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2021/11/27

お話みたいなホットケーキの(なぜそうしないかという)お話

  小さなころは、お話に出てくるホットケーキやパンケーキに憧れたものだった。小さめに丸く焼いたのをお皿に重ねて上からバターと蜂蜜をかけるやつ。バターはまだ溶けきらずに塊が見えなければならない。母の作るホットケーキは美味しかったけれどなんか違って、大きく焼いて放射状に切り分けられていたし、重なっていなかったし、バターはもう溶けてしまっていた。それで、六花亭カフェの中くらいのを二枚重ねて大きなバターをのせたホットケーキ一人前に狂喜し、自分で焼けるようになると、思う存分小さいのを重ねて冷たいバターをのせた。そして今、子供にホットケーキを焼いてやるようになって、あの大きさの意味を知る。動作ひとつひとつの速度を上げるのには限界があるから、アクション数を切り詰めるのは料理の正解だった!妹のところでも同じ結論になったみたいで、甥っ子の動画を見てると、どうみても中袋一つぶんを一枚に焼いた感じの分厚いのをケーキカットして幸せそうに食べている。思えば、今朝作ったかぼちゃ団子も、初期に比べてどうも一個の大きさが大きくなってきた気がする。祖母の家で食べる何もかもが大きかったのもひょっとすると同じ理由だろうか。

 ともあれ、分厚いホットケーキはふかふかしてて幸せこの上ない。でも、もし坊がこの先、小さいホットケーキをたくさん重ねて食べてみたいといったら、子どもの心をわすれていない大人の一人として付き合って作ろうと思う。奴の場合は大きいホットケーキをたくさん食べたい、になりそうだけれど。