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2016/07/05

夏の装いを大いに語る

 湿気でどこもかしこもじめじめ、低気圧による空気の重さで頭まで痛い、脚も普段以上にむくむ気がする、そんな呪われた六月がやっと去っていった。おまけに大雨のせいで、警報に土砂災害、緊急休講、さらに「構内は安全ですので二時間は動かないように」までフルコース。散歩コースの小川に自生していたクレソンは跡形もなく流れてしまった。

 待ってましたとばかりにぎらぎらと晴れ上がった週末、京都をうろうろしていたら、祇園祭期間だからか昼間から浴衣や夏着物で歩いている人をよく見かけた。観光客向けのレンタルが多いのか、ばっちりと涼し気に着ている人はそんなにいないけれど、だからこそきまってる人は目立つ。
 バスの中から眺めていただけで、完全に目を惹かれてしまったのは比較的長身の女性。白地に藍色で大きな模様の入った、それこそ山鉾町の男たちが来ているようなシンプルな木綿の浴衣を一枚で着て、臙脂に白や明るい色の入った、これもオーソドックスな博多の半幅帯をかなり直線的な文庫に。黒く塗った下駄で、黒髪のショートかごくミニマルなまとめ髪だったのだと思う。どちらかというと男物のような着方で、何も特別なアレンジがないのに、歩く姿勢が美しくて、帯の上の背中がぴしっとしているだけでなく、帯の下、おはしょりからおしり、太もものラインに余分なだぶつきが全くない。美しい骨格の上に美しい筋肉をまとった人がこれ以上なくサイズの合ったタイトスカートを身につけた時のように、清潔でいて色っぽいのである。なかなかあんなに粋にはならないぞ。きっと洋服もきれいに着る方に違いない。

 原由美子さんは、浴衣はぜひ白地に紺、また紺地に白を、とおっしゃる。「それこそ大人の女が浴衣を着る醍醐味に通じるからです」と(*1)。でも、それってなかなか厳しい。紺と白の二色なんて、きちんと手入れしてパリっとしたのを美しく着ないと寝間着になっちゃうもの。

 それで思い出すのは、昔パリ近郊のシャンティイーで初夏の競馬のお祭り「プリ・ド・ディアンヌ」に行った時のこと。帽子祭と呼ばれるだけあって、昼間の外でのパーティみたいなものなので、色とりどりのドレスに華やかな帽子をかぶったご婦人方がわんさかといる。その花園の中にあって、ジーンズで乗馬ブーツ、金ボタンの紺ブレザーという装いの若い女性がいて、視線が釘付けになってしまった。やはりスタイルがとてもよくて、ブルネットのまっすぐな髪の毛が胸のあたりまで。それで、つば広の麦わら帽子に思いっきり色とりどりの造花を付けたものをかぶっていた。顔は残念ながら全然覚えていないんだけど、これも、普通にやったら普段着で来たのかって感じになってしまうところ、生まれもったスタイルと、帽子だけごてごてに盛っちゃう絶妙なバランス感覚、そして圧倒的な清潔感。

 いいなーいいなー。

 しかし、そこまで誤魔化しの効かないところで勝負するのでなければ、生まれ持った骨格に多少難があったり、美しい筋肉ゾーンに脂肪やむくみが果敢に攻め込んでいたとしても、気合いでなんとかなるのである(ちなみに、この気合いを長期に持続させるに足る体力・集中力・細やかさがあれば、生まれながらの美人に成りすますことも不可能ではないが、私の場合は面倒になって、それらの美徳は多少はあっても、専ら美味しいもの食べたり研究したりする方に浪費してしまうからいけない)。

 件の美女により和装欲が高まった所為か、うっかり好みの半幅帯を見つけて一目ぼれしてしまった。リバーシブルで使えて、表はやさしいベージュに草花とクジャクの図案化された模様が染めてある。年中使える柄・素材だから、カジュアルな感じのきものとかにも使える、ということで、つい、買ってしまった。手持ちの浴衣は何年も着ているものだけど、絹のシックな帯を合わせたらちょっと格上げ出来そうだし、半襟付きの簡単な襦袢を仕込んだら浴衣じゃちょっと、というようなお出かけとかにも使えそう(*2)。



(*1)  原由美子『原由美子のきもの暦』CCCメディアハウス、2015年、96頁。
 これ、とにかく美しい本です。『マダムフィガロ』の連載をまとめたもので、懐具合の想定が非常にバブリーなのでそのまま参考にはできないが、コーディネートは本当にさりげなくて素敵。

