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2024/09/18

坊に着替えをさせる秘訣と若干のうしろめたさ、ではなく。

  近頃、朝の用意がスムーズにいく秘密の呪文を手に入れた。だいたい茶碗を洗うくらいのタイミングで坊に洋服一式を出して、こういうのである。

ーーここに服出てるけど、まだ着替えないでゆっくりしてていいからね~。あんまり早くしちゃうとママまだお化粧も茶碗洗いも終わってないから…。

 すると、早く着替えて!行くよ!だったらレゴから顔も上げない坊が

「ええ~~。でも早く着替えちゃおうかな!早く着替えたい!」

 といって、いそいそと着替え始める。

ーーえー、待ってよ!そんなにすぐ出発できないよ!

 なんて掛け声をかけちゃったらこれ加速する。仕舞いに、こうだ。

「ママ、〈坊〉は全部準備おわっちゃいました~!ママはまだー?」

 阿呆なのだ。それゆえに、何という可愛さ。

 その一方で、「だからなのか?」とも思うのである。今まで出会ってきた男子たちに対して感じてきたもの、大人でも子供でも、同輩でも先輩でも、同僚でも学生でも、なんだろう、度々「ほう…」と少しの違和感を残してそのたびに日常に沈んでいく、よくわからない鷹揚さとか自信みたいなもの。当然のことを終わらせただけなのに、なんだその「いい仕事しました!」感は、というか。あれ、結構ぎりぎりでフォローさせてたけど謙遜の言葉もないけど、それでいいんだ、みたいな。

 たぶんそれでいいのだ。悪気も全くない。ミスなんて覚えてもいない。だから彼らの表情は晴れ晴れしている。それが羨ましい。

 「インポスター症候群」という言葉は随分前に知ったけれど、女性に多いのだそうだ。詳しくは調べて頂いたらいいけれど、なんとなく自分が過大評価をされているけれど実力は伴っていないのではないか、自分はここにいていいのか、この仕事に値するのか、不安で仕方がなくなり、何かの拍子で詐欺師であることが明かされてしまうのではないかと感じる傾向。

 私くらいさんざん伸び伸び育ってもこいつにしばしば苛まれて、クォリティを上げるのに使えるはずの時間をメンタル快復に使う破目になる。コメントを求められたら反省を入れたほうが相応しいんじゃないかと思ってしまったり、ちょっとのせられると自虐ネタの一つもいわなければいけないような気分になる(京都にいた所為かも)(芸風もあるか)(いや、実力が実際に伴っていないのでは…)。いったいなんなんだろう。記憶を改竄というほどでもない、程よくハッピーなとこだけ残って自信たっぷりな奴らとやり合うには、こんな荷物、邪魔だ。

 というわけで、元は「毎朝、当然のことしてるだけなのに自信満々でハッピーなボーイを着実に製造してます」うしろめたさの話だったんだけどさ、これはいいことなのではないかと思い直したわけです。うん、どんどんやろう。

 むしろ、願わくば、もっと賢くて聞き分けがよく先回りして考えがちなお子たちであっても、誰にでも、当然のことをしてるだけなのに自信満々でハッピーなガールやボーイでいられる環境が与えられんことを。

2024/09/14

足元の話

  先日、3か月ぶりの美容院で「9月なのに暑いですねえ!」の挨拶ついでに、ビーサンから抜け出せなくて!と言ったら、「私も、9月1日だけスニーカーで頑張ってみたんですよねー、けどすぐ戻っちゃって」と自分と全く同じ行動なので笑ってしまった。九月最初の出勤日であった2日はローファーにしてみたのだけど、次の日からまた戻ってしまった。

 ビーサンは集合的概念で、実はビーサンじゃなかったりするのだけど、裸足で履けて楽ちんなサンダルなんでも。ヒールがあったりストラップが細すぎたりするのはたぶんちょっと違う。

 私は以前から少しだけ厚底のアリゾナ?(ビルケンの店で買ったのだがビルケンって書いていないので本当のところ何物かわからないが)を愛用してたのだが、今年の夏からTevaハリケーンを仲間入りさせてる。甲と踵と足首を三点で固定する面ファスナー式のEVAサンダルである。デザイン的に若すぎない?とあらかじめ妹に問い合わせたがOKとのこと。

