車を運転するというのは怖いことだ。ぼんやり鉄の塊を制御しそこなった時の被害が、個人の「ぼんやり」の結果にしてはあまりに甚大なものになりうる、というのはもちろんだが、そんな大事にならなくても、運転というものには、随所に個人の性質が強調されて出ると思う。
一番思うのは、救急車と遭遇した時で、交差点で譲れず出ちゃったりしている人がいると、もう、あれは恥ずかしい。日頃からの余裕のなさや、そんなに変わらないのにあわよくば先に行きたがる卑しさが、緊急時の振る舞いのなかに全部透けて見える感じがして、他人事ながらいたたまれない気持ちになる。そんなのはたまらないし幸いに滅多とないにせよ、普段でも交差点に差し掛かるときに黄色に変わるとアクセルを踏む人は結構いる。そして私はそれ(黄色突破というより加速)があまり好きでなくて、ああ、みなければよかったと思う。思いやりのなさやこずるさを一片垣間見た気分になるからだろう。
ともかく、普段からフェアプレーをしてないと、もしもの時だけってわけにはいかないものである。そこで、ともかく視野を広く持つように心がけておく。さらに、狭い路地や立体駐車場での離合、信号ないとこでの対向車線の右折車、信号なしの横断歩道なんかで、うまく譲れたら「決まった!さすが私!スマート!大人!」といい気分になってみる。きわめ付けが表題の呪文で、毎度ブレーキを踏んでエンジンをかけるときには、お祈りのように「歩くより速い、歩くより速い」、だから、焦る理由なんてないのよ、と自分に言い聞かせておくのだ。
(こういうとすごく慎重な人みたいだけど、実は軽く二度対物をやったことがある。ゴールドですが。あと、どちらかというとぐいぐい行ってしまう方らしいし、自覚症状もあって、二号線が片側二車線になる瞬間など結構ワクワクしてしまう。しかし、合理的に動くのと、せこく動くのは違うと思うので、自分の中に変なセコさが避けようもなくあったとしても、目に見える形にまでならないように、結構注意しているのである。)
話は変わるが昨日、やっとのことで自転車を買った。
中古で買って京都から尾道とずいぶん長く乗ってた自転車のスヴェン・ヨハンソン(オレンジ×水色なので北欧風の名前に)は、しばらく前から本格的に壊れてしまって、市街地は半年近く徒歩移動だったのだ。この街では自転車にこだわる人が多いので、却っていずれかの種類のチャリを買うことがなんらかの思想の表明になるような変なプレッシャーがあって買いにくかったんだけど、結局のところ余計なことを考えるより町中の移動に便利なように、と思って切り替え付のママチャリ風にした。カゴが少し籐編み風で、「はじまりのうた」でキーラ・ナイトレイが乗ってるやつみたい。褒めすぎか。名前はまだない。
久々に乗ると、ママチャリというのは視界が広いけど力のかかり方に無駄が多く、極端なことをいうと人類が二足歩行を始めたときの気持ちが分かる気がする。腿の前っかわに筋肉がつくのは嫌なので、力具合を考えなければならない。てなわけで、自転車も、「歩くより速い」ところから再スタートだなーと思っているところ。
一番思うのは、救急車と遭遇した時で、交差点で譲れず出ちゃったりしている人がいると、もう、あれは恥ずかしい。日頃からの余裕のなさや、そんなに変わらないのにあわよくば先に行きたがる卑しさが、緊急時の振る舞いのなかに全部透けて見える感じがして、他人事ながらいたたまれない気持ちになる。そんなのはたまらないし幸いに滅多とないにせよ、普段でも交差点に差し掛かるときに黄色に変わるとアクセルを踏む人は結構いる。そして私はそれ(黄色突破というより加速)があまり好きでなくて、ああ、みなければよかったと思う。思いやりのなさやこずるさを一片垣間見た気分になるからだろう。
ともかく、普段からフェアプレーをしてないと、もしもの時だけってわけにはいかないものである。そこで、ともかく視野を広く持つように心がけておく。さらに、狭い路地や立体駐車場での離合、信号ないとこでの対向車線の右折車、信号なしの横断歩道なんかで、うまく譲れたら「決まった!さすが私!スマート!大人!」といい気分になってみる。きわめ付けが表題の呪文で、毎度ブレーキを踏んでエンジンをかけるときには、お祈りのように「歩くより速い、歩くより速い」、だから、焦る理由なんてないのよ、と自分に言い聞かせておくのだ。
(こういうとすごく慎重な人みたいだけど、実は軽く二度対物をやったことがある。ゴールドですが。あと、どちらかというとぐいぐい行ってしまう方らしいし、自覚症状もあって、二号線が片側二車線になる瞬間など結構ワクワクしてしまう。しかし、合理的に動くのと、せこく動くのは違うと思うので、自分の中に変なセコさが避けようもなくあったとしても、目に見える形にまでならないように、結構注意しているのである。)
話は変わるが昨日、やっとのことで自転車を買った。
中古で買って京都から尾道とずいぶん長く乗ってた自転車のスヴェン・ヨハンソン(オレンジ×水色なので北欧風の名前に)は、しばらく前から本格的に壊れてしまって、市街地は半年近く徒歩移動だったのだ。この街では自転車にこだわる人が多いので、却っていずれかの種類のチャリを買うことがなんらかの思想の表明になるような変なプレッシャーがあって買いにくかったんだけど、結局のところ余計なことを考えるより町中の移動に便利なように、と思って切り替え付のママチャリ風にした。カゴが少し籐編み風で、「はじまりのうた」でキーラ・ナイトレイが乗ってるやつみたい。褒めすぎか。名前はまだない。
久々に乗ると、ママチャリというのは視界が広いけど力のかかり方に無駄が多く、極端なことをいうと人類が二足歩行を始めたときの気持ちが分かる気がする。腿の前っかわに筋肉がつくのは嫌なので、力具合を考えなければならない。てなわけで、自転車も、「歩くより速い」ところから再スタートだなーと思っているところ。
No comments:
Post a Comment