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2016/03/22

A4問題(袋物編)

 2年半サブバッグとして頑張ってくれたロンシャンの買い物袋に穴が開いてしまった。何代目になるかもはや不明だけど、その役目を果たす袋を手に入れなければならない。
 だが、「その役目」というのがあまり単純ではない。

まず、入れるもの。
・A4薄型ノートパソコン(およびそのケース)とA5サイズのタブレットのどちらかあるいは両方。
・A4のリングノート。
・A4の書類入りクリアファイル(場合によって何冊かあるときも)
・電子辞書
・手帳
・折りたたみ傘
・500mlの水筒

プラスして、いつもではないけど持ちあるくこともあるもの
・ケーブルやマウスの入ったポーチ
・ポータブルHDD
・読み途中の本(これがやっかいなところで、時期によってA4より一回り大きいハードバックの美術書だったりすることが無いでもない…けどまあ、普段車移動のときならもうひとつサブバッグを追加すればいっか。というか、どうしても必要なとき以外は持ち帰らないようにしよう。)

・旅行のときに機内持ち込みをコレで行くときにはさらに、旅の持ち物リストに書いたようなものも入ると望ましい(一日分の下着とか、化粧ポーチとか)。

ちなみに、財布、名刺入れ兼カードケース、筆記具、小さなメモ、最低限の文庫本と最低限の化粧直し用具は手元にあるほうがいいのでポシェットに分けていることが多いけど、うまいこといけば入るほうがいいかな~。
という感じ。

持ち歩く場面はというと。
・ふだんの仕事。
・なんだったらちょっと荷物必要なお出かけ。
・出張のときや、仕事場以外でパソコンとかもって仕事するとき。
・なんなら帰省のとき。

よって、条件としては、
・A4が入る。
・マチの厚みが結構ある。
・(乗り物の上の棚においたり、地下鉄に乗ったりするから)口が閉じる。
・手持ちも肩掛けもいける。
・それ自体の重さはあまり重くないほうがいい。
・でも丈夫さ超重要!
・ドレスコードはゆるゆるだからデザインは固くなくていい。が、ファッションにあわせてバッグを変えるような器用なことは出来ないから、いつでもいけそうな感じ?というか二個持ちのときが多いから一個目と喧嘩しないことのほうが大事か。ブランドロゴやチャームが目立つのは恥ずかしいけど、これはあまり心配しなくても大丈夫か。
・そんなことより、火の中水の中、とまで行かなくとも、キレイに掃除された空間じゃないところに連れ歩くから、汚れが目立たず手入れが楽なもの。
・なにより、テンションがあがるもの。

…この項目は案外と重要で、コレさえなければたぶんパソコン運搬をメインに据えてややマチを広く取ったビジネス鞄ですんなり片がつきそうだが、例えば私は合皮ってやつが嫌いだったり、ナイロンでもある種の光沢はいやだったりして、嫌いなものをもたなければならないとなると「もう本屋でもらったビニール袋とか風呂敷でいいよ」みたいな気分になるので、ずっと昔パソコンがもっと大きかったときには黒いナイロンのパソコンバッグをかれこれ4年ほどは使っていたけどあれは嫌だったな。学生やってて好きなものが買えるお財布があるわけもなく、結構長い間、帆布で作ってもらったのをご機嫌で使っていた。飛行機の収納棚に押し込むときは持ち手をぎゅっと結んだりして。

そこで思い出したが、わすれてはいけないのが、
・予算内。

 と、びっくりするような大量の条件が飛び出すわけだが(ロンシャンの買い物袋はあの値段ですごく優秀だったことになる)、もっとびっくりなことに、結果的には案外早く見つかった。正確にいうと、最後の条件で脳内会議を臨時召集したうえで経理に一歩だけ引いてもらったのだけど。
 ところで、金勘定部門相手だと使用頻度と耐用(愛用)年数で納得させるのが定石だが、子供の頃と違って身体は育たないものの、やっぱり好み(見る目?)や生活スタイルは少しずつは変わっていくから、「これは長く愛せる!」と判断して言い切るのにはそれなりに体力を使う。破れる前に飽きたら負けだし、思っていたより前にくたびれたらそれも(品物を見る目が無かったということで)負けだ。ちなみに、一度負けると経理が強気になってとてもじゃないが予算をちょっと超える買い物なんてさせてもらえなくなる(そもそも飽きたところで破れるまでは使うからそれ自体で罰を受けていることになるのだけどそんなことを主張しても彼女は納得しない。ええっと、脳内の経理係の話です)。キラキラした店員さんとおしゃべりしながら、このかばんをステキに見せる照明や棚を度外視して、曇り空だったらどう?もっと楽な格好だったら?と頭を高速回転する。なんなのだこの戦闘的な消費ってな感じだが、案外いつもこうだったりします。

 ちなみに、ハンドバッグでないバッグに興味を示していると、店員さんは大体「これA4入りますよ~」というキメ文句で案内してくださるのだが、この言葉はよほど「効く」のか、「(上のマグネットを閉めなければ)A4(の書類何冊かなら)入ります」とか「(マチをいっぱいいっぱい使わなければ)A4(のクリアファイルがすこし曲がっても一応折れずに)入ります」みたいな場合でも使われるのが紛らわしいことである。逆に女性用ではB4までOKというのはほとんど無いので、「A4入る」でカバーされる範囲が広すぎるのだ。震度じゃないが、A4強とA4弱とかに分けてもいいんじゃないでしょうか。

2016/03/14

雑記

 パスポートを忘れることもなく欧州での調査&旅行を終えて、仕事場での休日返上の大仕事も終えた。帰り便で乗り換えがタイトだったためにロストバゲージにあったが(尊敬する先輩より「何事もなく旅行ってできないんだね」との呪詛じみたお言葉を賜ったが)それも少し遅れて届き、ミュージカルを観るのとどちらにしようかと一瞬迷った末に手に入れたジョーマローンのコロンも無事取り戻したので一安心したところ。

