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2016/10/31

血塗られたジュエリーとか、アドレナリン中毒治療とか。

 季節の変わり目は体調を崩しがちだし、寒さに加えて日が短くなると気持ちも弱りがちになる。ハロウィンとかヴァルプルギスとか、お祭り騒ぎで区切りをつけようというのは合理的だ。日本で4月30日になにかやっても意味はないけど、10月31日は、ぐっと気温が下がるし、後期が始まって少しだらけるあたりでちょうどいい。
 実家から届いた立派なかぼちゃの1/4で、北海道の誇る「かぼちゃ団子」を作って振りまいたりしてみた。今日は重さにしてかぼちゃの1/4ほどの片栗粉を使用。あれちょっと食べにくいのと、出来立てじゃないと固くなるのが難だな。丸っこく整形して、砂糖醤油はフライパンで絡めて、竹串に挿すとかがよいのかもしれない。そもそもお洒落なパンプキンパイとかを作ればよかったかもしれない。でもパイじゃかぼちゃはリンゴに勝てないんだよねえ。


 チェコのガラスビーズで作った染血のチョーカーと流血のピアス。壊して再利用する。ピアスの金具はちょっとよいものなのでパールとかつけようか。


 最近また分野問わず本を買いあさっては読み漁っている。
 上記は、少し恥ずかしい邦訳だけど(How to write a lotそのままで、「たくさん書く方法」とかでよかったのに…)、締め切り直前性アドレナリン中毒(*1)の治療のための福音書なのではないか。私生活を守りつつ、期日が来る前に、一定以上の水準の仕事をシステマティックに仕上げていく方法が書かれている。中毒治療なので簡単ではないけど、それなりに頑張ることで幸せな未来が思い描ける気がする。

ほほう、と思ったところ、引用すると…。
 「スランプについて(…)行動を描写しても、描写された行動の説明にはならない。スランプというのは、書かないという行動以外の何ものでもない。」

 「目標が達成出来たら、自分にご褒美をあげよう。(…)ただ、しっかり書いたからといって、見返りとして執筆予定をさぼるというのはあまりにばかげている。ゆめゆめ、執筆しないことをもって執筆の報酬としないこと。執筆できた見返りにスケジュールを放棄するのは、禁煙のご褒美として煙草を渡すようなものだ。」

(心正しき皆様にはふーんだ、別に普通じゃん、と思われました?何を隠そう、私、患者だからね。)

 村上春樹とか森博嗣とかそういうすごい小説家の話や、神のごとき少年漫画家の先生方のスケジューリングの妙というのも、この一冊を間に挟んでからだと、少し現実的に思える気がする。

(*1)締め切り前に追い込まれると、今まで忘れていた集中力とやる気が漲り、恐怖に駆られて勢いで仕事をこなす。逆に、余裕があったら気持ちがゆるんで、仕事にもゆるみが。別名「ギリギリパーソン」。
白状すると、私はまさにこの症状で、期日前の恐怖と緊迫感を、間違いなく「快」の刺激として処理してしまっていると思う。今までも、あまりにスリル満点で精神的にしんどいことと、人に迷惑をかけがちなために、何度か脱却を試みてきたけどなかなか難しい。最近は新たに、体力的にきつい(肌が!髪が!むくみが!内臓が!)というのっぴきならない事情と、これから長く続くであろう「書く人」的人生、いちいち罪悪感をおぼえずにプライベートを謳歌したい!という、もう少し花模様な理由から改革に踏み切ることに決めた次第。
ちなみに、自分の性格的にはこの最後の理由は効いてくるはず。いつも「健康のために」とか「家計のために」お弁当作ろうと思ってもちっとも続かないけど、この時期は「今ある米を食べきって新米にありつくため」とか「いつも美味しい新米を食べるため」に凄い勢いで弁当を作れたりする。