 これ、めっちゃ軽いし、足の衝撃がうまいこと和らげられるので走れる。金属とか革とか使ってないから子供と水遊びするのにこれ以上ないし、マジックテープだから各種厚さの靴下に合わせて調整できる。ビルケンのソールが、いかにもドイツっぽい健康的気持ちよさに足の持ち主をやや矯正しようとしてくるのに対して、こちらは身も蓋もなく楽。さすが新大陸、しかも西海岸って感じだ。そういえばポートランド行ったときはみんなこんなん履いてたな。足首の前側を固定するのでやや足がむくむが、それすら調節で何とかできる。保育園の玄関もたもた度もローファーやスニーカーとそう変わらない。更にいいのが旅行にそのまま行けることです。もともと踵が固定されない靴で飛行機に乗るのは…と思っていたのが、年明けの事故をみてさらに機動力が大事だという気持ちを新たにしたところ、今回は飛行機の憂いなく、旅先でも暑いさなかに旅先で靴下とスニーカーを履く憂鬱から解放された。

 問題は季節であるが…。自分のルールとしては8月以外は「暑い」だけを理由にビーサンで仕事に来るのはちょっと…と思っていたのだが、いくつか抜け道を作ることにした。

1,夜25度、日中33度を超える日は8月とみなす。

2,足の爪をちゃんと塗ってたら「おしゃれのため」のビーサンと認める。

3,靴下をはいてたら「コーディネートの一部」としてのビーサンと認める。

これでいいっしょ。こうして暑い間さんざんだらだらさせておくからこそ、秋になった時に素敵なパンプスとか挑戦してもいいかなーって気持ちになるってもんです。

2024/09/04

テキストとウェブと危機感の話

 ソフィ・タンハウザー『織物の世界史』(鵜飼まこと訳、原書房2022)そんな暇はないのだけど休憩読書用にしててとても面白い。

 ニューイングランドのリネン、インドのキャラコ、テキサスの綿花。家庭や小さな作業場で行われていた手仕事が巧みに手元から取り上げられて、その代わり、わずかな現金収入のために紡績工場での非健康的な単純作業や借金地獄の綿花栽培に従事せざるを得なくなる。何とも酷いし、悲しいことに見慣れた構図でもある。(今途中でこのあと新疆ウイグルの綿栽培の話になるのでもっと地獄が待ってるはず…)

 なぜか思い出すのが学科会議の「アドビのソフトの利用料金がまた上がるんだけどどうしよう」問題(*)。

 欠陥があるとわかっていてモンサントから遺伝子操作された綿の種を買わなければ仕事ができない、収穫で得た所得の一部はまた翌年召し上げられるってのと何が違うだろうか。「昔は仕事道具はいったん自分のものにしたら修理しながらずっと使えたのに…(もちろんいいのに買い替えることはできるけどタイミングは選べたのに…!)」

 だからやっぱりグーグルフォトに息子の写真の管理を任せてはいけないのだ。「昔は写真は本棚からいつでも見られて、為替変動を気にしながら毎年お金を払わなくても自分のものだったのに…」とならないために。そしてたぶん本を紙で所有することにも意味がある。「昔は本屋がつぶれても一度買った本はいつでも読めたんよ。クレジットカードがなくても買えて、誰がどんな本をもっていようと自由だった。一度手に入れたら当局の検閲で中身が勝手に変わることも、データを掘り返して読書履歴を探られることもなかった…」

 学生サンに「紙の本の手触り・温かみ」を主張されると、授乳中唯一の慰めだったのがキンドルでたわいない短編小説を読むことだった話をしてちょっと引かれる私でありますが(**)、本を自由にしておくためには絶対にちゃんと燃える、逆に燃やさなければちょっとやそっとでなくならない紙の本でなきゃ、と思うのであります。

(*) Adobeというのはアメリカのカリフォルニアのソフトウェア会社で、世界中のデザイナーとかイラストレーターとか映像の人たちが使っているたっかいソフト「フォトショップ」「イラストレーター」とかを作って売っていて、少し前までは買い切りのがあったのが、近頃は利用料を払ってライセンス契約をするスタイル一本にしているっぽく、昨今は円の弱さもあって大変評判が悪い。

(**)これは本当に!今も読書灯をつけると決して寝ない子だが電子書籍に関してはかろうじて寝かしつけと併用できる(日によるが)。あと授乳初期とか大体腱鞘炎で手とか腕が死んでるのでとてもじゃないが本は持てないのだ。ついでに言うと、地方在住で家族持ちだと、夜中に続きが読みたくなった時にフラフラ買いに出ることもできないけれど、電子書籍ならそれが出来る…と、必要に応じて悪魔に魂をチラつかせて利用しております。