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2018/10/03

モスクワ近郊の「黄金の環」スズダリ、ウラジーミルへ

 モスクワ観光の勘所を一日で見るという無謀な試みの結果、一週間いたところでこの街は観きれない、という結論に至り、それならばと向かったのは「黄金の輪」。モスクワよりも古くからロシア正教の精神的な支柱となっていた土地で、12世紀から教会が残る。世界遺産として有名な「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」目当てに、スーズダリへ。
 前日のシベリア料理屋で気持ちよく酔っぱらった結果、「地球の歩き方」を置いてきてしまったようなのだけど、店は夜まで開かないし、まあ、なんとかなるだろうと行ってみることに。

 まだ通勤客がごったがえす時間にメトロでクールスカヤ駅まで行って、窓口で切符を買い、おそらく「ラストチカ」だろう特急列車に乗って、ウラジーミルまで行く。
 ちなみに、メトロが込み合っているときには、一日目で挙げたような壮麗にして広いホームがほぼ人で埋まり、エスカレーターの前は、なんというか砂時計で小さな隙間を目指して落ちようとしている砂のように人が溜まる。この時に決して一列には並ばない。また、エスカレーターに乗ったら歩かないのがモスクワ流だ。理由はエスカレーターが果てしなく長いし、突っ立ってても頬にビュンビュン風を感じるぐらい速いからだけど、たぶんこの方式のほうが東京駅の朝8時台とかより輸送効率いいと思う。

 さて、切符を買って特急に乗るくだりは、説明しようにも難しい。窓口であっちに行けとか上に行けとか下に行けとか言われ、パスポートを提出させられ、いくつか数字を見せられ、パスポートを見せ、切符を見せ、指さされて何かしら指示されたところに座ったら目的地についていたという感じだ。ほとんど英語はしゃべってくれない。座った場所もそれでよかったのかよくわからないままである。
 ウラジーミルからスーズダリは、『宇宙兄弟』でヒビトがしみじみ感心するようなおんぼろの小さいバスで行った(例によって切符はなんとなく買えたけれど何を言っているのかさっぱりわからなかった)。小雨。色々な旅の記録の記憶の通り(何しろ「地球の歩き方」がないので)、スーズダリのターミナルについたところで、さらに30円ちょっとお金を払い、市内まで乗せてもらう。降りるところが分からなくて20分くらい余計に使ってしまった。

 気づけばお昼近くなので、スーズダリのこじんまりしたレストランでお昼。キャベツの千切りが肉のコンソメに入った「シチー」は素朴な味。


 「ジャルコーエ」というロシア式肉じゃが。ジャガイモ(大変美味)と豚肉を塩味のスープで器ごとオーブン焼きにしたもの。豚肉の油ががっつりとスープの表面を覆い、なかなか冷めない。塩味は控えめだが、がっつりとしたコクがあって肌寒い日にぴったりだった。


 ほかにも観光客が食事をしているレストラン。
 歩いて、クレムリン(城壁に囲まれた教会)のあるあたりへ。


 青い玉ねぎ屋根の 聖母被昇天聖堂(生神女就寝聖堂というのも。要は聖母マリアが亡くなってそのあとキリストの力で昇天するのだが、正教ではこの就寝の場面の表現がすこぶるよく描かれている気がする)。かわいらしいサイズ。敷地内には博物館もあり、ウラジーミル・スーズダリ大公国の歴史が資料とともに紹介されている…がいかんせんロシア語なので年号と名前くらいしかわからない。



 上は教会の扉口。ちなみに、一応キリル文字の読み方はわかるようにしていったのだが、モスクワではワールドカップ効果か地下鉄も全部英語併記で、わりと困らなかった。田舎に来ると、キリル文字の発音が分かって命拾いする感じに。
 

 扉口の柱頭装飾にライオン。
 

 敷地は小高い丘になっていて、葉っぱも色づき始めてとてもいい感じ。もう少し晴れるときれいなんだろうな。

 敷地内の木造建築。

 いったん敷地を出て、小川を渡って対岸にある屋外建築博物館へ。


 川沿いから見える建物がピクチャレスク。近くにはお土産屋さんの屋台が並んだ広場のようなものが点在していて、結構な観光地なのだろうと思う。


 建築博物館には、ウラジーミル・スーズダリ大公国の領地だった近隣から移築してきた木造の教会、風車小屋、農家(家畜と住むタイプや、労働者を一緒に住まわせるような広い家なども)などが、広い敷地内に点在し、半分くらいは中も見ることができた。


