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2018/10/15

サンクトペテルブルクのおいしいものより

 前回物々しいタイトルを付けた割に教会ばっかり紹介してましたが、サンクトペテルブルクが多大なる犠牲のもとで突如沼の中に作り上げられた人工都市であるという事実は、そのきらびやかな外観の下に何かしら鬱々と渦巻いているものらしく、亀山先生は例の「あまりにロシア的な。」で白夜のこの町で調査をしていた記憶を割合と楽し気にさかのぼりつつ、やっぱり影をつけるのを忘れない。といっても影が濃厚なのは全体がそうで、そいつから逃げようとするかのようにきゅうりを齧ってはヴォッカを呷っているような気がするけれど。
 運河と河と湖に広がるサンクトペテルブルクの町はヴェネツィアにも比されるけれど、なんといっても印象的だったのは、一つはヴェネツィアと比べる人の正気を疑うくらいの広大さだとして、もう一つは秋分を過ぎたばかりだというのに尾道の冬のように寒いこと。まだ日は長く、街中いたるところにある公園では樫の葉が黄金色にカラカラと音を立てて、みんなベンチで一休みしつつ若者がバッハの無伴奏をエレキギターで弾くのを聴くともなく聴いていたりするし、日曜にはネフスキー通り沿いのあちこちで退役軍人の下手なバンドがカラオケをやって、人々が集まって踊ったり寄付をしたりと、まだまだ屋外を楽しめる季節なのがわかる。とはいえ、日が傾けば持ってきた裏付きのトレンチでは心もとないくらいで、大陸っぽく風も強い。自分が風邪をひきかけているのもあって、このあと半年以上もずっと寒いのだと思うと住人でもないのに気が滅入りそうだ。

 長い冬を楽しく過ごすためもあるのか、ロシアの料理は保存食をよく使う。これは「ザクースカ」とひとまとめに呼ばれる前菜の盛り合わせ。生ハム、豚のタンの燻製、ニシンの酢漬け、スモークサーモン、キャベツの酢漬け、トマト、セロリなどのピクルス。それに野生っぽいベリーとフレッシュハーブ、レモンがつく。青いトマトはすっぱすぎて食べられなかった。


 別のお店で食べたもので、同じく前菜の中でよく見る「オリヴィエ」はご存知ポテトサラダ。ロシアはスモークサーモン好きの私には天国みたいで、ちょくちょく前菜にスモークサーモン入りがある。これは豪華だからエビのソテーもついている。周りはビーツで色を付けたマヨネーズのソース。鮮やかなピンク。


 別々の店でたべたスープ二つ。最初のは「ウハー」という、魚の入ったお澄ましスープ。ハーブで香りがつけてあるだけのシンプルなもので、食欲が促進される。


 こちらはモスクワのカフェテリアでも食べた「ソリャンカ」をレストランで。トマトスープで、野菜と肉あるいは魚に加えてオリーヴのピクルスが入るので、発酵食っぽく深みのある味わいになる。カフェテリアの時はオリーヴの漬物とレモンが突出していて癖が強く感じたが、こちらはトマトソースと魚が混然一体としていて味にまとまりがあり、寒さにありがたい濃厚なおいしさだった。 ヴォッカ博物館という別名の、珍しいヴォッカを多数そろえていることで有名な店だが、この日私は風邪で寝込みかけだったのでビールで我慢。確か生演奏のバンドが来ていた。


 メインの料理はあまりロシアっぽい感じのものは見られず。バターを包み込んであげたチキンのキエフ風カツレツなどはお腹に重たいので、途中からはグリルに野菜のソースを添えたものなどをよく食べていた。



 おまけ的なものも載せておこう。
 下は「カーシャ」という麦のおかゆ。ホテルの朝食では、冷たいものはヴァイキングだったが温かい卵やおかゆはオーダーして作ってもらう。「カーシャ」はロシアの食べ物の原点的なものらしい。甘くするか、しょっぱくするか、ミルクを入れるかと尋ねられ、甘くしたミルクのをハーフポーションで作ってもらった。ミルクがゆのようなものなので、好みはあると思うが、私は結構好きだった。 