 Twitterをやめて約一か月半が経ったくらいだと思う。一週間あたりで換算するとそれなりになるような時間を費やしていたと思うが、一か月半前からこのかた一日24時間では足りない状態だったので、やめたことによる恩恵を享受するというよりはひたすら借金を返してようやくトントンという感じ。
 ただ、雑音が格段に少なくなった。世間の悪意から、自分自身が実際に離れているのと同じくらいに、無関係でいられる。それから、別に話題もないのに矢鱈目鱈書きたくなる。
 このfragments ひまつぶしんぶん、の前身は、大学院の頃書いていたブログだが、その前は大学時代の茶道部の部室に常備されていた、自由に書き込んでいい順番のない交換日記のようなノートで、それなりに臆病な自尊心と尊大な羞恥心に手を焼いていた中高の頃は誰にも見せずノートを埋め、その前が、ディケンズのピクウィック・クラブを真似した『四人の姉妹』の秘密結社に着想を得て発行していた元祖「ひまつぶしんぶん」、さらに前は「あみちゃんしんぶん」なるものを書いていたそうだ。いわば筋金入りの駄文吐きであって、いちいち駄文に甘んじず訓練して書いていたら今頃印税生活者だったかもとか思うけど、そうでないので仕方がない。

2016/03/06

キーファーのスモール・ライト効果

 シャトー・ムートン・ロートシルトというとシャガールやピカソがラベルを描いたことでも有名な一級品のボルドーワインだけれど(私でもわかるワインの一つである。なにしろ昔バイトしていたお店のトイレの前にラベルのポスターが張ってあったので。)、微妙に似た名前の、もっとずっと庶民的だけどそこそこ美味しいワインを飲みながらこれを書いている。お供はキイチゴとピスタチオのマカロン。箱買いしている各国のマダム・マドモワゼルに混ざって小さくなりながら「今夜のおやつに二つだけください」とピエール・エルメで買った。
 せっかくキッチンのある部屋に滞在しているのに、せかせか動き回っているうちにそんなにちゃんと料理もできずにパリ最終夜。昼間図書館で資料を漁り、時差の関係で急激に眠くなる夕方になると、地下から這い出して夜間拝観をハシゴしていた。

 今回は特別展が軒並み展示替えの時期になってしまったのだが、ポンピドゥーのアンゼルム・キーファーが観られたので後悔はない。現代の芸術におけるTitan、巨人という言葉が冠されているように、存命の芸術家の中でもあまりに有名で、私が何か言おうというまいとびくともしない存在ではあるが、でも、すごかった。ポンピドゥーの回顧展には毎度毎度学ぶことが多くて、いくら感謝しても足りないのだが(ミロも、ジャコメッティも、モンドリアンも、ムンクも、リキテンスタインも、あといくつか多分あるけど、ここで一通り知ることができた)、作品それ自体をまとめて、しかも画業の初期からきちんと辿ってみることでしかわからないことがあると思う。

 キーファーの作品群の前に立つと、自分が二回りくらい小さくなった気分になって、ほとんど打ちのめされてしまう。大きな筆触や絵具に混ざった砂やワラのような素材感も、独特の低い視点や消失点の操作も、描かれたテーマや、宙に書き込まれたような文字も、すべてよってかかって私の取るに足らなさを意識させにかかっているんじゃないかという気分になる。

 連合国の空爆によって壊滅されつつあるドイツに生まれて、その土地と人々に染みついて拭っても洗っても消えないナチスの所業のトラウマじみた記憶に取りつかれて、それでも歴史とか伝説とか、土地とか生命とかっていうがっつりでっかいものととっくみあった作品をこの人は作る。でも、その手つきは繊細なので、ブリュンヒルデとかカバラとかいう単語を聞いて「中二病か…」と苦笑しかけた顔をもとに戻すことになる。特に繊細さという点では、ガラスケースにしまわれたオブジェの立体作品が少し遊び心も感じられてよかった。展示の後半は、パウル・ツェラン、ボードレール、そしてスタール夫人と、文学を主題とした作品が並ぶ。あらゆる詩を詠むことが野蛮になったアウシュビッツ以後、強制収容所から帰って詩を書いてた(でも多分川に身を投げてしまった)パウル・ツェランが彼のインスピレーション源の一つとなっていることについては分厚い研究書も出ていて、少し深く調べてみたいと思った。(研究書と公式カタログ、少し前まで国立図書館でやっていた展覧会のカタログ、コレージュ・ド・フランスでの講義録などなど、魅力的な本がたくさんあって、伸ばした右手を左手で必死で制しながらかえってきた。すでにルーヴルの本屋やら古本屋で少なくない量を買ってしまったから、今すぐ必要ないものはオンラインで取り寄せること!)

2016/03/02

買い物に愛が炸裂する。

 どうやらこのたびはパスポートを忘れるようなこともなく、雨のパリ。
早速買い物したけど愛が溢れすぎてよくわからぬ組み合わせになってしまった。少し迷ってフェンネル(セロリとジャガイモの中間のような楽しい食感と爽やかな香りで大好物)をバターで炒めて、ミルクスープで煮たやつに、ラヴィオリ(パスタの餃子)も入れちゃって温かいご飯に。ロケットと生ハム、チーズは添えてサラダにしました。コンテチーズがセンチメートル単位で食べられる幸せよ。
ブランジュリーがたくさんあるのに何故パック売りのパンを??と非難されるかもしれませんが、なんだかなんだ食べたくなるのが右下の工業製品チックなパンケーキ。