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2023/11/06

急激に備後弁スピーカーになる

  言葉の話である。

 学生時代京都で過ごした時には、サークル活動とバイトとで関西弁話者に揉まれたおかげで結構すんなり軽めの関西弁(京都ー滋賀系)を話せるようになった覚えがある。とくに、バイトで、京都周辺の人々の言葉で教えられた内容を、また、京都周辺の人々に教える、という流れがてきめんに効いた。それでイントネーションを習得できたので、たぶん大学院のころには、よその人には「京都滋賀あたりの人が標準語でしゃべってるけど少し地元の言葉が出ている」くらいに装うこともできる感じになってたんではなかろうか。もっとも、関西の人々には独特の会話の美学みたいなのがあって、わざと回り道を楽しんで掛け合いの様式美を追求するみたいな、あれは最後までよくわからなかったけれど。あとは細かくは「いる」と「いてる」の違いも納得のいく説明に出会ったことがない(三重・和歌山方面の人が多用する印象なのと、てが入るとやや完了形っぽいニュアンスがあるような感じがするが)。「乗れへん」が結局のところ「乗れない」のか「乗らない」のかは、京都か大阪かで違うということを知るまで適当だった(大阪では不可能な場合は「乗られへん」のだそうだ)。

 瀬戸内に来て数年間は、せっかく広島県にいるのに全然言葉が身に付かなかった。学生や教員仲間をはじめ、普段やりとりのある人たちが、関東・関西出身者が多かったりして、地元の人と言葉が移るまでじっくり話す機会がなかなかなかったのが大きいし、社会人になってしまうと敬語のやりとりが中心になり、方言が出にくくなる。

 それが、子どもが保育園に行きだし、そのうち言葉を流暢に操るようになると、俄然、土地の人と気軽に話すことが増え、まずは子供が、そして私が、最近は夫も「~しとる」「~できん」「~じゃけ」などと使いだした。イントネーションは標準語に近いので、覚えだすと大人も早い。しかも、日常言葉なので使いやすい。子供は「~しょーる」(備後現在進行形とか備後ウムラウトと一部で呼ばれている、「しとる」よりもさらに同時性が強いらしい表現)とか、「~じゃけん」(「ん」が入る方が断定的で、よそ者には抵抗が大きい。関西弁で「~やし」はいけても「やで!」はよういわんのと近いか)とか使いこなしているし、今や「見て!」より「見よって!」と指示されることが多い。私は私で「~なさいましたか?」を「~しはったんですか?」くらいに尊敬表現を残したまま少し親しみを込めて使いたいときに、備後の人がつかう「~しちゃってですか?」(たぶん)をそろそろ使ってみたいな、などと思っている。

 ところで、土地の言葉は、方言として有名な語尾表現や語彙よりも、微妙な活用の仕方など、無意識なところが面白いと思っている(し、例えば国語の時間とかに直すのに苦労するのもこちらなのではないだろうか)。

 例えば、無意識に使って「なにそれ?」と言われることが多い北海道の表現として、方言研究者とかじゃないけど勝手に「道民自発」とか「道民再帰代名詞」と名付けたものがある。事例は有名な「押ささる」。ボタンは押さなければ押ささらないはずなのに、道民は日常的に、「確かにボタンを押しているのだが自分の意志でというよりはボタンが勝手に押ささっている」ような事態に遭遇するのである。これはロマンス諸語の再帰代名詞に近いと思う。あと、同様に自立を重んじる北の風土は余所で他動詞遣いしかしない動詞の自動詞形を編み出した。すなわち「おだつ」。内地の人が「おだてる」ことはしても自主的に「おだつ」ことがないと聞いたときには驚いたものである。

 備後弁で同様の難しさがあるのは「れ入り言葉」じゃないかな。あまりに自然に使われているので、違和感に気づくことさえすごく難しいのだけど、可能表現の「れ」がなんか余分に入っていることがあると思う。いわば、「ら抜き言葉」の逆である。「遊べない」が「遊べれん」(あそべん、ではないのか)、「行けない」は「行けれん」(いけん、でよくないか?)、シューズは「履けれん」のであり、これら大体否定形で使うことが多いけれど、「シューズ、自分で履けれる?」のような表現も聞く。

 ちなみにこの「上履き」を意味する「シューズ」も、少なくとも自分が上履き使っていた時にはついぞ聞いたことのない表現であり(身の回りでは「うわぐつ」であった)、備後限定なのか中国地方で広く使うのか、案外西日本では常識なのか知らんけど、保育園玄関で会ったおなクラボーイに「その靴、ピカチュウじゃん!」なんて褒めてみようものなら「靴じゃなくてシューズだよ!」と訂正される程度には人口に膾炙しているっぽいのである。