 これは、一度夕食を食べたカフェだが、ケーキがおいしそうだったので、別の日に観光に疲れて休憩に入ったときのこと。情けないことに、ご飯の後でデザートにケーキが行けるほどお腹が元気じゃなかったのでリベンジってとこ。イギリス風のキャロットケーキとたっぷりポットサービスの紅茶をいただいた。がっつり甘くてとてもおいしい。


 ところで、ロシアで料理名を言って頼むと、必ず「一つか?」と聞かれるので、そうそう同じものを頼むものだろうかと疑わしく思っていたのだが、この店でケーキを食べていた時に、斜め前に一人でやってきた男性が、同じリンゴのケーキを二つ頼み、私がキャロットケーキを半分食べるよりも早く鮮やかに二つ続けて平らげて席を立つのを見て、そうか、そういうことかと納得したのであった。思い返せば、モスクワのプーシキン美術館のそばのカフェで、向かいに座った紳士は白ワインのグラスを二つテーブルに置いてパソコンに向かって仕事をしており、連れが来るのだろうかと見ている間にそのグラスの両方を飲み干してしまった。なんとなくだけど、「常識的な頼み方」とかってあんまりないのかもしれない。それで私たちがお腹があまり空いていなくてとりあえず前菜だけ頼んだり、一つのメインをシェアしたりしていても、さりげなく対応してくれるので楽だった。
 良心的と思しき料理屋では、値段のそばにもう一つ数字が書かれていて、何なのだろうと思っていたがどうやらグラム数であるらしい。「豚肉のロースト、リンゴのソース、マッシュポテト添え」だったら三つの数字が書かれていて、それぞれの量がなんとなくわかる仕組みのようだ。ソビエトチックな即物性と解釈して楽しく読書していたけれど、正しくはこのグラム数と値段をしっかり読みこみ、足りないと判断したら最初から二つ頼むものなのかもしれない。

2018/10/11

沼の上の人工都市

 サンクトペテルブルクには、飛行機で夜に着いた。例のGettで、モスクワであまり見なかったアラブ系の運転手の少し荒めの運転でモスクワ大通りを通ってネヴァ川沿いのホテルに来るまでの道のりから、モスクワとは趣向の違うヨーロッパ的な都市の外観に気づく。建物の屋根が一定の高さで切りそろえられて、教会などのモニュメントだけが少し飛び出すようなスカイラインはパリのよう。建物もパリを思わせるようなものが多い。スケールは大きくて、例えば8階建てではなく10階建てくらいかな?モスクワほどではないが車線も広く、一区画が大きい。美術学校そばのプチホテルの窓から、ちょうどネヴァ川にかかる橋の夜景が綺麗に見えて、それだけでこの町が大好きな気分になって一夜、朝窓を開けて、建物の一つ一つが実は綺麗なパステルカラーなのを見て、余計に気に入ってしまう。

 深夜には橋の中央が開いて、大型船舶が航行可能になるとか。残念ながら見られなかった。


 聖イサーク聖堂は、外観も中もヨーロッパ風であった。





  写真では見づらいけれど、全体的に多くの宗教画の周りに色大理石と金色を使った装飾がかなり豪華。ここは博物館なので、写真を撮ることができる。上の写真の中央のアーチの上のほうに、ごちゃごちゃっとみえる人の形のような装飾は、イエス・キリストはじめ関係者の中でも重要度の高い人たちで、身体が彫刻的に作られているのに、顔は、敢えて平面の絵を、角度をつけて立体的に配置された金のプレートの上につけてある。イコンに対する格別の信仰心がこういう微妙に折衷的な造形に表れているのかなーと、興味深かった。


 基本的に朝は晴れて、そのあとは曇りで小雨もぱらつく。夕方になると晴れる、というのがこの街のこの時期の天気みたい。モスクワから体感気温は5度ほど下がって、ダウンやウールのコートを着ている人も多く、季節が一気に進んだみたい。