 上は小さい教会、下は農家。


 風車小屋は修復中で入れず。



 聖堂とその中身。木で作るには向いていなさそうな円天井なのだけど、丁寧な仕上げ…。


 特に、少し複雑な教会だと、なんとしても玉ねぎ屋根を木で作ってやろうという執念が見て取れる気がする。


 少し陽が出てきた。


 街を突っ切って、修道院へ。ここは敷地内には無料で入って、現役の教会を少し見た。


 聖堂。中はきらびやかな金属で縁取られた聖画像(イコン)が壁中にあり、その一つ一つに熱心に祈っている人がいた。教会の中には、入り口でスカーフを貸しているところがあり、そういうところでは、女性はスカーフをかぶっている人が多かったので、私もその習慣を尊重して自分のスカーフを頭にかぶるようにしていた。



 鐘楼。


 不思議な二つの三角帽子の門。


 すでに20000歩以上歩いていて、疲れたのでカフェに、と思ったら入ったのがレストランで、名物だという蜂蜜酒を頼んだつもりが、綺麗な小さい皿に入った蜂蜜そのものを出されるという事件が起きる。一体全体、蜂蜜だけを頼む旅行者がどこにいるのだろう…超絶な不殺生を身上とする妖精さんか何かにでも見えたのだろうか…。言葉が不自由なのでたまにあることとはいえ、疲れていたのでなんだか参ってしまった。蜂蜜酒は置いていないらしい。

 そして、そろそろ帰るかという段になると気になるのが、帰る方法である。行きはターミナルから市内線に変わったおんぼろバスで市内まで来たのだが、帰りはどうやったらウラジーミルに戻れるのだろうか。繰り返すが、この日私たちには『地球の歩き方』がなく、ポータブルWifiの電池もわずかになっていた。ちょっと不安になってきたところで続く。

2018/10/02

モスクワ一日目のおいしいものなど

 まだ一日目、昼は赤の広場すぐそばの百貨店内のカフェテリアで済ませることに。
 幾何学的な形態のレーニン廟。中には永久保存されたレーニンの死体があるらしい(ずいぶんと偶像崇拝的じゃないですかね)…ひどく並んでいたので入場はあきらめた。

 カフェテリアでは、冷たいものは自分で取り、温かいものはよそってもらう。左上から時計回りに、細切り牛肉とオリーヴの油漬けやレモンの入ったトマト風味のさっぱりスープ「ソリャンカ」、ポテトサラダ「オリヴィエ」、ひき肉の入ったクレープ「ブリヌィ」にサワークリーム「スメタナ」、黒パン。酸味とクリームがかなり重要な仕事をしているが、それがロシア料理全般の特徴な気がする。これで600円くらいなのだけど、ものすごーくお腹いっぱいになった。


 カフェがあるのはモスクワの誇る高級百貨店らしいグム百貨店。並ぶ店は錚々たるものだが、アーケードが無駄にかわいくて、ちょっとアウトレットモール風である。
 ちなみに、このカフェテリアに、デジカメを置き忘れて、30分ほどして戻ったのだけれど、レジで預かってくれていた!素晴らしい。


 満を持してプーシキン美術館に向かい、まずは、最寄り駅からすぐの救世主キリスト教会(救世主ハリストス大聖堂などとも)へ。
 この場所は複雑な歴史をたどっており、もとは19世紀終わりごろにロシア正教会として作られたが、スターリンのロシア正教弾圧&ソビエトを称えよ政策で1931年に爆破される。そのあとソビエトの象徴的大宮殿が建てられるはずが難航し、1960年からは屋外の大温水プールが作られて市民憩いの場になっていたらしい。いちいちスケールが大きいことである。亀山郁夫先生の『あまりにロシア的な。』(文春文庫、2013年)では、プールの跡地が荒れ果てたままの不気味な穴として登場する。今建っている教会は2000年に再建された非常に新しい聖堂で、なかもピカピカの現役、熱心にお祈りする人が多い。

 プーシキン美術館は、本館とヨーロッパ館があり、両方ヨーロッパ美術だがヨーロッパ館には近代絵画が収集されている。写真は本館のほう。続く二枚が、ちょうど館内の彫刻コーナーなのだが、彫刻の多くが石膏あるいはブロンズのレプリカで、西洋の主要な彫刻が時代・場所ごとに網羅されている。つまりは画学生や美術史学徒の教育目的なのだけれど、レプリカでも写真で見るよりずっといいし、結構コンパクトにまとまっていて面白かった。絵画は珠玉の本物が並んでいて、すこぶる楽しいのは言うまでもない。