(*2) 「浴衣は寝間着だから」なんていう人、今時は絶滅しているのではないかと思うが、まあ、若いコならカワイイけど、もう少し落ち着きがあったほうが、というシチュエーションだったら、衿と足袋を仕込んで、ちょっと落ち着いた帯結びにしたらいいんじゃないかと思う。

2016/06/12

未来を楽しみにするための魔法の30分クッキング

 むしむしする気候の所為にしたくなるけど、困ったことにそれだけじゃないんよね。何しろ、諸事、停滞しているのである。
 気持ちのくさくさして仕方がないのを、どうにか仕事で発散させたり、親しい人々としゃべり散らかしたり、そういう感じで見た目滞りなく回っているけれど(これはありがたいことだ)、根本的に自分の意志の及ばない部分が多すぎる。かつ、自分の努力で何とかなりそうな部分をなんとかするのは途方もない困難な事業のような気がして、この一か月くらい少し進んでは少し戻って、というのを繰り返している。もっと、潜ったまま先へ行かなければならないのだけど、気が付くと肩ががちがちに固まっている。

 根本的解決のためにも、対処療法が必要だ。
 今日も午後中パソコンとA4用紙に埋もれて悪あがきした後、南高梅を買って帰ってきた。
 
 保存食の中で一番簡単かもしれない梅酒を漬けよう。
 梅1kg、氷砂糖480g、ホワイトリカー1800ml、そして4リットルの広口ガラス瓶。
 〆て2500円ほどの買い物である(*)。
 瓶は食器洗いの要領で洗ってよくすすぎ、布巾で水気をふき取った後、ホワイトリカーを含ませたキッチンペーパーで内部を拭く。
 梅は流水で洗った後、つまようじを使って「へた」を取り除く。説明を読むだけだとこれまた難事業のようだが、黒っぽいところにつまようじを押し込むとクイっと抜ける。それをざるにとって、一つ一つ布巾でよく拭いて水気を取る。南高梅はたまに赤みがさしているのが可愛らしく、既によい匂いもする。
 瓶に梅を並べ、氷砂糖を敷き、梅を並べ、氷砂糖を敷き、さらに梅を並べる。大きさが違うし、分量も少ないからそんなに綺麗な層にはならないが、多分大丈夫。そこにホワイトリカーを注ぐ。別のお酒で作るのも楽しそうだが、前に作ってから10年くらい経つし初心にかえってオーソドックスなレシピにする。あまり私が酒ばかり仕込んでいるので心配になる向きに説明しておくと、アルコール度数35度のお酒で果物を漬け込むのは法律的には完全にセーフです。


 後ろに見えるのは瀬戸内の夕暮れ。
 水晶のような氷砂糖が、少しだけ赤く染まったまあるい梅とともにぷかぷか浮かんでいる様子はとても乙女チックで、いっそ溶けてしまうのが惜しいくらいだ。三か月後、クリスタルがアルコールに溶解しきると、味見することが出来る。一年たつと琥珀色を帯びて、ちょっとしたご馳走になる。三年するころには買おうと思ってもそこいらの店では手に入らない美酒が出来上がることでしょう。
 ね、なんだか愉しみになってきたでしょう?3年後はともかく、1年後くらいは何とかなりそうな気がしてきたでしょう?
 そう、梅仕事は、見えない未来に、力技で一筋の明るい道を切り拓く、とっておきの魔女仕事なのだ。



(*)家の近くのスーパーでは、梅やラッキョウ、紫蘇と一緒に広口瓶や氷砂糖、ホワイトリカーが並んだ特設売り場を設けているのだが、何故かそこに「チョーヤ梅酒」などの既製品の「梅酒」も置いてある。当然既製品の方がお安いし、「お前は本当に梅酒が作りたいのか?飲みたいだけなんじゃないのか?」と試されている気分になる。

