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2017/11/28

世界のうつくしさを補給しよう

 ちょっと仕事がひと段落したので、昨夜は本を読んでいるうちに我慢が出来なくなって22時半ころには就眠、朝7時半までノンストップだった。起き上がったら、肩と頭が少し強張っていて、どうやら歯を閉じて寝る癖が出ちゃってたみたい。これは、歯ぎしりから頭痛・肩こり・空気嚥下・歯痛など様々なところに響く悪い傾向で、ストレスを溜めずのんびり過ごす以外に対処法を知らない。
 ひとまず、今日あたり意識的にのんびりして、去る秋を惜しみながら人間性を取り戻すことに。


 お昼はのんびり大学の横の水源池を眺めながら福屋の地下で買った生ハムと水菜のブリトー。小春日和で日差しがぽかぽか。終わりかけた紅葉は目にもあたたか。そして私は生ハムが大好きなのだ。欲を言えば白ワインでもあったらいいとこだけど、平日の山奥でそういうわけにもいかないのでハト麦茶。


 こちらは散歩コース。スマートフォンを手に入れたら、たくさん歩けとうるさいので度々連れて歩いたり走ったりする道。この山の稜線に高圧電線が張られているので、もう少し時間が遅くなると、五つ六つある細い線にカラスがたくさん止まってジョン・ケージの楽譜みたいになる。


この辺りは結構鳥がうるさい。


 芒(すすき)、茫洋。


鴨さん二羽が池の上で山の輪郭を反復する。


 妙にドラマチックになってしまった。ここは4-5月ころの青いのもいい。

2017/11/25

この甘くめんこい幸せよ永遠なれ

 お仕事で昼間微妙に拘束され、なおかつ夜になると研究室を追い出されるという逆風の中で締め切り仕事をしている。大人しく続きを書けばよいものをこうして妙なものをしたためだしたりするので、あまり私を逆境に放り込むのは得策ではないと常々言っている通りである。思えば私が大学~大学院の時って、入試やらなんやらのために図書館とか研究室が使えないという経験をした覚えがない。特に院生の頃は土日含めて結構入り浸っていたのに、こういう不便はなかったので、恵まれていたと思う。

 昼間、女の子たちが常温保存可能のレトロな紙パック珈琲牛乳のパッケージを見て「成分表示の一番上が砂糖だ!」と盛り上がっていた。うーん、事実は時に残酷ではあるけれど、常温保存可能で乳製品だったら牛乳そのまま使うわけにいかないし、まあ、砂糖が一番多くなるのはまだしも健全で良心的なのではないかしら。
 今さっき私が食べた、六花亭の「大平原」は、バター、卵、砂糖、小麦、と続く。
 マドレーヌやバターケーキの基本のレシピがバター:卵:砂糖:小麦粉=1:1:1:1。私が思うにここの配合のアレンジの妙に加えてみりんと生クリームがいい仕事をしているのだろう。六花亭の中では実に地味なお菓子なのだが、首都圏でバターの風味を謳ったどんなマドレーヌやフィナンシェよりも素直においしい。そして安い。特に、冷蔵庫から出してすぐのこつっとしたところを、温かい紅茶やホットミルクと頂くと、硬めの生地が口の中で少し抵抗した後でゆっくりと崩れるときに嫌味のないバターと卵の香りがふくらんで格別だ。

 唯一不満をおぼえるところが、ここ数年(だと思う)のパッケージ。昔はマルセイバターサンドもそうだったように銀のフィルムで簡単に包まれていたはずなのだけど、袋詰めを切って食べる方式に取って替わられてしまった。袋は簡単に開けられるのだけど、中身を取り出すときに引っかかって、黄金色のかけらが剥げ落ちてしまう。かといって、袋からそのまま食べるのはあまりに散文的であるし。六花亭のこと、多分のっぴきならぬ理由あっての変更ではあるのだろうけれど、いち消費者としては残念でならぬ。

2017/11/13

両手に灰を掬いあげてぎゅうっと握れば

ーーいつかはダイヤになるだなんて、ダイヤなら傷つかないなんて、ダイヤのモンドが永遠なんて、他人の夢さ(キリンジ『ムラサキ☆サンセット』)

