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2022/11/19

うちゅうにむちゅう

 もうすぐ三歳になる坊との会話はかなり楽しい。

 普段は一緒にいると「あそぶ」でいいが、車の中で私は運転、坊はチャイルドシート、という状態だとできることが限られ、暇でも口を動かすしかない。「ショベルカーあった!」「ゆめまーとだ!」と報告し合うのも同じ道だとマンネリ化しがちなので、少し見えないものを入れながらおしゃべりを試みてみる。見えるものも見えないものも、盛り上げる秘訣は「列挙」なので、今日ほいくえんで外遊びした?滑り台した?小さい滑り台もした?お砂場あそびはした?だれだれちゃんと遊んだ?だれだれ君はいた?あかちゃんは一緒だった?とインタビュー形式にしたり、なんの色の車がある?他には?と車の色をひたすら挙げてもらったりする。近頃は坊の方から「ママはがっこうでちゃんとお弁当たべた?」とインタビューしてくれたり、「軽トラック今日いるかな?」「いつつくらい、いるといいねえ!」と本日の探し物テーマを提案してくれたりする。

 ただのおしゃべりなので、寝る前に気持ちを落ち着けるのにもいいかも、と、寝付くのが難しそうなときは消灯後にぽつぽつ話をしてみる。最初は眠れるためのおまじない(*)だったのだが、ある時なにかの拍子に明日の朝ごはんのメニューを列挙する形になり、それに好きなメニューや知っている野菜と果物など、どんどん広がって「たべものじぇんぶ」、転じてここ二週間ほどは「食べ物ゲーム」が日課になった。じゃあね、リンゴ!「じゃあね、みかん!」じゃあね、パン!「じゃあね、バターとリンゴのジャム!」じゃあね、ごはん!「じゃあね、すっぱいうめぼしとかりかりのおにぎり!」…とやるのである。

 昨夜、たまたま、「じゃあね、カレー!」が出てきたので、じゃあね、シチュー!と言ったら、「しちゅう、うちゅうにむちゅうのやつ?」と。ほほう。ーシチューは、カレーに似てるけど白くてあったかくて美味しいんだよ、こんど食べようね。宇宙はロケットでいくところだよ、というと、先日の月食で月に興味津々な坊のいわく「ロケット、あかいおつきさまいける?」ーん-、いけるかな、赤くないお月様もいけるよ。「しろいおつきさまいける?」ーうん。「きいろいおつきさまいける?」ーうん。「くろー-いおつきさまいける?」ーそうだね。「あかーいおつきさま、ちょっとこわかったね」

 おおきくなったら、ロケットでお月様いけるよ、と言ってみたら、「ぱぱとままはおおきいからつきにいける?」と!少し困って、ーおおきいけどお月様いけないね。ママとパパはロケットにのるのと別のお仕事だからね。ロケットのるお仕事の人はいくんだよ。でも(坊)がおおきくなったら、ロケットのるお仕事じゃないひともいけるかもね。

 坊、じーっと考えてて(もちろん理解は追いついていないと思う、でももっとちいさいときからの悪い癖で私はあまり理解してなくても全部言ってしまう)、「くるまはのれる?」と。ーくるまは、(坊)も乗れるね。おおきくなって、練習したら運転もできるよ。「じゃあね、くるまでつきにいくのがいいんじゃない?」とのことで、ーそだね、車でいけたらいいね、と。頭ひねりすぎたのか、その後スムーズにご就眠でした。


(*)めんめつぶって、おててとあしをだらーんとして、いきをおおきくすって、おおきくはいて、あーきょうもたのしかったねー、おいしいものたくさんたべたねー、あしたもたくさんあそべるといいねー、おふとんきもちいねー、(とかなんとか適当に)おやすみー。

私は眠るのが得意でない方で、小さいときはどうやったら眠れるのかわからなかったし今もちょくちょく不眠が怖く、どうやら坊も「おやすみ三秒」タイプではなさそうなので、なにかルーティンがあったらいいのかとヨガのリラックスを参考にやってみているものである。

2022/09/07

シンクロニシティ

 昔、基礎化粧品については口コミやレビューを見るより親族の使ってるものが肌質に合うから一番だよ!みたいな見解を見たことがあるのですが、別に意識的に参考にしなくても選ぶものが似通ってしまうというのは姉妹あるあるらしい。