 ネフスキー大通りというメインストリートをお散歩。


 カザン大聖堂。これは現役の教会。ローマのサンピエトロチックな湾曲した回廊を持つ、やっぱりすごくヨーロッパ的なつくり。中の装飾や平面プランもカトリックの教会を思わせるが、熱心な信者たちがイコンに口づけして祈りを捧げるために長蛇の列を作っていた。


 これは、パリじゃろう!となったのは本屋さんだった。アールヌーヴォー、アールデコ様式の立派な建物が多くて、歩いているだけで楽しい、のだけどスケールが大きいので疲れる疲れる…。


 この本屋の右奥にあるのが、有名な血の上の救世主教会。翻訳者が違うからなのか、ロシアの固有名詞の日本語訳はたまにとても詩的な気がする。「タタールの軛」なんかも、格好いいじゃない。

 チョコレート工場のような土臭い色調で、工芸品のようなかわいらしい三角屋根や玉ねぎ屋根がついている。


  
 細部も見ていて飽きない。


 ロシア式のバルダッキーノ?天蓋の屋根部分の造形が面白い。


 教会の装飾までヨーロッパを向いているかのように見えるこの街のなかで、他と差別化するかのように、この建物は外観も内部装飾も一貫して土くさいロシア式を守っている。それでいて、モスクワやスーズダリで見たどの現役の教会よりも、洗練されていて、控えめに古色を出したモザイクがキラキラと細かく輝いていて、どの角度から見ても素敵だった。ロシアの教会で一番、と我々の見解が一致を見る。









 このあたりで、お昼ぐらいだったのだけど歩きすぎて疲れてしまった。そしてエルミタージュの夜間拝観中にどうも喉の痛みが悪化して、少しダウンしてしまいます。続きはまた。

2018/10/08

休憩

 モスクワからサンクトペテルブルクの移動日は、夕方まで国立トレチャコフ美術館など観て心底楽しかったのですが(美術館では一番おすすめかもしれない、特に19世紀後半以降の風景画や、ロシア愛に目覚め始めたあとの歴史画がめちゃくちゃ楽しい。みんな大好きクラムスコイや、油画専攻男子になぜか人気のアイヴァゾフスキーも堪能しましたが)、その辺は省略してしまえ。
 隙をみつつ、明日はペテルブルクから話を続けましょう。


うっかり連れて帰ってきたマトリョーシカちゃん、週末の衣替え&部屋掃除中に、ふと気づいて全部あけてみたら五人姉妹でした。欲をいうなら三女には卵を持っていてほしかった。
 ロシアつながりのようでつながってもいないのだけど、学生から熱烈におすすめされてDVDを渡されていた『不思議惑星キンザザ』を観た。「ゆるい」というのが定番の形容詞のようで、確かにゆるいが、どちらかというと不条理で、サーカスティックで、でも笑えたり失望したりもするし、笑えん恐怖もあるし、あったかエピソードもある。どんな分析をしてもはぐらかされそうな、どこまでも真面目に見せない擬態が逆にお見事。高校生は学祭で取り上げるべきである。「おまえ誰だ?」とか「でも、どうやって?」とか、「そこをなんとかお願いしますよ」みたいなんとか、ところどころ言葉が分かったのもうれしい。バイオリン弾きはばよりん弾けないけどバイオリン弾きなんだな。

2018/10/06

スズダリからの帰還(おまけに交通事情)