 夜はシベリア料理店に行ってみた。高級らしいが、ピカピカのほうではなく、隠れ家的で、しかもあまりお腹がすいていなかったのであまりたくさん頼めなかったのだが、色々丁寧に教えてくれて、サービス素晴らしかった。
 シベリア料理の外せない逸品がストロガニーナстроганинаという、凍らせた魚を薄切りにしたおつまみらしい。二種類の魚の種類があって迷っていたら、ハーフ&ハーフにしてくれた。これはルイベですね。非常に淡白な魚なんだけど、口の中で溶けるときに風味と食感がふわっと生き返る感じでとてもおいしい。胡椒とジンジャーソースというのをかけるのだけど、このジンジャーソースにレモンが効いて、かすかな生臭みと合う。


 生臭いものと合うといやあ、めちゃくちゃ合うのがウォッカである。少しアニスとかスパイスのフレーバーのついたものを頼んだけどキンと冷えてすごく美味。我々はとてもじゃないが一息で飲むのは無理なので、水と交代交代にちびちびやりました。


 メインはエルク(ヘラジカ)のステーク・アシェ。ひき肉くらいに細かく刻んで焼いたもの。ツナギとか野菜とかを練りこんでいないし、とにかく味が野生的なので、ハンバーグという言い方はそぐわない気がする。しいていうなら漫画『ゴールデン・カムイ』で一躍有名になったアイヌの肉食方法「チタタプ」(何人かで分担して骨や筋も含めて刻む料理、生で食べたりそのあと団子にしてスープに入れたりする)と通じるんじゃないかな。ちょっと軟骨のような歯ざわりも入っているし、独特の風味は「臭い」というより血肉を食べている感じ。フランスで大好きな高級品だった香り高い森のキノコ「ジロール」と、レッドカラント(山になってる酸っぱくて赤くてきれいな実)とクリームを合わせたソースがついている。野生に野生を合わせ、森に迷い込んだ時に出された忘れない味っていう感じの料理で、なかなか日本ではないだろうがとても好みであった。


(おーっとなっていたら、取り分けてくれた。この後実感するんだけど、ロシアでは結構よさげなレストランでも、実に気軽に「シェアします」をOKしてくれるのがありがたい。)

2018/10/01

モスクワ、1日目

 九月にロシアに行ってきたので、写真を整理しがてら、簡単に載せてみようと思う。
 (去年のイランは、そのあと色々勉強したくなって結局記事にできていないので、この度は極力Done is better than perfect精神で荒書きをじゃんじゃん載せてしまうことにします、悪文御免)
 まずはモスクワ。
 スターリン様式のホテル、に滞在した。川向うにみえるエンパイヤステートビルみたいなシルエットのやつである。スターリンが好んで彼の生きているうちにモスクワに7つ建てられたという。うち一つは外務省、一つはモスクワ大学のメインビルディングと、使い道も猛々しい。このホテルはシルエットは荘厳で、建物はとにかく素晴らしいが、ふたを開けるとピカピカ成金ゴージャスで、ついた夕方にスパークリングワインのボトルサービスがあったのはビビった。
  ホテル近く、キエフスカヤ駅のそばの大型ショッピングモール。右の金色の彫像は上下するし、噴水は音楽に合わせてコンピュータ制御されていて、平日朝なのに足を止めてみている市民がたくさんいた。
キエフスカヤ駅そばの歩道橋。川と道路を一緒に渡れ、途中で降りることもできる。エスカレーター・エレベーター完備で、全天候型。とにかく道路が広いので、歩道橋か地下道がたくさんあるのだが、歩道橋の場合きちんと屋根で覆われている。
  中はこんなん。広い。
  キエフスカヤ駅かな?地下鉄の駅ホーム。舞踏会できそうなくらい天井が高く広く、重厚感のある内装。電車は大体90秒おきくらいに来る。
 地下鉄駅がシェルターの役割を果たせるように作られているのは有名な話らしい。どれも、中の空洞が広く、長く速いエスカレーターでかなり地下深くまで潜ることになる。入口は少ないので、地図上では近くても実際に電車に乗るまでにかなり歩かなければならないことが多い。開口部を少なくするのは防寒の意味もあるのだろう。地下鉄駅構内に入るときには、入口でその都度、セキュリティチェックがある。

