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2017/05/22

リセット

 怒涛の週末、などとこれくらいで弱音を吐いてはオハナシにならないかもしれないけれど、今週末も家を空けるので、ここいらで家の中を整えて、ひといき。ぐじぐじ考えたり考えないようにしたりうごうごしていたけど、現実的で困難で価値ある課題も見つけたので、まあ、なんとかなってみせよう。
 愛媛県内子はかつて木蝋の生産で栄えたといい、江戸後期から明治のころの土壁に鏝絵の意匠を凝らした街並がお散歩にうってつけの素敵な場所である。そこで今も和蝋燭を手作りしている六代目大森太郎の和蝋燭。以前訪れたときにも一本だけ手に入れて、気に入っていたので、同じく内子の職人の鋳造したという小さな燭台とともに買い求めたもの。揺るぎのないあたたかな光にほっとする。



 関西学院大学での学会に一日だけ参加した。南欧風に統一のとれた建築と、オリーブやあまり見ないタイプの柳、松など様々な植生、そこかしこに大きな木が立っているのに「鬱蒼」としない絶妙なバランス感覚で、絵に描いたような素敵な大学だった。なんてこった、しかも、日曜午後ともなると、ボーイスカウトのちびたちが芝生で球技に励んでいたり、子連れで散歩している若い夫婦などもちらほら、こんな恵まれた環境の大学もあるのかと驚いた。

 特に気に入ったのがこの木。裏がほのかに起毛して銀色に光っていて、そのままアクセサリーの意匠になりそうなくらいに葉の形もきりっと美しい。ミントとローズマリーを育てはじめてから、近頃今まで以上に緑のものに弱い。ついでにオリーブの鉢も手に入れてしまい、訳あってヨハネと名付けられたそちら(愛称は「はねちゃん」)には目下白い小さな花が咲いているのだが、いつかは、こんな木も欲しいなあ。



 その前の日は、お仕事で新入生と近隣の島をまわるクルーズに参加していた。万全の対策をしてもやはり日焼けしたし、考えなければならないことというよりは、努めて考えないようにしなければならないことが多すぎて、妙に消耗したが、シーズン最後のレモンを買えたし、期待以上のものも見られたので、まあよかったこととする。下は百島アートベースのトイレ。小学校のトイレの個室の壁をとっぱらって、一つの洋式便所のみ現役として残して、残りにはこんな細工がしてある。時々トイレ研究者にはちょっと嬉しい趣向。

2017/05/16

Rock And Roll is A Risk ―『シング・ストリート』をとことん賛美する!

 そういえば、連休に観たもののなかに『シング・ストリート』(ジョン・カーニー監督、アイルランド・アメリカ・イギリス、2016年、公式ページこちら)。『Once ダブリンの街角で』がまず大好きでサウンドトラックもしばらく聴いていたし、『はじまりの歌』も、こちらはそんなに音楽は好みというわけではなかったけどやっぱりイイ。これたちにも増して、『シング・ストリート』は素晴らしかった!
 音楽は全てを賭けるに値する、というのは結構ありふれた信念ではあるけど、このジョン・カーニーという監督、そういうことをいってるひとでは、『ラ・ラ・ランド』『セッション』のデミアン・チャゼルと比べると37倍くらい人間として尊敬出来ると思う。比べるのもなんだけど。全てを賭けるに値する音楽に出会うことが出来たら、誰でも、いつでもどこでも何があっても、誰とでも、もう、大丈夫なのだ。そういう、なんてシンプルなメッセージ、なのに不思議なほど納得しちゃうのが音楽の凄みである。
 今回のは、85年のアイルランドで不況真っ只中なのに、ロンドンと世界への羨望で眩しいくらい。しょうもないお父ちゃん役でGoTの「リトル・フィンガー」がしれっと出てくるので無駄に胡散臭いけれど。憧れのキラキラをまぶしたようなロックンロールが出てくるたび素敵で、ほんの子供みたいな役者がハッとするくらいよい声を聞かせる。青色のサイダーとか缶詰のチェリーみたいに儚げで、無理くりリメイクした大きなセーターや端が色あせた古着のジャケットが、フューシャピンクの安口紅やデイヴィッド・ボウイ風頬骨シャドウの効果で一瞬雑誌から出てきたみたいに見える。ピーターパンが飛ぶときに使う光の粒みたいに、昔ちょっと使えた魔法を取り戻す、大人のためのおとぎ話といったところ。そして、馬鹿みたいに思われるリスクを冒してもやっちゃう音楽と一緒なら、いくつになったって「もう使えない魔法」なんてないのだ。