2016/06/06

さまよう音

 クストリッツァにくらっときている私の80%くらいはあの「ジプシー」の音楽に参っているんだという自覚はあるんだけど、さまよう人の音楽といえば、初めて聴いた時から波長が合ったのがユダヤの伝統的な音楽をジャズにアレンジするジョン・ゾーンのマサダ室内アンサンブルの作品(こんなん)。独特の悲哀を帯びた和声で展開するメロディに、なぜか呼吸が楽になる。盛り上がるやつも楽しいけれど(こんなんとか)、愉快一辺倒ではなく、むしろ少し落ち気味の時に、悲しくなりすぎないように、疲れすぎないように、そうっとそばにいて支えてくれるような感じだ。
 これを教えてくれたヒッピーっ気のある友人に誘われて、パリの北郊外のサン・ドニにある60年代風の工業製品チックな公会堂にライヴを聴きに行ったことがある。パリ市内ではあまりみない(ひょっとして全然ない?)レーニン通りなんていう道を通って、休憩時間は大統領選の話をして、帰りには東駅の前にある24時間営業の昔ながらのカフェのカウンターにもたれかかりながらビールを飲み、山ほどフライドポテトの乗っかったクロックムッシュを食べた。深夜の東駅や北駅周辺には、どこから来たのか、どこへ行くのかよくわからない人達が大勢たむろしていて、零時をまわる頃には、早朝の電車に乗るつもりで宿を取っていないバックパッカーが、駅を追い出されたのかカフェにぽつぽつと入ってきて奥に消えていく。ビール二杯くらいとともに、こういう若者が奥のソファ席に横になって夜明けまでの数時間を過ごすことを店主は黙認しているのだそうだ。流れ者だらけの深夜の東駅前で食べた夜食が、ニューヨークを拠点として世界中で流浪の民の音楽を聞かせるライヴと記憶の中では切り離しがたく結びついている。
 
 思えば昔から遊牧民や山の民、海賊は憧れの対象だった。住所や組織、国境みたいな枠を超えて移動して生きることの自由さ。自分は、家を追い出されたら寒さにも暑さにも耐えられないし、自分の食べるものひとつ調達することもできない。だから余計に自分や一行の面倒を見てなんとかしてしまえる、という事が魅力的に思えるのだろう。辺境だから、真ん中からちょっとはみ出したり追われたりしてきた人が身を隠したり、真ん中の人には堪える制裁が下ってもけろっとしていたりする。海や川で暮らす人々。中華に対する周縁の夷狄。アルプスでは、山の人間がたまに里に下りてきて里の娘さんが恋をしてしまったりするのだと、ブローデルが『地中海』の入門編で書いていた。



 先日、Throwing a Spoonというピアノとチェロのデュオの演奏会を聴いた。これもシンプルなメロディで肌を透過してしみてゆくような音楽だ(こちらでいくつかは聞くことが出来る)。ピアノなんていう数学的でメカニカルで複雑な楽器を、あんなにして、風で木の葉が揺れるかのように自然に、人間に寄り添うように歌わせるトウヤマタケオさんは本当に凄い。徳澤青弦さんのささやき声の下で泣いているようなチェロはもういろっぽすぎる。幅広いテイストの演目があったけれど、中の一曲の単調すぎるぐらい単調な響きで、またしても乾いた中央アジアの草原への郷愁をどうにもこうにも抑えられなくなってしまった。曲名はSophia。動物の毛のにおいとかしてきそうで、いったこともない場所なのに、こんなにも懐かしいって本当にどういうことなの。だから遊牧民の若き首領よ早くわたしを攫え。そんなことを口の中でつぶやく。

2016/05/17

アンダーグラウンド

 エミール・クストリッツァの撮った映画で始めて観たのは『ジプシーのとき』。7~8年ぐらい前、なにやら怪しげな上映会で、後から感想を言い合った。何を言ったのか覚えていないが(実のところストーリーもあまりよく思い出せない)大学の先生みたいな人に、上映中あなたの表情が面白かった、みたいなことをいわれたのをなんでか覚えている。
 兎に角、先を予想したり前を反芻したりといったことをするには想像を超えていて、その瞬間瞬間、ただ目の前を過ぎていく映像と音楽に夢中になっていたのだと思う。後は七面鳥とか、段ボール箱とか、クラゲみたいな花嫁のヴェールだったりとか。
 このたびの『アンダーグラウンド』は、多分、それ以来はじめて。ヴェールは今回はなお一層クラゲみたいだった。七面鳥はいなくって、アヒルとか、水鳥。水鳥が、そりゃあもう重そうに飛ぶのだ。段ボールはなくって、代わりにあの地下の工場かよ、なんだよあのシャワー!もう、夜自転車漕いでる人みたら発電しているようにしか見えないんですけど!