 クレムリン。武器庫とダイヤモンド庫はパスして教会の密集しているあたりを一通りみた。教会建築については、現役に教会として使われている場合は写真撮影ができず、博物館になっている場合、撮影が可能で入口で入場料を取る、という区別をしている模様。こちらは広場に入るために入場料を取り、個々の教会内は撮影禁止だった。
  未完の鐘。タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』でも大きな鐘の鋳造が一つのクライマックスになっていたのだけど、鐘に対して特別の感情があるのかな。
  一度も使われたことがない大砲。
  まだ雲に覆われている赤の広場。玉ねぎ頭がキュートな聖ヴァシリー聖堂には、この日入ることができなかった。なぜかクレムリンの一角からこちらの周りまでが物々しく閉鎖されていた。
  昼を過ぎると晴れ間が。モスクワ近郊は三日半の滞在だったが、うち二日が、このように朝は小雨がちらつき、どんよりと曇っていた。昼過ぎから雲が晴れ、夕方はからっと気持ちの良い晴れで、日が沈んでしばらく明るさが残り、人々も結構外を歩いている。


2018/09/01

色々と追い付く

 昨日は平日だがとりたてて人との予定が入っていなかったので、色々と追い付く日に認定し、まずはささやかな朝寝坊、ヨガと筋トレを組み合わせた簡単な体操とシャワーで目を覚ましてソーサー付きカップでコーヒーを飲んで、少しピアノを弾いたあと万全の日焼け対策で鞆の浦に向かった。
 お昼前後は鞆の津ミュージアムで会期終了間際の「文体の練習」展、世界に触れて認識することと表現することの過程にある、大抵は自動化されて気にもとまらないようなステップが、それぞれの作家の文字記号とのやり取りを通してスローモーションで展開されるような面白い展示だった。私たちも今度展覧会をやろうとしている「素描」について考える起爆剤にも。
 午後の間少し学校で仕事をして、夜になって続けるか迷った末に、きれいな夕焼けを見て映画を見に行くことを急遽決意。ポール・トーマス・アンダーソンの「ファントム・スレッド」、シネマで金曜までだった。
 ダニエル・デイ・ルイス扮するドレスメーカーと、その姉と、元ウェイトレスのミューズのサスペンスな愛の物語だが、ドレスはもちろん、部屋の隅々もメゾンで働く女性たちも、言葉の端々もすべて端正で徹底してて綺麗で、ゆぅっくり動くカメラで絵のように切り取られていくイメージに酔いそうだ。時折差し挟まれる「今」の場面の光がまた狂気じみた美しさなのだけれど、それは普通の事件後の回想をしている場面でないからであって、その辺が明らかになるくだりの不気味さにさえ気品があって、なんともヨーロッパ…。
 ところでネタバレになりますが、これは神経質な天才と深い関係になってしまった時の対処法として「たまに半殺しにして弱らせておく」という新機軸を打ち出した作品でもある。数々のフィクションや実話から思うに、天才は災厄なので、会わないに越したことはないし、会ってしまったらできるだけ早くその場を立ち去り決して深入りしてはいけないが、もしかかわってしまった場合、ありがちな間違いが殺したり自殺に追い込んだり心中を試みたりすることだが、これでは結局自由になれない。相手の心に深いトラウマを刻みながら去るというのは捨て身の戦術として有効とはいえ幸せじゃあない。そこで今回の方法で、これはまさしく泥沼なんだけど、キライなものに毒を混ぜてそれを十分感づいている相手に目の前で食べさせるというどうかしているプレイなのだけど、美しくて完成されていて幸せそうなので、まあ、いいんじゃないのと思ってしまいます。

2018/06/11

苗字不要論、というか、苗字適当論など

 近頃、よく思い出すのが今は昔、自動車学校に通い始めて程なくして、京都北山通の交差点を右折するというミッションに四苦八苦しながら、何かがおかしい、と頭を捻っていたときのこと。
 自動車の運転なんて別に選ばれし者の秘儀奥義の類ではない。ふつーの人がふつーにやってることだ(このミッションはオートマ車で遂行されていたのだから尚のこと)。だったら何故こんなに難しいのか。
 もともと私は、運動神経のつなぎ方の関係か、新しいことを飲み込めるまでに上手く乗っかれないと人よりだいぶん時間がかかることがある。そして後から考えると、当時三度ほど続けてあてがわれた教官は、レベル付けされていない細かい指示を、タイミング遅めに出す傾向のある人だったので、相性が悪かったのだと思う。幸い別の先生のお蔭で路上でまともに判断が出来るようになったけれど。ちなみにそのころはバイト先でもその手の上司に当たっていて(*)、必要以上に無能感に苛まれていたけど、もう少し全体の流れを説明してもらえたら全然違ったはずだ。