 私という人間は、常々『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を「許せん!」って主張しており、このたび『ラ・ラ・ランド』でもなんか具合悪い感じがして、何なんだろう何なんだろうと首をひねった結果、先だって「歌って踊って事態が好転しないなんて許せない」っていう、なんとも単純な信念によるものであるらしいことが判明した。そこで、そう、周りの人々に報告したら「もういいからインド映画でも観てろ」って笑われたのだが(そういう決めつけはインド映画に失礼というものである!)、『シング・ストリート』を観た今、大手を振って「へっへーーん!」って鼻を鳴らしてやりたい気分である。歌って踊って幸せになる、こんなに素晴らしい作品だって可能なのよって。

2017/05/14

ポンコツ修理中


 備中高山城へ向かう山道より。日本で現存する最も標高高い山城、というか、天守閣の現存する唯一の山城?ということで、七曲りの道を乗合バスで登った後、さらに約500メートルの階段みたいな道を歩かねばならない。どう考えても守りが固すぎで、むしろ不便だったんじゃないかという感想。これ含め、今年のGWは、西へ東へ南へ、色々と動き回って素敵なものを見ました。が。

 目聡い方には、眼下の駐車場に私のポンコツのミス・ビードルのような鮮やかな赤(*1)が垣間見えるかもしれない。彼女は今、名実ともにポンコツになっちゃったところで回復のため修理工場にいる。
 連休明けの週、授業後に事故に遭って横っ腹に深手を負った(私ではなく彼女がです)。講義二つと実習一つを終えた後でなければ、別のタイミングであったなら、もしくは三限と五限の間のダメージ回復につつましやかに50円の羊羹を選択するのなくハーゲンダッツでも食べていたなら、あるいは避けられたのかもしれない。そういう点では私にも責められる点があるそうだ。(というか、こちらの車が動いていたら過失ゼロにはならないそうだ)。とはいえ、気持ちとしては、スキー場を滑降しているとき自分の背後を見ていなかったのを責められているような気分である。まあ、そういうものだというのだから飲み込むしかあるまい。ただ、諸々の、電話があまり好きでない自分にとってはハッピーとはいえない手続きのコマを進め、頭やら首やら痛いのをなんとかするために病院に行くのんにもいちいちよく使い方のわからんスタンド戦みたいなんをやらないかんその度に、わずかな過失にチクチクと苛まれる。相手の方には怪我等なく、子供とか若い方を巻き込んでしまうこともなく、自分の非も少な目なので気持ちは楽だ。万全な保険のお蔭で、特に臨時支出もなく車も直りそうだし、面倒な交渉も最低限で済みそう。その夜と次の日は流石に車の運転が怖くなったが、『宇宙兄弟』でいうところのロシア式に、すぐに代車を手配してもらって、気を付けつつバイパスでもなんでも走るようにしている。なにより、今のところ頭痛や肩の痛みが悪化したりということもない。それにしてもまあ、この面倒さよ!非があるとかないとか、すべてすっとばして、なんとしても、事故には遭わないに越したことはない、と、改めて。

(*1) ミス・ビードルは1930年代に青森から太平洋横断無着陸飛行に初めて成功した飛行機。