二度ワクチンを打って二週間経って抗体が付いたあとでもウイルスの運び屋になりうるらしいという知らせには、そこそこ尾を引くダメージを受けている気がする。びっくりするくらい早くに仰天するくらい効くワクチンが作られて、アメリカやイギリスで一年ぶりにハグしてる親子やオープンカフェでおいしいものを囲んでいる写真なんか流れて来てもどーせウチはまだまだなんでしょと思ってたら、周囲見てると秋口には終わりそう(*)。何とか逃げ切れたら重症化のリスクは減るだろう。でも運び屋になりうるなら、ワクチンを打った人同士で軽症を分け合う覚悟でしかマスクを外せないということになる。子どもは打てない。そううまい話があると思うなということらしい。
この閉塞感は、マスクのせいなのか、ワクチンの副反応かその後の夏バテなのか(**)、自転車操業の前期が折角無事終わって研究が出来るのに、一日三食炊事し咀嚼し咀嚼させ皿洗いし運動し運動させ睡眠し睡眠させ洗濯し掃除し排泄し排泄させ、言葉をしゃべりだした息子は感動的な同居人だが、それをおいておいても日々の基調にある繰り返し、一回一回全く簡単にならず、別の難しさを繰り出してくるけれどこちらは目に見えて習熟したりすることもなく気まぐれに翻弄されるような繰り返しはたまに絶望的だ。
そんで関東で、日本のどこかで、アフガニスタンで、人間が人間らしくない仕方で見殺しにされているニュースが堪える。
まーしかし、私もここまでくると落ち込むののプロなので、大体解決策の方向性も心得ている。
繰り返す日々に閉じ込められているような気分は、何も残せていないことが不安の一番の原因。研究をすればいい。しかもできるだけアウトプットの時間を多くとるといい。研究でない雑文でもいい。大事なことは後から見返すことのできる自分の手で作った成果であること。消えない方がいいから、この目的では料理や製菓ではない方がいい。ある程度時間と手間をかけたものが残るほうがいいので、この目的では買い物もあまり適さない。料理や買い物は別の目的では凄く良いときもある。
家事が単調なのに時間を食うなら、時間をはかるといい。夕食のメニューを考える時間も計測する。無理やり可算的な尺度を導入することでスキルアップを可視化できるから充実感が違う。一人で実行できるものなら大体効く。坊と一緒のことだと、時間を気にするとイライラしてしまうので、別の手段をとって、「お手伝い」兼「遊び」にしてしまう。私がやるのは、私の方を出来るだけ複雑化し坊の方を単純にし、ハンディとルールをきめ細やかに設定すること。目的は二人が同じくらい楽しんでいるうちに仕事が終わるようにするという、ルール作りゲームである。私はおもちゃが部屋中に散らばっている状態からスタートして、坊はおもちゃで遊んだり掃除機に乗っかってバイク風にしたり、スイッチを押したり、箪笥の引出しの衣類を触ったり、掃除機かけのマネをしてみたりしているうちに、邪魔にされることなく玩具と本が片付き床は綺麗になる。このあたりは、もちろん毎回やる必要はないのだけど、だれてきて、なおかつ、いいかげんサボったり楽したり混沌を大目に見たりはもうできん!てなったときに導入するとちょっと華やぐ。
それから漠然と世界や未来が怖い感じの時は、寄付することと、生活に必要なものを自分の手で作ること。寄付は、世界を少し優しいものにすることで自分がだいぶん楽になるというのと(あなたがこの世で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい byガンジー)、寄付金控除が受けられる方法であれば、政治への不満も少しだけ発散できるという利点もある。手作りは、全然一からではなくてもいい。ピザ作ったり、簡単なパンを焼いたり、お菓子を作ったり、衣類を繕ったり、簡単な玩具を作ったりする。そんなんでもきっと私は粉と水しかなくなったときに手打ちうどんでヒーローになれる。そういう気分になれる。本当はこういうときは野菜を育てたりしたいなと、戯れに家庭菜園付きの物件を探してみたり。
(*)これは、ワクチンの有効性を理解するか信じて絶えずアンテナを張って郵便物を見逃さず親戚友人知人と情報交換して、インターネットに接続の上数桁の番号を間違えずに手打ちしながら情報を登録して予約フォームを正しく進むか数件電話をかけ続けたりして日程を確保し、仕事や育児の予定をやりくりして薬や食料をあらかじめ用意して、というのを本人か周りの人が出来てやっとこの時期で、正直フルタイムの仕事と家事育児と一緒にやってのけるのは結構狂気の沙汰だった。これで集団免疫はそりゃ厳しいだろうと思う。
(**)無論、政治の混迷の所為である。けどそっちは今やれることが限られているのだ。
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