 私に妹が二人いる話は界隈では有名だが、上の妹とは、昔からとにかくよくかぶる。おそらく同居していたころに、私に憧れまくってた妹が、一挙手一投足に学習を極めて趣味をインストールしてしまったのではないかと勝手に推測するのだが、正確には服装をはじめテイストはわずかに違うし、骨格も合う色相も少し異なり、我々それを意識している。にもかかわらず、たまに私が東京に出るときに一緒に遊ぼうとなったらだいたいアイテムがかぶっていて、下手したら三人とも同じ無印良品のニットカーディガンとかだったりする。冬靴を買わなければ、という年に入手したのが似た黒のスムースレザーのくるぶし丈ショートブーツだったり、ベージュにもいろいろあるだろうに春コートの色味がステルス級に同じだったりする。ある時は、クリスマスプレゼントにリクエストして買ってもらった石ついた指輪が同じブランドの色違いだった。プレゼントをもらう話も指輪にする話も事前には一切していなかった。夫たちはひたすら気味悪がっていた。その時はまだ夫じゃなかったかもしれないが。

 この偶然の一致の極致が、一週間違いの予定日で妊娠し、10日差で男子を出産したことだろう。夫たちはひたすら気味悪がっていた。お互い、子供を望んでいたことすら知らなかった。もう驚くことなどないと思ったものである。

 そしたら、昨日、コメ炊き忘れたし疲れたから坊と私の夕食はココイチにしちまえーっと、から揚げ付きキッズカレーとカキフライカレーをテイクアウトし、「台風だしさぼったよー」とラインしたところ、まさかの!東京の妹宅で甥っ子がから揚げ付きキッズカレーのテイクアウトを食べる写真が届いたのである。ひさしぶりにちょっと驚いた私は、早速二枚の写真を並べて夫に報告したところ、「うけるね」と一言。して坊のズボンが白っぽいのにカレーの染みが付くのではないかと心配していた。もはや気味悪さも吹っ切れたようです。

2022/09/01

乗り物あつまれ

 2歳8か月現在の備忘として

乗り物一般:「タイヤあるやつ」

・電車

山陽本線普通:「黄色い電車」

新幹線諸々、桃太郎(貨物列車):その名称で

山の手線:「やまのせてん」

地下鉄丸ノ内線:「パパの赤い電車」

・働く車

ブルドーザー、ホイールローダー、コンクリートミキサー車、ダンプトラック、コンテナトラック、タンクローリー、フォークリフト、ウイングトラック、ごみ収集車、路線バス、幼稚園バス:その名称で

軽トラ:「小さいトラック」あるいは「けいととらっく」

クロネコヤマトの宅配車:「ニャンニャントラック」

ヤマザキパンの運搬車:「パンパントラック」

サカイの引っ越しトラック:「パンダちゃんトラック」

*追記 現金輸送車:「げんきんせいそうしゃ」(マネーロンダリングというやつ…これ、農協あたりでよく見る警備会社の窓つぶしたバンを「現金輸送車かな」といったら気に入ったみたい)

・普通車他

日産ノート(赤):「ママの赤い車」「ママの赤い車とおんなじやつ」

日産ノート(ほかの色):「ママの赤い車のほかのやつ」「ママの車とおなじやつ」

その他の赤いコンパクトカー:「赤い車」

オレンジ色のコンパクトカー:「おねえさんのオレンジの車」(同じ駐車場の幼稚園のお姉ちゃんのところが乗っているので)

トヨタクラウン(白・銀):「しゃちょうの車」(同じ駐車場の「社長」のところに停まっているので)

トヨタプリウス(白):「ぷりうすのよその車」

トヨタプリウス(黒):「お兄さんの車」(同じ駐車場で男性が乗っているので)

軽自動車一般:「黄色いなんばんプレートの車」

ミニバン一般:「バスみたいな車」

SUV一般:「かっこいい車」「大きいタイヤの車」

ジープ:「じーぷの車」「かっこいい車」

トヨタの黒いピックアップトラック:「かっこいい車」


多くは、会話の中で私が何気なく言った言葉を拾って使っているのだろうが、最後3行は私が口にした覚えはあまりない(SUVよりスポーツカー風のが格好いいと思う、ので図鑑ではフェラーリの赤いやつを「これママの車だね!」、駐車場にあるアルファ・ロメオを「これママの車にそっくりね!」とか言ってホラ教えてます)ので、多分本人の好みなのだと思う。ちなみに、ピックアップトラックが一番目が輝いている。男子が最近人気のSUV欲しがるのは二つ子の魂かしらん。

2022/07/26

「けけちゃま」考(なのか?)