 今さら15年前の恨み言が蘇るのは他でもない、何かがおかしいのだ。

 名前が変わる、というとまるでオオゴトみたいだけど、ご安心を、ここはアースシー(「ゲド戦記」のね)じゃないし、私の本質に直結する「真の名」とかじゃなくて、書類に載ってる社会的法的な記号みたいなのがちょろっと変わるだけのはずである。しかも、一発奮起した特別な個人だけがあらゆる制裁を覚悟で変更を願い出るッ!とかでなくて、市民やってたら時たまあるたぐいのステータス変更に伴って、希望しようがしまいがどっちかは変えなければならないというから、それでは仰る通りに、というわけ。

 ・・・なのに、この面倒くささはなんなんだろう?

 本人確認書類としての免許証を直すにはまずはお役所で住民票である。お役所・郵便局・銀行の類は平日に行って並ばなければならない(ていうかこれらに別々に足労するのもなかなか事。そういえばマイナンバーはどうしたのかしら、あんな頑張って紐づけてるのに、何故一瞬で全部変更されないの??)。これら軒並み、その場で済めばいいけれど一週間後に届くとかいう書類が多いし、一週間後に書留で来たものは在宅にて受け取るか受け取りなおすか取りに行くかしなければならない。そういうのに限ってバラバラと届くし、下手したら、変更のための資料の請求なんてのに一週間かかることも・・・。一方、職場は職場で、いくつも同じような書類に自筆で書き込んで判子を押さなければならないし、保険証に至っては二週間取り上げられたままだという。
 まあ、昔の教習所とバイトの例は、主に人間の相性や要領に原因があったわけだけど、こっちはみなさん感じが良くて、このトチ狂ったシステム上をお仕事の合間を縫って書類とハンコで渡り歩く上では一瞬の清涼剤のよう、なのですけど。
 いやいやいや、でもね!
 お勤めしてる人が、半日お休みして手続きしなければいけないとして、積もり積もったらどれだけの経済的な損失か・・・。しかも、上に書いたように、これは半日では終わらないのだ。私は幸い日によってはちょこちょこ自由に動けるけれど、それでも時給換算で大分割り引いても一万二万くらい頂きたいところです。
 これが、留学のための準備とかなら、仕方が無い。わかる。でも、ふつーの市民が決められた風に動くために、何故こんな罰ゲームみたいな一連のサイクルをやる必要があるんだろう??これ、みんなやっているって、ちょっと信じられない。

 ちなみに私、特段に夫婦別姓論者というわけでもないのですけど、同姓を強要する(・・・というかこの「強要する」というのが嫌だ、あらゆることについて。なので、選択できるという方法があるなら迷わずそちらを採る)ならするで、こんな面倒で割に合わない制度設計になっているとはまさか思いもしなかったので、軽くびっくらこいている。

 それから、特段に別姓論者でもない、というのは、「家族の繋がり★キラキラ」とかの方ではなくて、前に田中芳樹先生が書いてらした、「夫の姓を名乗らずに父の姓を名乗り続けたいというのが別に新しいこととは思わない」というのに近い。苗字そのものが、別に個人識別以上の意味合いを持たなくていいと思う。親と子の関係性や、諸々の経験や財産の授受、家族間の感情など、それぞれ違っていて、家の名前で縛っておいたら安心ということもあるまい。
 そもそも、ニンゲンをわざわざ戸籍単位で登録するのが合理的じゃないと思うけれど、そうするにしても、夫婦で新しく籍を入れるのだから苗字も自由に、そして楽に、したらいいのでは。所詮は記号だ。伝統といっても長くたって千年ちょいくらいのものであって(たいていの一般ピープルの苗字はもっとずっと短いでしょうし)、そんなんより、いま生きている短い間が幸せで、その限られた間に今とこれからの人類のために充実した仕事が出来るほうが重要じゃないだろか。
 そんなことをむしゃむしゃと考えていたら、『暮らしの手帖』でブレイディみかこさんが紹介していたのがイギリスの例。夫婦別姓がかなり浸透して、子供は両親の姓を二つつなげて姓にすると。長くなったり面倒になったら、二つの姓から部分をもらって姓を作成したり、あるいは全く新しい姓を作ったりしてもいいんですって。世界は変わるし、言葉も変わるのが当然。こんな風に変える考え方もありなんだ、と、気持ちだけでも少し自由になった。


(*)その店長はそこにいた間、多分私だけでなく誰に対しても効果的なリーダーシップを発揮することなく、やがて去って行ったのでちょっと気の毒な話でもある。