続く、と書いていたのに間があいてしまった。スズダリからモスクワに帰らなければならない。
いい時間だったので、バスを降りた修道院前のバス停で待ってみることにした。とはいってもBUSという札があるだけで、どのバスがいつ通るのかまったくわからない。なのに、地元の人々はおとなしく待っている。暖かくなったからか羽虫が飛び出した。だめもとで、立ち話をしている子連れのおばちゃまたちに聞いてみると(英語は全く通じないのだけど、なんとかウラジーミルに帰りたくてそのためにまずはバスターミナルに行きたいということは伝わったようで)1番か2番のバスを待てと教えてもらう。ところがそのバスがなかなか来ない。
そこに、この地方の中学生ぐらいの女の子たちが半ダースほどやってきて、同じように待っていると、行先も番号もない白い、来た時のと同様に心配になるくらい古いミニバスが彼女たちを乗せた。スクールバスのようなものかな、と思っていると、運転手のおいちゃんが不安げな旅行者そのものの我々に(どうやら)「どこへ行くの?乗んな」的なメッセージを寄越すので、「ウラジーミル」といったら乗るようにいわれる。「え、いいの?これウラジーミル行くの?」と聞くと女の子たちが「ダー(yes)!」というので、乗ってしまった。二人で助手席に乗る。100ルーヴル札を見せられて払うように言われ、二人分を払うと、バスはご機嫌で走り出した。助手席の前には、切符の巻いてあるやつが置いてある。とはいっても切符を使うわけではなく、その後市内に入って警察のいるあたりを通るとき、そのロールは(予想通り)さりげなく仕舞われてしまった。
これはまあ、普通なら絶対乗ってはいけないバスであって、我々も旅行中のこの種のものには散々気を付けているので、かなりイレギュラーな事態ではあったのだが、なんというか、少しも危険な気がしなかったし、実際に全く危ないこともなかったのである。料金は正式なバスと同じで、運転もいたって穏やかだった。そもそも一緒のタイミングで乗った女の子たちが、洗練されすぎず、かといって虐げられていそうな感じも皆無で、いかにも健康的な普通の女の子たちだったので自然と警戒が薄くなったし、おいちゃんは、全体的に腹回りなどがでっぷりしていてラフな格好で、過剰に「いい人」そうな感じもしないしそこまで頭が切れそうでもないが、オドオドすることもなく見た目とバランスの取れた落ち着いた動きで、素面で、笑顔すぎることはなく、不機嫌すぎることもない。英語は話すこともないし分かっている気配もない。ロシアの田舎で何かのついでに私営スクールバスを驚くほど良心的に運営している個人運転手としてなにも違和感がない感じだった。
ウラジーミルのどこへ行くのかと聞かれ、鉄道駅と答える。往路は雨だったが、夕方の光に照らされた黄金の秋の景色を助手席から堪能する。
市内で女の子たちやほかの乗客を降ろしつつ(どうやら本当のバスでないと停車&乗降がまずいエリアがあるようで、個々に交渉していた)思っていたより早く駅についた。これは夕方の特急に乗れるか??と思ったが、直前すぎでダメだったようなので、3時間ちかく、ウラジーミルの町を散策した。
鉄道駅少し離れた小高い丘がメインストリートになっており、店や銀行、教会などが並んでいる。
緯度が高いからかゆっくりと陽が沈み、そのあともしばらく明るい。
ロシアの広大な土地には、森と耕地と湖が点在していて、ところどころが収穫を終えていたり紅葉していたりして、とても美しい。
目抜き通りで少し若者向けのおしゃれグリルに入って、ハンバーガーとビールを頼んだらなぜかビールがタダだというので、そんなのを食べて、急ぎ足で鉄道駅に戻ってモスクワへの列車に乗った。
モスクワについて、前日シベリア料理を食べたお店に行ったら無事「地球の歩き方」を回収できた。疲れ切ってGettというアプリ配車サービスのタクシーを使ってホテルに戻る。
この日の冒険はこれでおしまいだけど、モスクワではたびたび、サンクトペテルブルクでも空港ホテル間で、お世話になったこのGettについて少し。
ロシアの都市はスケールが大きすぎて、地下鉄駅の間が広すぎ、ランドマークから「最寄り」駅までもかなり歩くし、そもそも駅に入ってからホームにたどり着くまでも長い。そこで、タクシーがとてもありがたく思えるのだけど、Gettはその新しい版といったところ。ネット環境で使えるアプリで、現在地と行先を入力すると所要時間と道程、料金が分かり、近くにいて来れる車のなかのどれかにお願いすると、その車の色とナンバー、何分で来るかが知らされるので、それに乗るという仕組み。道順は我々のアプリと車についたスマホに表示され、料金はアプリを通して決済なので揉める心配がなくてかなり安心だ。そもそもの料金設定も安い。その割に、大きな道や空港ではタクシーレーンを通ることも許可されているようだ。
はじめはモスクワの空港で丁寧に使い方を教えてもらったのだが、乗ってみて話題の「ウーバー」とはもしやこんな感じのものか、となかなか感心した。言葉は通じなくても全然平気だし、運転手は道を知らなくてもいいわけで、常識が覆される感じがある。タクシーの場合に、タクシーと利用客の間に入って配車したり研修したり給料計算したり、カード決済のシステム搭載の交渉したりしている「会社」みたいなのが、究極的にはごっそりなくなって大丈夫というわけだからね。普段の自分の行動範囲では全く危機感を覚えたことがなかったのだけど、こりゃあ、AIに仕事を奪われると不安になる人がいるのもわかる。どんなに便利で楽だといっても、なんだかんだとタクシーと我々の間に事務管理に入ってマージンを取るのは現状では結構よい「お仕事」で、それがなくなるくらいならなるべく長く不便な世界でありつづけてほしい…、なあんて書くとずいぶん滑稽な感じだけど、身の回りの大人を見ているとこのような行動原理はわりと蔓延っている気がするよね。
No comments:
Post a Comment