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2013/09/19

好みなんて全くもってアテにならん移ろいやすいものだが

 「小さな生き物」を聴いて、ああもうほんと、私スピッツだけは一生卒業できないわーと嘆息して幸せである。このしみじみとした実感さえもう何回目だろう。夜中に歌詞をソーシャルメディアにトランスクリプトする困った大人になってしまいそうだ。(実家で呆け過ぎたからか半沢直樹系ばかり読んでいたためか語彙が不自由だ…電波上の社交場に写字??)

 ちなみにスピッツと同じエントリーで書くのもナンだが池井戸潤、半沢直樹シリーズの原作者だが、母が入手していたのをいくつか読んだら意外にもとても楽しめた。意外というのは、そもそもエリートサラリーマンが金融(/メーカー)会社の男社会で権謀術数を繰り広げつつ経済を回し出世競争を勝ち抜いていったりするとか、あらすじから単語幾つか抜き出した時点で私にはちんぷんかんぷんなのである。でも、説明は手際よく、テンポも早いので不慣れでも入り込みやすいし、異世界を覗きみるようなマジックリアリズムな新鮮さが面白かった。ただ、三晩で四冊読んだのがいけなかったのか、悪役の造形が平板で主人公の心境の変化もやや似たり寄ったりな印象も。まあ、そのワンパターンもまた「それっぽい」というのか、現実の悪人は小説の中に続々登場してきてほしいほど色彩に富んではいない気がするからなあ~。出てくるの男ばっかりだし。でも脇役は味わいがあって、電車で「疲れたサラリーマン」みたいな人々をみてイメージを膨らませるのが楽しくなりそうだ。

2013/09/08

壊れやすいものを愛でる


 改めて数えると10年で6~8回引っ越しという結構な流浪の民である。いきおい、極力自分の物を増やさない方針でやってきた。ペアでそろっている食器がないことにはよく驚かれるし、書籍でさえ同業者とくらべたら少ない方だ。
 例外が硝子で、雑貨屋でも骨董市でもついつい立ち止まって見てしまう。写真の中の一つはパリの蚤の市で見つけた20年代のクリスタルで、スーツケースに入って一緒に帰ってきたもの、また一つは京都で留守番担当ながら5回くらいの引っ越しに耐えている。
 何で好きかって、とにかくキラキラして繊細で美しいし、手指や唇に当たるひんやりと硬質な感覚も好ましいのです。海外なんかだと、壊れて困るものは持ってくるな!汚れやすい物は着るな!大事な物は見せるな!みたいな感じで、それは非常に生存戦略上有効なのだが、かといって自分で好んでどうでもいいものに囲まれ続けて行くと感覚が荒んで行くようで、そんなのへの抵抗もあるのかもしれない。好きなように動く。けど、大好きな壊れやすいものを壊さないように。
 今後1-2年では大きな移動はないとみて、普段の器もちょこちょこ揃えていこうと思う。
 今日は、しっくりと手に収まる陶器の花入れを手に入れてしまった。

未来がまだあったような感じ

 朝起きて、2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったことを知った。
 この問題について特に関心を持っていた訳ではないし、今の情勢からみて賛否両論あるのは凄いわかるし、むしろ批判的な意見に分があると感じることの方が多かった。
 で、こういうことが書きたい訳ではない。(私は決まったことに対して呪いをかけるより、あらゆる意味での成功を精一杯祈りたいし後押ししたいし、厳しくチェックしてかなきゃって思ってて、多分最後が重要だ。今でも課題山積みのところ、想像を越える大変な準備がそこかしこで行われてその余波は新幹線で4時間くらいの距離を余裕で飛び越えてくるんだろうが、難易度一気に上げた方がやれそうな気がする)…ということが書きたいわけではない。
 脈絡なさそうなんだけど、今朝から口々に7年後の話を始める人がいて、私は不覚にも七年分くらい寿命が延びたような気分になった。「希望」ってこういうことだったのかと思った。多分違うんだろうけど。つまり、この、明日にも何があるかわからない中で、未来が七年後までちゃんとあることを前提に話するって結構凄いことじゃないですか。(加えて東京みたいな突っ込みどころ満載の化け物じみた大都市が世界中のお客を歓迎すべく「よりよくなる」というのだからまた凄い)これは、皮肉でなくて、これだけでなんか大きな力を持っているんじゃないかと思う。
 「未来」ってまだあったんかな。
 (こういう、厭世的な物の見方、さいきんでは「厨二病」といったりもするらしいが、私の感覚では多かれ少なかれ幼稚園に入った時くらいから続いている。記憶もその頃から始まっている。他の人はどうなんだろう。)