 続く、と書いていたのに間があいてしまった。スズダリからモスクワに帰らなければならない。
 いい時間だったので、バスを降りた修道院前のバス停で待ってみることにした。とはいってもBUSという札があるだけで、どのバスがいつ通るのかまったくわからない。なのに、地元の人々はおとなしく待っている。暖かくなったからか羽虫が飛び出した。だめもとで、立ち話をしている子連れのおばちゃまたちに聞いてみると(英語は全く通じないのだけど、なんとかウラジーミルに帰りたくてそのためにまずはバスターミナルに行きたいということは伝わったようで)1番か2番のバスを待てと教えてもらう。ところがそのバスがなかなか来ない。
 そこに、この地方の中学生ぐらいの女の子たちが半ダースほどやってきて、同じように待っていると、行先も番号もない白い、来た時のと同様に心配になるくらい古いミニバスが彼女たちを乗せた。スクールバスのようなものかな、と思っていると、運転手のおいちゃんが不安げな旅行者そのものの我々に(どうやら)「どこへ行くの?乗んな」的なメッセージを寄越すので、「ウラジーミル」といったら乗るようにいわれる。「え、いいの?これウラジーミル行くの?」と聞くと女の子たちが「ダー(yes)!」というので、乗ってしまった。二人で助手席に乗る。100ルーヴル札を見せられて払うように言われ、二人分を払うと、バスはご機嫌で走り出した。助手席の前には、切符の巻いてあるやつが置いてある。とはいっても切符を使うわけではなく、その後市内に入って警察のいるあたりを通るとき、そのロールは(予想通り)さりげなく仕舞われてしまった。


 これはまあ、普通なら絶対乗ってはいけないバスであって、我々も旅行中のこの種のものには散々気を付けているので、かなりイレギュラーな事態ではあったのだが、なんというか、少しも危険な気がしなかったし、実際に全く危ないこともなかったのである。料金は正式なバスと同じで、運転もいたって穏やかだった。そもそも一緒のタイミングで乗った女の子たちが、洗練されすぎず、かといって虐げられていそうな感じも皆無で、いかにも健康的な普通の女の子たちだったので自然と警戒が薄くなったし、おいちゃんは、全体的に腹回りなどがでっぷりしていてラフな格好で、過剰に「いい人」そうな感じもしないしそこまで頭が切れそうでもないが、オドオドすることもなく見た目とバランスの取れた落ち着いた動きで、素面で、笑顔すぎることはなく、不機嫌すぎることもない。英語は話すこともないし分かっている気配もない。ロシアの田舎で何かのついでに私営スクールバスを驚くほど良心的に運営している個人運転手としてなにも違和感がない感じだった。


 ウラジーミルのどこへ行くのかと聞かれ、鉄道駅と答える。往路は雨だったが、夕方の光に照らされた黄金の秋の景色を助手席から堪能する。


 市内で女の子たちやほかの乗客を降ろしつつ(どうやら本当のバスでないと停車&乗降がまずいエリアがあるようで、個々に交渉していた)思っていたより早く駅についた。これは夕方の特急に乗れるか??と思ったが、直前すぎでダメだったようなので、3時間ちかく、ウラジーミルの町を散策した。


 鉄道駅少し離れた小高い丘がメインストリートになっており、店や銀行、教会などが並んでいる。



 緯度が高いからかゆっくりと陽が沈み、そのあともしばらく明るい。



 ロシアの広大な土地には、森と耕地と湖が点在していて、ところどころが収穫を終えていたり紅葉していたりして、とても美しい。


 目抜き通りで少し若者向けのおしゃれグリルに入って、ハンバーガーとビールを頼んだらなぜかビールがタダだというので、そんなのを食べて、急ぎ足で鉄道駅に戻ってモスクワへの列車に乗った。
 モスクワについて、前日シベリア料理を食べたお店に行ったら無事「地球の歩き方」を回収できた。疲れ切ってGettというアプリ配車サービスのタクシーを使ってホテルに戻る。