 よくわからないが見たほうがいいような気がして時間を作って観に行って、たしかにそう、これは観るべきものだった。
 
 結構まだ頭の中がドロドロしていて、書く方がいいのかどうなのか、書いて何かになるとも思えず、酷く持って回ったよくわからないことを書くんじゃないかと思うけれど、世の中に生きていると、あるトコロからだけみえる、他の場所や機会や方法ではみられないものがあって、この映画はそういうものを見せる。頭の中でたくさんの声がギャーギャーと喚いているようにして、これでもかと。そして、そういうものがあるという事を、今初めて分かったような気分にさせる。
 冒頭のブラスバンドの調子っぱずれに浮かれポンチで直球な音楽が始まってからずっと、もう、こらえようもなく不健康に愉快な気分になってしまって、こちらの心は騒ぎっぱなしだけど、スクリーンの向こうもひどくって、基調として酔っぱらって怒鳴り交じりで馬鹿笑いしながら歌ってて、手を伸ばすとそこいら中に銃があって、ズボンにも入ってて、サスペンスもなく簡単に発砲されて、そうしているとウソみたいに情け容赦なく爆弾が降ってきて、廃墟になった町で、爆破された動物園から迷い込んできてへばっている猛獣を眺めながら、黒猫で靴を磨いたりしているのだ。人間の一生の何十年も(20年だ)が太陽も月も知らずに過ぎたりするけど、歴史の犠牲者とかいう感傷的なものに収まりきらず、そもそもは身内のだまくらかし合いにしては矢鱈とスケールが大きくて、地上に出たとたん、昨日の喧嘩の続きみたいにして戦争してたりする。ドイツのマンホールの下をずっと歩いて行ったら本当にアンダーグラウンドな道路網がバルカンやイタリアまで続いているんだろうか?

 普段は、「これはもっと前に見ておくべきだった」とか「若い時に読むべき本」みたいな言葉に対しては疑わしく思っているけれど、この作品については、ちょっともったいない見方をしてしまったと思わないでもない。1995年に大人として、つまり3-4年前からきちんと世界の情勢に興味をもって知って、自分の考えを持っているきちんとした大人として、これを観てみたかったと思う。多分、世界中で1995年から2-3年の間にそういう人たちに、(というと限定しすぎかもしれなくて、別に1995年じゃなくて今になっても、ユーゴ内戦の同時代人たちに)、ココからでなければ見られない世界を見せた映画だと思う。
 (とはいえ、それはいずれにせよ叶わぬ望みではあるので、ベストを尽くしたということになるのかな。まあ、頭のドロドロはやや鬱陶しくはあるけれど、やっぱり観てよかったのだ。)

2016/05/09

角島大橋ひゃっはー

 雨の日の月曜日、すっかり連休が終わった気分でがっつり仕事した後は、頭休めに写真の整理でも。今年の連休は幸いにもいくつか行きたいところに旅が出来たので、おいおいおしゃべりしますが、まずは角島大橋を。

 場所は山口県下関市、本州と「角島(つのしま)」を結ぶ、1.7kmくらいの橋で2000年に開通した。国定公園内なので高さが抑えられているのですって。途中、大きな船を通すために少し高くなっている場所があったり、ハト島を迂回するため大きく曲がっていることで、余計にピクチャレスクで趣がある。


 愛すべきポンコツを駆ってのそのそ行ったので、島まで橋を渡ります。吊り橋じゃないので、本当に海の上を道が続いているような感じ。写真撮れていないけれど、上から見た海の色がまたすごい。ガラス玉みたいな透明感のある明るい青緑が、島に近づくにつれて濃くなっていく。

 
 角島側から本州を臨む。この日は天気も殊の外よく、まだ午前中の清澄な光が眩しかった。


 角島に上陸して、そのまま橋と反対側まで来ると、灯台があった。海の色が少し濃くなったような気分。ミカンの花の強烈なにおいがする。


 

 島の灯台付近の駐車場では、電動式のけったいな機械で烏賊が回っている。一夜干しの焼いたのが塩焼きにして売ってあって、なかなか美味しかった。
 (ここでイカを食べておいたのは正解で、この時、普段は長閑なはずの一帯は観光客でめちゃ混んでいて、観光向けのお洒落っぽいレストランには当然の如く入れず、といって他に店がたくさんあるわけではないので、結局この日の昼食は15時前までお預けだった。)


 本州側に戻って、少し離れたところから再び橋をのぞむ。ご覧の通り、水深が浅いのか砂の色なのか水の色なのか、海が絵に描いたようなエメラルドグリーンで(観光案内ではしばしばコバルトブルーと書かれるが)、瀬戸内とも少し違う。目の機能がいきなり向上して彩度がupしてるんじゃないの、ええ、海ってこんなに綺麗になるもの?なんてびっくりしてしまう。