  2022年4月、「おかあさんといっしょ」のうたのおねえさんが「あつこおねえさん」から「まやおねえさん」に代わり、木曜日は「プリンセス・ミミイ」コーナーから「しりたがえるのけけちゃま」になった。どぎついピンクのけけちゃまの声をゆういちろうおにいさんが演じ、視聴者=おともだちの質問を出発点に他のメンバーの一人にインタビューをして、会話からお互いの好きなもの、海でやりたいこと、すきな恐竜etc.、色々なことを知るというもの(たとえば、こちら)。ゆういちろうおにいさんは水曜日の「シルエット博士」も担当なので大変そうだ(ただ、おともだちはいずれのコーナーも中の人がゆういちろうおにいさんだとは知らないことになっている)。私はこの「けけちゃま」コーナーのゆるい会話に無茶ぶりをぶっこんでくる感じがかなり気に入っていて、「おかあさんといっしょ」はうちでは夕食後の片づけ~お風呂前の家事時間に使うのだけど、「けけちゃま」のときはいそいそと坊の横にいって一緒に見たりする。会話のぶっとび加減のほか、注目しているのが、最後にさしはさまれることのある「けけちゃま、きょうもいろんなことがしれたけろ~!」みたいなかんじの一言である。Eテレの子供番組で、コレを使うようになったか!と、変な感慨なのだ。

 コレっていうのは、講義課題のなかの感想コーナーで頻出して、どうにも落ち着かなかった「~が知れた」「~だということが知れてよかった」表現である。はじめ一種の方言かと思っていたけれど地域限定というわけでもないらしい。おそらく私なら「知ることができた」「知識が得られた」、あるいはもう少しカジュアルでいいなら「わかった」と書くところで、なんでかこの「知る」に直接可能の助動詞のラ行を付けたものには違和感があった。

 少し補足すると、私は言語学の専門家じゃないし、日本語の先生とかでもない。マナー講師よろしく言葉尻ひっつかんで上に立とうとか思いません。嫌いな表現は好きな表現と同様たくさんあるけれど、言葉は変化するものだという前提で、「他ではなくこの表現を使うことで何を言おうとしているのだろう」と考える。

 知るに可能の助動詞を直付けすることへの違和感には、can knowと言わないとかknowだけでやや可能のニュアンスで使うことがあるとか、少し関係があるかもしれない。でもknowが「知っている」状態を指すのに対して「知る」自体は自分の動作の動詞だ。比較対象として、「わかる」の場合は多分、「知る」よりも自分に心理的に近い領域を対象にしていて、しかも、少し操作や解釈を経て「理解する」という動作になる。そこには時間の幅があって、自分のアタマや心の能力の介在も重要になってくる。現在の口語では「わかる」「理解する」には幾分「賛同する」ニュアンスも加わるかもしれない。

 一方、「知る」対象は、客観的な事実や、歴史上の出来事や、変わった作品や、便利な概念、いわば乾いた情報である。対象が情報であれば、理解できるとか賛同するとか関係なく、「知っている」か「知らない」かどちらかであって、残酷に二分される。ここでの問題は、その情報にたどり着けるかである。つまり、「知らない」から「知っている」への飛躍は、自分の「知る」動作というより、自分が情報にアクセスすることを可能にした本なり先生なり友達なり、他者が大きな役割を果たしている。

 「けけちゃま」は、おともだちの質問があって、パートナーのおにいさんおねえさんからの情報があって、色々なことを「知れる」。情報へのアクセスを可能にした諸々への謙虚な気持ちが、「知った」でなく「知れた」と言わせるのだろうと思う。そして、その「知識」は自分自身にはあまり身近なものではなく、積極的にわが身に関連するものではない「客観的な情報」だという思いが、たぶん学生さんにとって「わかった」ということを「おこがましい」と感じさせるのじゃないか。でもって、「情報を得た」「知ることができた」ではなく、一段日常的な「知れた」を用いることで、ひょっとすると情報提供者に対しては親近感を示しているのかもしれない。(で、近頃あまり見なくなったのは、私が年を取ったこともあってもう少しみんな硬い言葉を使っているのかもしれない)

 そんなこんなを考えると、イマドキの学生さんの、人当たりがよく、謙虚でうまい距離を保つのが上手な「いい子さ」と、検索能力次第で正確な情報へのアクセスが左右される、ネットの時代の知識のややこしさが、色々とあらわれた表現なのではないかと考えたりするのでした。