 この日の冒険はこれでおしまいだけど、モスクワではたびたび、サンクトペテルブルクでも空港ホテル間で、お世話になったこのGettについて少し。
 ロシアの都市はスケールが大きすぎて、地下鉄駅の間が広すぎ、ランドマークから「最寄り」駅までもかなり歩くし、そもそも駅に入ってからホームにたどり着くまでも長い。そこで、タクシーがとてもありがたく思えるのだけど、Gettはその新しい版といったところ。ネット環境で使えるアプリで、現在地と行先を入力すると所要時間と道程、料金が分かり、近くにいて来れる車のなかのどれかにお願いすると、その車の色とナンバー、何分で来るかが知らされるので、それに乗るという仕組み。道順は我々のアプリと車についたスマホに表示され、料金はアプリを通して決済なので揉める心配がなくてかなり安心だ。そもそもの料金設定も安い。その割に、大きな道や空港ではタクシーレーンを通ることも許可されているようだ。
 はじめはモスクワの空港で丁寧に使い方を教えてもらったのだが、乗ってみて話題の「ウーバー」とはもしやこんな感じのものか、となかなか感心した。言葉は通じなくても全然平気だし、運転手は道を知らなくてもいいわけで、常識が覆される感じがある。タクシーの場合に、タクシーと利用客の間に入って配車したり研修したり給料計算したり、カード決済のシステム搭載の交渉したりしている「会社」みたいなのが、究極的にはごっそりなくなって大丈夫というわけだからね。普段の自分の行動範囲では全く危機感を覚えたことがなかったのだけど、こりゃあ、AIに仕事を奪われると不安になる人がいるのもわかる。どんなに便利で楽だといっても、なんだかんだとタクシーと我々の間に事務管理に入ってマージンを取るのは現状では結構よい「お仕事」で、それがなくなるくらいならなるべく長く不便な世界でありつづけてほしい…、なあんて書くとずいぶん滑稽な感じだけど、身の回りの大人を見ているとこのような行動原理はわりと蔓延っている気がするよね。

2018/10/03

モスクワ近郊の「黄金の環」スズダリ、ウラジーミルへ

 モスクワ観光の勘所を一日で見るという無謀な試みの結果、一週間いたところでこの街は観きれない、という結論に至り、それならばと向かったのは「黄金の輪」。モスクワよりも古くからロシア正教の精神的な支柱となっていた土地で、12世紀から教会が残る。世界遺産として有名な「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」目当てに、スーズダリへ。
 前日のシベリア料理屋で気持ちよく酔っぱらった結果、「地球の歩き方」を置いてきてしまったようなのだけど、店は夜まで開かないし、まあ、なんとかなるだろうと行ってみることに。

 まだ通勤客がごったがえす時間にメトロでクールスカヤ駅まで行って、窓口で切符を買い、おそらく「ラストチカ」だろう特急列車に乗って、ウラジーミルまで行く。
 ちなみに、メトロが込み合っているときには、一日目で挙げたような壮麗にして広いホームがほぼ人で埋まり、エスカレーターの前は、なんというか砂時計で小さな隙間を目指して落ちようとしている砂のように人が溜まる。この時に決して一列には並ばない。また、エスカレーターに乗ったら歩かないのがモスクワ流だ。理由はエスカレーターが果てしなく長いし、突っ立ってても頬にビュンビュン風を感じるぐらい速いからだけど、たぶんこの方式のほうが東京駅の朝8時台とかより輸送効率いいと思う。

 さて、切符を買って特急に乗るくだりは、説明しようにも難しい。窓口であっちに行けとか上に行けとか下に行けとか言われ、パスポートを提出させられ、いくつか数字を見せられ、パスポートを見せ、切符を見せ、指さされて何かしら指示されたところに座ったら目的地についていたという感じだ。ほとんど英語はしゃべってくれない。座った場所もそれでよかったのかよくわからないままである。
 ウラジーミルからスーズダリは、『宇宙兄弟』でヒビトがしみじみ感心するようなおんぼろの小さいバスで行った(例によって切符はなんとなく買えたけれど何を言っているのかさっぱりわからなかった)。小雨。色々な旅の記録の記憶の通り(何しろ「地球の歩き方」がないので)、スーズダリのターミナルについたところで、さらに30円ちょっとお金を払い、市内まで乗せてもらう。降りるところが分からなくて20分くらい余計に使ってしまった。

