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2016/07/09

私たちはもっとわがままにならなければ パートII

 ここのところ、溜め込んだ日本語の本を同時並行で読んでいて、おうち時間が充実している。

 けれど、こんな雨の日の金曜日には、ちょっと照明を落として、弓削の塩とニンニクで軽く焼いた薄切り肉と茄子と芋に焼肉のたれをぽっちり(嗚呼、弓削塩とかいってて台無し!)、近頃のとっておきギルティ・プレジャーである『ゲーム・オブ・スローンズ』の続きを流してキット・ハリントンの巻き毛と眉と目の間隔の三次元的な妙を鑑賞しながらハイボールを傾けたりするのもよいもの。

 随分前から私の意識はもうサバイバル志向になってしまって、国や法や政府がろくでもないときに、いかに小市民である私たち個人の自由と幸福と尊厳を守るか、そちらの方を考えるようになってしまっている。
 とはいえ、なるべくそういう状態にならないように、週末の選挙では、微力ながらより「まし」な方、より最悪ではない方、より、ろくでもなくない方を選びます。

 私たちは多分、歴史的に見ても結構よいひとときを生きてきたのだと思う。
 お蔭で、私は私のごく平凡な頭と普通に利己的な心をもってしても、基本的人権が天賦のものだと知っている。自由に生きる権利を私からも誰からも奪うことは、誰であっても出来ないということを知っている。多様性を喜び尊重することを知っている。暴力や不幸を経験した他者の痛みを想像することを知っている。学び続けることの楽しさと意義を知っている。上の言うことを鵜呑みにせずチェックしなければならないこともしっているし、そこにいたる事情はともあれ、しんどそうな人は助けるべきだとも知っている。

 法律や他の人がなんと言ったところで、変わるものではない。
 だが、せっかく法がそれを「比較的」護ってくれている現状をみすみす手放すようなことはするまい。仮に、手直しをする必要があるとしても、それをするのは、新しい、賢い世代の役割だ。

以下、参考までに。

Wordの履歴機能で、自民党が変えた憲法を見てみる
憲法24条を「女だけの問題」にしてはいけない

昔書いた「パートI」。
嵐の只中に ―私たちはもっとわがままにならなければ―
これは台風の夜だった。今は大雨警報が出ている。ここ何週間のうちに、警報にもすっかり食傷気味になってしまったが、気を抜くのは禁物、どうかおおきな被害になりませんように。

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