 週末、シエラレオネで476カラットの巨大ダイヤが採掘されたとニュースにあった(AFPニュースリンク)。その前にも今年春に709カラットのダイヤが見つかり、政府に託されて12月にニューヨークで競売にかけられる(ニュースリンク)。こうした発見をニュースとして公表し、販売経路や利益の使い道を明らかにしておくことで、紛争ダイヤの一大中心地としての過去との決別を示す狙いがあるのだそうだ。

 紛争ダイヤモンド(Blood diamond)とは、内戦・戦争を行っている地域で算出され、武装勢力の資金源となるダイヤのこと。現在は、暴力に加担していないことを証明するキンバリー・プロセスという認証制度が世界的に広まって日本も加盟しており、まともな宝石店で買えるダイヤはその認証を経たものとなる。ジュエリーブランドの中には、平和的なダイヤであるということを強調して広報したり、フェアトレードの考え方を取り入れて産地、採掘方法および加工・取引の経路にさらに制限を加えている所も多い。
 もともと光り物が好きなのに加え、しばらく諸事情からダイヤモンドについて真面目に考えていたので、上のような話も一応見知っていた。とはいえ、この間DVDで映画『ブラッド・ダイヤモンド』(エドワード・ズウィック監督、2006年、アメリカ)を見て、シエラレオネ内戦(1991-2002)のあまりの残虐性と、そのダイヤとの密接な関わりにかなりショックを受けた。幾分誇張されてもいるとはいえ、内戦および革命統一戦線(RUF)による占領・略奪・破壊によって実際に死者が7万5千人を超え、国民の半数以上が難民となったというのは実話。住民をダイヤ採掘のため強制労働させ、あるいは反対者の手や足を切り落とすことで戦意や生産力を削ぎ、子供を洗脳して麻薬付けにしてカラシニコフをもたせ、少年兵として虐殺に加担させるなどが、全て本当の話。しかも、驚くのがその新しさで、全ては私も生きていた同時代に行われていたということになる。キンバリー・プロセスの話がまとまっていくのが2000年代なのだ。
(アフリカのナポレオンといわれたセシル・ローズ1853-1902、ダイヤモンドの原石売買の大元、デビアスの創設者である。彼の名前に由来するローデシアという国が、ザンビアとジンバブエとして後に独立する。)
 植民地から独立したあとのアフリカ諸国の中には、部族間の問題が内戦に発展したり、政治の腐敗に端を発するインフレや飢饉から抜け出せずにいる場所がいまだ多い。けど、フランスにいたときのアフリカの近さと比較すると、ここではごく単純化されたセンセーショナルな情報しか伝わってこない印象が強い。『アフリカ・レポート』のもう少し新しい版みたいな感じとか、今の様子がわかるものがないかな。今は、カプチンスキの『黒檀』というルポルタージュが河出の世界文学全集に入っていて、ちびちび読んでいるのだがこれは人間のリズム感がわかってかなり面白い。


 ちなみに『ブラッド・ダイヤモンド』には、アフリカ大陸生まれの白人傭兵兼ダイヤ密輸ブローカーのアーチャーという役でレオナルド・ディカプリオが出ていて、抜群に複雑でよいキャラクターを演じている。白状すると、この映画で一番印象にのこったのは、紛争の残虐さではなく、ジープからラリッた兵士が闇雲に打ちまくる散弾銃の銃弾の隙間を、人を連れて的確に逃げる彼の格好良さです。銃弾が飛び交う中で生き延びる方向に走れるというのはこれほど魅力的に映るのか。そもそもこの男は、不幸な幼少期を過ごし、天涯孤独で、傭兵としては有能な右腕であり、法の網をくぐる密輸人として成功し、にも関わらず現状から抜け出したいと思っていて、平気で嘘をつき、必ず裏切りそうで、なのにたまに情に流され、殺しても死にそうにないのに被弾し、だますつもりだった男を助けて眺めのいい場所で死ぬ…と、どこをどう切り取っても完全なるセクシーが服を着て歩いているような感じ、まあ、控えめに言っても現実の世界ではちょっとも関わりたくないけれど、眼福は眼福、「果たして人間とは悪なのか、善なのか?」と映画の中で出てきた問いに、もうひとりの主役ソロモンという黒人は「人間は人間だ」と答えるけれど、人間が人間であるが故の割り切れなさが凝縮されたような魅力があるので、是非ご覧あれ。