 気づけばお昼近くなので、スーズダリのこじんまりしたレストランでお昼。キャベツの千切りが肉のコンソメに入った「シチー」は素朴な味。


 「ジャルコーエ」というロシア式肉じゃが。ジャガイモ(大変美味)と豚肉を塩味のスープで器ごとオーブン焼きにしたもの。豚肉の油ががっつりとスープの表面を覆い、なかなか冷めない。塩味は控えめだが、がっつりとしたコクがあって肌寒い日にぴったりだった。


 ほかにも観光客が食事をしているレストラン。
 歩いて、クレムリン(城壁に囲まれた教会)のあるあたりへ。


 青い玉ねぎ屋根の 聖母被昇天聖堂(生神女就寝聖堂というのも。要は聖母マリアが亡くなってそのあとキリストの力で昇天するのだが、正教ではこの就寝の場面の表現がすこぶるよく描かれている気がする)。かわいらしいサイズ。敷地内には博物館もあり、ウラジーミル・スーズダリ大公国の歴史が資料とともに紹介されている…がいかんせんロシア語なので年号と名前くらいしかわからない。



 上は教会の扉口。ちなみに、一応キリル文字の読み方はわかるようにしていったのだが、モスクワではワールドカップ効果か地下鉄も全部英語併記で、わりと困らなかった。田舎に来ると、キリル文字の発音が分かって命拾いする感じに。
 

 扉口の柱頭装飾にライオン。
 

 敷地は小高い丘になっていて、葉っぱも色づき始めてとてもいい感じ。もう少し晴れるときれいなんだろうな。

 敷地内の木造建築。

 いったん敷地を出て、小川を渡って対岸にある屋外建築博物館へ。


 川沿いから見える建物がピクチャレスク。近くにはお土産屋さんの屋台が並んだ広場のようなものが点在していて、結構な観光地なのだろうと思う。


 建築博物館には、ウラジーミル・スーズダリ大公国の領地だった近隣から移築してきた木造の教会、風車小屋、農家(家畜と住むタイプや、労働者を一緒に住まわせるような広い家なども)などが、広い敷地内に点在し、半分くらいは中も見ることができた。


 上は小さい教会、下は農家。


 風車小屋は修復中で入れず。



 聖堂とその中身。木で作るには向いていなさそうな円天井なのだけど、丁寧な仕上げ…。


 特に、少し複雑な教会だと、なんとしても玉ねぎ屋根を木で作ってやろうという執念が見て取れる気がする。


 少し陽が出てきた。


 街を突っ切って、修道院へ。ここは敷地内には無料で入って、現役の教会を少し見た。


 聖堂。中はきらびやかな金属で縁取られた聖画像(イコン)が壁中にあり、その一つ一つに熱心に祈っている人がいた。教会の中には、入り口でスカーフを貸しているところがあり、そういうところでは、女性はスカーフをかぶっている人が多かったので、私もその習慣を尊重して自分のスカーフを頭にかぶるようにしていた。



 鐘楼。


 不思議な二つの三角帽子の門。


 すでに20000歩以上歩いていて、疲れたのでカフェに、と思ったら入ったのがレストランで、名物だという蜂蜜酒を頼んだつもりが、綺麗な小さい皿に入った蜂蜜そのものを出されるという事件が起きる。一体全体、蜂蜜だけを頼む旅行者がどこにいるのだろう…超絶な不殺生を身上とする妖精さんか何かにでも見えたのだろうか…。言葉が不自由なのでたまにあることとはいえ、疲れていたのでなんだか参ってしまった。蜂蜜酒は置いていないらしい。

 そして、そろそろ帰るかという段になると気になるのが、帰る方法である。行きはターミナルから市内線に変わったおんぼろバスで市内まで来たのだが、帰りはどうやったらウラジーミルに戻れるのだろうか。繰り返すが、この日私たちには『地球の歩き方』がなく、ポータブルWifiの電池もわずかになっていた。ちょっと不安になってきたところで続く。