2016/10/15

晴れのくにで土のうつわを


 見事な秋晴れに芳しい風。
 ちょっと暢気なスタイルの山に似合う稲穂を新幹線が揺らす、岡山県は伊部の里です。
 
 恵みの秋は、私にとってはなにかしらん物欲の秋でもあり、つい先日は新幹線の時間を待つ間、伊勢丹のスカーフ売り場でジョンストンズのストールを物欲しげに眺めていたら、「ぜひ巻いてみるだけでもいかがですか?ホントにいいんですよ~」なんて嬉しいことを言ってくださるので、ついつい、羽織ってみたりして、そうするとやっぱり凄くって、全身の細胞に向かって訴えかけてくるのである。異音がする15年物のオーブンレンジは多分もうちょっとあのままでも大丈夫だから汝ワシを買え、と。こちとら18世紀以来の伝統がつくった間違いない逸品、そんじゃそこらの人間よりずっと確実な安心と保温効果を約束してやる、と。ひゃあ、全力で振り切って改札通って逃げてきたけど(勿論買えないですよ!)、しばらくはソワソワしちゃっていたもの。嗚呼、確かなぬくもり、ほしいな。


 話は変わって今日はポンコツで山陽道をのこのこと、備前焼祭りを訪れたのである。
 実は、肌触りと色のよい布切れと同じくらいに私の心を躍らせるのが、ある種の焼き物であるらしい。
 土地の土に注いだ水と火がつくる奇跡をそのまま見せる肌合い、厳しく洗練された輪郭にほんの一滴の遊び心が目配せしているような形態、そして飲み物や料理をおいしく引き立てる強さ。どれをとっても備前は好き。
 
 入る?どうする?とふらふらっと立ち寄った直売店で、シルエットから惹きつけられたコーヒーカップとソーサー、近くに寄るとやっぱりとても素敵だから困る。それにお値段は隣のC&Sの二倍以上…(ところかまわずよくある事態)。試みに触れると手指に吸い付くようにすべらかで、灰褐色の縁から丸みに添うように赤みを帯びた肌は(Kissed by fire、といいたくなる)角度を変えるとうすく鈍色に金属的な光沢を帯びる。もう少し肌理の粗いソーサーとの対比も申し分ない。でも待って、並べてみるから違うけれど、家で普段使いにするなら隣のものだって十分素敵ではないかしら(それに十分以上に予算内だし)?いや、でもやっぱりこっちのほうが面白いし、なのに野暮ったさがないし…、とかなんとかうだうだと思っていると、チャーミングなおじい様が表れて、「こっちは僕が作ったんだけどね」と、私が当初目を付けたカップに如何なる工夫が凝らされているかを説明して下さる。絶妙すぎるタイミングで、こうしてみると、むしろこのカップに出会うために山陽路を上ってきたような気分がしてくる。降参。なんて幸せ、明日の朝ごはんにコーヒーを淹れるのが楽しみで仕方がない。明後日も、明後々日も、その次も、朝が来てコーヒーが飲めるってなんて素敵。桃蹊堂というところ、覚えておこう。

 ちなみに祭りは初めてで、高速の事故渋滞の影響で一時間ほどロスしてお昼過ぎにたどり着いた。有名な祭らしく、GWに行った萩焼まつりとは比較にならないくらいくらい人が出て、国道二号線は隣町から渋滞していた。規模もかなり大きく、一キロ以上の歩行者天国の両側に窯元の直営店が並び、駅前の特設会場では、各種窯元がブースを出して特売品を売り出しているほか、飲食の出店もあちこちに立っている。
 同行者の知り合いという窯元を訪れたら、なんとちらし寿司とおでんを振舞ってくれた。祭りじゃ!って感じがすごい。接待所にところせましと並んだ、大らかで豪奢な調度、備前でそろえられた器。
 特設の特別価格品も楽しいが、窯元直営店の売り物が全品20%オフというのがなんだかんだすごい気がする。道行く人が次々にお店に入っていくので、少し奥まった店にも気楽に入れるし、なんといっても上等なものも気負わずにゆっくり見られるので勉強になる。備前はほかの窯元より全体的に高額な印象だが、とはいっても茶道具とかを買うのでなければ全然法外というほどではない。雑貨屋でお気に入りの器を選ぶ感覚で、運がよければ職人さんとお話しをしたりしながら、一点ものを連れて帰ることが出来る。