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2017/03/12

観たもの備忘録ーエゴン・シーレ、あの絵を描く人間にあの顔がついてたら降参するしかない

 『エゴン・シーレ 死と乙女』(ディーター・ベルナー監督、オーストリア、2016年、公式サイト)・・・芸術家の生涯を描く映画は大好物で、それが20世紀初頭のウィーンであるならいうことはない。冒頭の石炭を運ぶくだりから一次大戦下のウィーンの匂いがするみたいできゃーっとなる。夜の劇場でヌードの女性たちが「タブロー・ヴィヴァン」を披露し、幕間のわずかな時間で慌ただしく準備をしたりしてるのもサービス満点で、もちろん、こういうのはBunkamuraル・シネマで見るのが一番相応しい(*1)。なにより、クリムトのモデルからシーレに気に入られてモデル&恋人になるヴァリという女性がよかった。彼女を演じたフェレリエ・ペヒナーが雰囲気あって、コルセットを付けずにジャケットを羽織って居たり無造作な夏服で肌を見せるヴァリをとてもハンサムに見せている。こういう中性的な魅力って世紀転換期のウィーンの新しい美術のモデルとしていかにも説得力があると思う。
 ところで私は、歴史とフィクションに学んだ限りでは「才能ある芸術家」ってやつと関わるともう大体あんまりろくなことにならないことを覚悟した方がいいと主張しているのだが(*2)、エゴン・シーレの場合も、妹を筆頭に彼のことを真面目に考える人間ほど振り回されている。この映画の中の彼は、並外れた美貌と天才に恵まれた男に限り、それも若いうちにだけ許されるタイプの傲岸不遜をフルコースで繰り出すので、私など一度ならず(そうなるのはわかっていても)「この男苦しんで死ねばいい!」と喉元まで出かかった(*3)。ただねえ、確かにあんな美男子が真人間だったら台無しなのかもしれません。しかも、シーレの絵を描くのだから。1910年代にあの若さであの絵を描ける人間がいて、挙句あんなこの世の物とは思えない骨格と顔と表情が付いていたら、ハートブレイク必須であっても、ともすると命の危険さえあると分かっていても近寄るなというほうが無理な話である。その上でいえば、ヴァリの関わり方は見事だったと思う。

 一月に院生と一緒に観たのが『Mr.Turner(邦題:ターナー、光に愛を求めて)』(マイク・リー監督、イギリス、フランス、ドイツ、2014年)で、英国美術好きにもターナー好きにもサービス満点で素晴らしい映画だったのだが、如何せん出てくる人間たちが美男美女でないので、だからこそ深みのある傑作なんだけどうん、なんというか、なので、気分が変わって大いに楽しんだのだった。



(*1)問題は私の住む町にはBunkamuraがないことです。そしてたまに東京に行けても映画ばかり見てるわけにはいかないのだ。かくなる上は、仕事場のある久山田で私設ブンカムラをやろうかと近頃真面目に考えている。
(*2)妻を愛し静かな生活を好んでちゃんと稼いで、いい具合まで生きた上できちっと財産まで残しながら、人間業と思えない絵を描く画家は確かにいたけれど、なんか確率的にいうと、「彼は違うのよ!」って頑張るよりかは、安全な距離を保って自分の仕事とか幸せとかを追求したほうがいい気がする。久山田ブンカムラ開催の暁には、芸術家に関わりすぎた人間たちの末路やその描かれ方について整理した上で処方箋的なマニュアルブックを作ったりしたい。
(*3)Bunkamuraル・シネマは私語禁止。私語とおやつ持ち込みは私のBunkamuraではOKにしたいものである。

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