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2013/09/08

未来がまだあったような感じ

 朝起きて、2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったことを知った。
 この問題について特に関心を持っていた訳ではないし、今の情勢からみて賛否両論あるのは凄いわかるし、むしろ批判的な意見に分があると感じることの方が多かった。
 で、こういうことが書きたい訳ではない。(私は決まったことに対して呪いをかけるより、あらゆる意味での成功を精一杯祈りたいし後押ししたいし、厳しくチェックしてかなきゃって思ってて、多分最後が重要だ。今でも課題山積みのところ、想像を越える大変な準備がそこかしこで行われてその余波は新幹線で4時間くらいの距離を余裕で飛び越えてくるんだろうが、難易度一気に上げた方がやれそうな気がする)…ということが書きたいわけではない。
 脈絡なさそうなんだけど、今朝から口々に7年後の話を始める人がいて、私は不覚にも七年分くらい寿命が延びたような気分になった。「希望」ってこういうことだったのかと思った。多分違うんだろうけど。つまり、この、明日にも何があるかわからない中で、未来が七年後までちゃんとあることを前提に話するって結構凄いことじゃないですか。(加えて東京みたいな突っ込みどころ満載の化け物じみた大都市が世界中のお客を歓迎すべく「よりよくなる」というのだからまた凄い)これは、皮肉でなくて、これだけでなんか大きな力を持っているんじゃないかと思う。
 「未来」ってまだあったんかな。
 (こういう、厭世的な物の見方、さいきんでは「厨二病」といったりもするらしいが、私の感覚では多かれ少なかれ幼稚園に入った時くらいから続いている。記憶もその頃から始まっている。他の人はどうなんだろう。)

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