。トマトスープで、野菜と肉あるいは魚に加えてオリーヴのピクルスが入るので、発酵食っぽく深みのある味わいになる。カフェテリアの時はオリーヴの漬物とレモンが突出していて癖が強く感じたが、こちらはトマトソースと魚が混然一体としていて味にまとまりがあり、寒さにありがたい濃厚なおいしさだった。 ヴォッカ博物館という別名の、珍しいヴォッカを多数そろえていることで有名な店だが、この日私は風邪で寝込みかけだったのでビールで我慢。確か生演奏のバンドが来ていた。
メインの料理はあまりロシアっぽい感じのものは見られず。バターを包み込んであげたチキンのキエフ風カツレツなどはお腹に重たいので、途中からはグリルに野菜のソースを添えたものなどをよく食べていた。
おまけ的なものも載せておこう。
下は「カーシャ」という麦のおかゆ。ホテルの朝食では、冷たいものはヴァイキングだったが温かい卵やおかゆはオーダーして作ってもらう。「カーシャ」はロシアの食べ物の原点的なものらしい。甘くするか、しょっぱくするか、ミルクを入れるかと尋ねられ、甘くしたミルクのをハーフポーションで作ってもらった。ミルクがゆのようなものなので、好みはあると思うが、私は結構好きだった。
これは、一度夕食を食べたカフェだが、ケーキがおいしそうだったので、別の日に観光に疲れて休憩に入ったときのこと。情けないことに、ご飯の後でデザートにケーキが行けるほどお腹が元気じゃなかったのでリベンジってとこ。イギリス風のキャロットケーキとたっぷりポットサービスの紅茶をいただいた。がっつり甘くてとてもおいしい。
ところで、ロシアで料理名を言って頼むと、必ず「一つか?」と聞かれるので、そうそう同じものを頼むものだろうかと疑わしく思っていたのだが、この店でケーキを食べていた時に、斜め前に一人でやってきた男性が、同じリンゴのケーキを二つ頼み、私がキャロットケーキを半分食べるよりも早く鮮やかに二つ続けて平らげて席を立つのを見て、そうか、そういうことかと納得したのであった。思い返せば、モスクワのプーシキン美術館のそばのカフェで、向かいに座った紳士は白ワインのグラスを二つテーブルに置いてパソコンに向かって仕事をしており、連れが来るのだろうかと見ている間にそのグラスの両方を飲み干してしまった。なんとなくだけど、「常識的な頼み方」とかってあんまりないのかもしれない。それで私たちがお腹があまり空いていなくてとりあえず前菜だけ頼んだり、一つのメインをシェアしたりしていても、さりげなく対応してくれるので楽だった。
良心的と思しき料理屋では、値段のそばにもう一つ数字が書かれていて、何なのだろうと思っていたがどうやらグラム数であるらしい。「豚肉のロースト、リンゴのソース、マッシュポテト添え」だったら三つの数字が書かれていて、それぞれの量がなんとなくわかる仕組みのようだ。ソビエトチックな即物性と解釈して楽しく読書していたけれど、正しくはこのグラム数と値段をしっかり読みこみ、足りないと判断したら最初から二つ頼むものなのかもしれない。