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2020/06/06

よき市民であるための睡眠について、または、思い煩うな。-育児雑感(6)- 

 夫の育休明けあたりから私には胃痛に続いて腰痛が発現し、かつ、離乳食開始に伴い食事リズムが乱れがちな寝返り初心者の坊は、昼間以上に夜間規則的に栄養を要求する&寝ぼけて意図せぬ寝返りでベッドにぶつかったりしてガンガン起こしてくれるところに、昼間もそのへんで在宅仕事の遠隔会議などやっていると気も遣い(たぶん世の中のテレワークの人のパートナーほどちゃんとしていないから、それで気を遣っているのかって感じだがとにかく気は遣う)…というのが地味に蓄積に蓄積を経た木曜夜。
 すごくいいところを起こされて授乳している最中、ひとり夜の読書かSNS上での交友か何か平和な就眠儀式を終えた夫が寝入っているのが、うっかり目に入って(大きい人はついさっきまで起きていて、小さい人は今起きたところなのだが関連の追求はさておき)、ついに憎しみに似た羨望で焦げた。
 私だって起こされないで眠りたいし、もっと重要なことには、連続した睡眠をとれる見込みで寝る前ののんびりしたひとときを過ごしたい。怠惰ゆえに寝過ごして後悔するなんていうのも夢のような贅沢に思える。そういえば夕食後この人ビールなんて飲んでいた、オールフリー切らしていたのに。飲まないから羨ましくないなんてことはないのに。
 (ちなみに夫は「参加」とか「協力」とかでなく完全に育児のパートナーで、今はあちらが仕事をしている関係上私の分担が多くなっているが、授乳以外はすべて担当できるし、育休中は授乳と夜間対応がないぶん育児だけでなく家事も献身的にしてくれていて、正気の私であれば文句のあろうはずはないし、ビールくらいじゃんじゃん飲むべきである、とは申し添えておきます。すまん。)

 これは良くなかった。一旦起きて眠れないのはそんなに珍しいことではないけれど、矛先が具体的な人間に向かうのは良くない。一神教と二元論とどちらが便利かとか考えていればまだよかった。まあ、何もしてません、念のため。一夜明けて、昼寝を狙うものの、思うようにいかず、蒸し暑い気候も相まって全く気が晴れなかった。


教訓1:理由があって寝られないときに、寝ている人間を見てはいけない。
教訓2:理由があって寝られないときに、すべきことは、「眠れるときに眠ること」だけである。決して考えてはいけない。「いつになったら眠れるのか」「なぜ私は寝られないのか」「こんなに眠れなくて大丈夫なのか」などなど。

c.f. 「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。  ーマルクス・アウレリウス『自省録』ー

 ところが昨夜、ずいぶん久しぶりに夜中に四時間半連続で寝てくれたらしい。私もそれくらい眠れたみたいで、今日の昼間は目に見えて頭が働いて、「これが集中力、そうそうこれこれ!」ってなっていた。小さい人の日課をするのにも余裕があるし体力的にも楽。ニュースなどをネタに家族で話をしても、言葉がちゃんと出てくる。取り上げるほどでない話題をスルーできる。本の続きを読むのにも身が入ったし、何より、ジョージ・フロイドの事件に端を発するアメリカの色々な流れについて書かれたものをやっといくつか読めた。
 これだけの歴史の潮目にいて、ここ2週間くらい、私の最大の関心は「今夜はどれくらい寝てくれるか&眠れるか」にあった。その次に、日々の食事や散歩やなんかがあって、他のことはみんなひっくるめて雑音みたいだった。それが当たり前すぎたので、一瞬余裕ができた今、自分があまりに狭いところにいたことに気づいて愕然とする。そのあいだ、私は悲しいほどに研究者でなかったし(夫の育休明け以降、覚悟はしていたが研究からかなり遠ざかっている…体調の問題だと工夫でなんとかするわけにもいかないのできつい)それ以上に、よい市民じゃなかった。
 今まで以上に未来のことをしっかり考えたいはずが、なかなかそうできる状態がやってこない。今は少し開けているけれど、また狭いところに戻るのだろう。本当は長く潜って先にいきたいけれど、浅瀬にいる分の酸素しか蓄えられないときが多い。…とはいえ、こういう「感じ」はなんとなく、知っておいて覚えておくべきだという風にも思う。

教訓3:良き市民であるためには睡眠。ブラック企業はやっぱりいけない。
ただ、そうでなくてもひとには良き市民ではいられなくなる時は結構ある。